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【11】狐面の匪賊

吉丸の着替えが終わると、阿夜は最後に、これで顔を覆うようにと黒い布を手渡した。麻でざっくりと織られた、だらりと長い布である。ところどころ染めに色むらがあった。吉丸はすぐには顔には巻かず、首元に何重かにして巻きつけておいた。

まだ少し時間があったので、阿夜が湯を出した。吉丸はそれを飲みながら時間が経つのを待った。湯とはいえ、ほとんど喉を通らなかった。

いよいよ子の刻になった。弓だけでは心もとないので、普段から使っている自分の太刀も腰に差す。主から支給されたものだったが、屋敷に戻っていないので返す機会がなかったのだ。阿夜はそれを見ると満足そうに頷いた。



吉丸は小道を選び選び、夜が細い辻々にまで完全に染み渡った町中を音を立てず走った。曇った空に月はなく、ねっとりとした夜気が肌にまとわりつく。走りながら、渡された黒い布で、目だけ残し顔を覆った。

やがて、阿夜に教えられた場所に着いた。しかしそこには濛とした闇が広がっているばかりで人の姿は見えない。吉丸は黙って、阿夜に言われたとおり弓の弦をひょうと鳴らしてみた。すると闇の中のどことも知れぬところから、同じように弓を鳴らす音が返ってきた。間髪を入れずに今度は口笛を吹いた。こちらにも同じく返事があった。

にわかに、火が次々と灯るように人の気配があちこちに揺らめいた。いったいどこに潜んでいたものか、濃密な黒い空気を縫って、吉丸と同じような黒い水干姿に、斧だの槍だの棒だのといったものものしい武器を手にした男たちが続々と現われる。暗くてよく見えなかったが、人数はおそらく二十人ほどだろう。

彼らを見たと同時に吉丸が思わず息を呑んだのは、そのほとんどが様々の表情をした奇怪な狐の面をつけていたからだ。田楽か何かで使う面なのかもしれないが、吉丸にはよくわからなかった。大口を開けて笑う狐、憤怒の表情に牙むく狐、今にも泣き出しそうな眉間の狐、頬と目元をほんのり桜色に染ませた女狐……どれひとつとして同じ顔をしていない狐が、各々、獣の頬を暗夜に凄然と滲ませている。面をつけていない者も幾人かいたが、彼らは吉丸と同じように布を巻いて顔を隠していた。 

一団の中から、太い眉をした猛々しい狐面が近づいてきた。そいつは挨拶もしなければお前は何者だとも尋ねないまま、いきなりこれからの手筈と吉丸の果たすべき任を説明し始めた。狙う先は、阿夜が話したとおりの貴族の屋敷だった。

吉丸は、少し離れたところで、やはりこれも狐の面をつけた男が崩れた築土(ついじ)の上に座り、こちらを見ているのに気がついた。小兵ではあるが、どことなく威圧感を感じさせる風格がある。おそらくはあいつが首魁であろうと吉丸は察した。

ほどなくして狐の一党は夜道を本物の野狐のように駆け、生じた幾迅もの風を従えながら、京の町に音も立てず踊り込んでいった。己もまた一匹の狐のように風を切りながら、吉丸はちらりと首魁の姿に目を遣った。彼の面は細眉の涼しげな、清らな若狐だった。まだ年端もいかぬ少年なのか、近くで見ると単に小柄なだけでなく華奢でもあった。佩いている太刀も細く、水干の袖から覗く手首が妙に生白い。いったい何者なのだろうと訝しんでいると、首魁狐は吉丸の視線に気が付いたのか、面の下から視線を返してきた。瞳が面越しにもぎらりと光ったのがわかり、吉丸は慌てて目を逸らした。

件の貴族の屋敷が近づくと、狐たちは墨の中にそれぞれ颯と溶けていくように三々五々散った。吉丸は数人割り振られた門の脇に潜んだ。他の者たちが屋敷の敷地の内に侵入していく後ろ姿を見送りながら、誰にも聞こえないようにそっと舌打ちをする。

――厄介な場所をあてがわれた。

吉丸が配置された門は屋敷の裏門で、正式とされる屋敷の造りとは違い、すぐ傍には厩(うまや)があった。屋敷の中に異変が生じたとわかったら、逃げようとするのでも戦おうとするのでも、まずは馬を調達しようと考える者は少なくないだろう。ここはそういう連中を相手に戦わなくてはいけない場所だ。事前に馬を殺しておくことができれば多少はやりやすくなるのだろうが、馬も盗品としての価値が高い以上、そんな愚かな真似をするわけにはいかない。

忍び入ってしばらくすると、屋敷の東側の空がかすかに明るくなったのが見えた。

「火の手があがった」

誰かが呟いた。

火はすぐに周囲の軒を巻き込んで大きくなり、重たげな雲の垂れ込めた夜空が黒い煙を透かして赤々と照らし出された。悲鳴や怒号や、武器と武器とがぶつかり合う音、何か大きな物が倒れたり、壊れたりする音が、屋敷のあちこちから聞こえ、血と煙の匂いが風上から漂ってきた。

吉丸は屋敷の敷地に入ってからずっと、しきりに夜陰の奥に目を凝らし、あちこちの様子をせわしなく窺っていたが、ここに来て、

「おい、手を貸せ」

と、横にいた狐に声を掛けた。相手は面こそだらりと口を開けただらしない面立ちの狐だったが、打たれたら最後、一撃で骨まで粉砕されそうな大斧を手にしていた。背丈は吉丸の頭ひとつ分は大きく、でっぷりと肥えてはいるが脂肪の下に筋肉が息づいているのがわかる、岩のような体つきをしている。 もしかしたら力士崩れかもしれない。

「何をする気だ」

力士狐が尋ねた。

「俺ともう一人か二人、弓の上手を厩の屋根に乗せろ」
「ほぅ」

「俺たちはそこから馬に乗ろうと火を掲げてやって来た連中を狙い撃つ。今夜は月もないし、火の手がこちらに回って明るくなるまでは、どこから矢が飛んでくるのか敵からは見定めにくいだろう。お前たちは矢の当たらない所で待ち伏せるか厩の中に隠れて、俺たちが射止め損なった奴らに止めを刺してくれ」

そこまで一息に喋って、吉丸は出すぎた真似をしたかと口をつぐんだが、

「よかろ」

力士狐のものではない声に振り向くと、頭髪の大半が白くなった男がこちらに歩み寄ってきていた。男は首魁狐に劣らず小柄で、その仕草は他の盗人たちと比べるとどことなく洗練されていた。襟元の乱れもなくきりりと着込んだ狩衣はおよそ盗賊らしくもない。弓を片手に細太刀を佩く様も御伽語の中の人物のようで、ころく(矢筒)に矢と一緒に梅の枝でも差さっていても不思議はなさそうに覗える。だが、その狐面は黒く、今にも食いついてきそうに真っ赤な口をくわと剥いているのが物腰に似合わず奇怪で、吉丸は得体の知れない恐ろしさを感じた。

力士狐はひとつ頷くや、さっと肩を差し出した。周りにいた他の者たちも異存はないといった態で黒狐に頭を垂れている。この黒狐はどうやら、少なくとも今此処にいる狐たちの中では筆頭の地位を占める存在らしい。

吉丸は力士狐の肩を借りて、厩の屋根によじ登った。背筋を伸ばすと、闇を透かしてかすかに、屋敷の棟々とそれらを囲む庭が見える。火の手はいまや東から東南、北東にかけて広がりつつあった。

「もう一人は、では、私が行こ」

吉丸に続いたのは黒狐自身だった。吉丸同様に力士狐の肩を踏み台にして、ひらりと厩の上に舞い立つ。

「ほほぅ、絶景」

ほとんど何も見えはしないはずなのに、黒狐は物語めかして手を額に掲げ、あたりを眺める素振りをしてみせた。

「大丈夫なのか」

吉丸は思わず訊いた。平地で斬り合わないゆえに一見安全そうに見える位置ではあるが、あたりが明るくなったら即座に地面に飛び降りなければ格好の標的とされてしまう。飛び降りるのも、ここが斬り結ぶ場である以上は何の気兼ねもなしにただ降りればいいというものでもない。この男は盗賊の一党の中ではそれなりの者なのかもしれないが、ふざけた振る舞いを見ていると、果たしてそこまで計算できるのかどうか不安だった。この男がしくじれば、攻撃は自分に集中する。

「いや、何の」

黒狐は舞うような足取りで屋根の上を歩いた。歩を進めながら矢を抜き、弓につがえる。

さらに物を言おうとした吉丸だったが、その意識をはっと彼方に投げ遣ったのは、そちらから野太い怒声が奔流のように流れ込んできたからだ。吉丸もまた矢を抜き取った。背を低くして、黒狐とは反対側に駆ける。

相手方が手にする松明の明かりはまだこちらを照らしてはいない。吉丸はその火の少し下を狙って矢を放った。空を切り裂くひゅっという鋭い音とともに、先頭にいた男がもんどりうって倒れた。矢は喉を貫いていた。

「お見事」

黒狐も言うなり、弦を弾いた。今度は最初に倒れた男の横にいた者が胸を射抜かれて、どぅと後ろに倒れた。砂と血が混ざり合い、煙り上がったのが松明に映しだされた。

彼らは宿居(夜間警備)の者たちであろう。ほとんど全員が何かしら武器を手にしており、何人かは胴丸も着込んでいた。

吉丸は足元に押し寄せてきた男たちを改めて睨(にら)まえた。もはや、後戻りはできなかった。

(続く)

上諏訪カヤハ フェティシズムと日本史と妖怪・人外と幻想文学をこよなく愛しすぎて、 全部足さずにはいられなくなった水瓶座・A型。 好きな歴史上の人物は世阿弥。
上諏訪カヤハ公式ブログ「上諏訪山→」
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大往生ジダラク 2010年より少しずつ活動開始した新米絵描きです。1988年生まれ。和モノ怪奇モノ大好物です、座右の銘は【いやらしければなんでもいいわ!】です、宜しくお願いいたします。
大往生ジダラク公式サイト=「大往生のジダラク生活」
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10.09.16更新 | WEBスナイパー  >  口中の獄
文=上諏訪純 | 絵=常春 |