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New Style Heian Erotical Mandara [Kouchu no hitoya]
艶めかしき人外の化生に魅せられた侍が堕ちていく魔的なエクスタシーの奈落――。今昔物語の一編を題材にとり、深き闇の中で紡がれる妖と美の競演を描くニュースタイル・平安エロティカル曼荼羅。期待の新人作家・上諏訪カヤハと絵師・大往生ジダラクのカップリングで贈る会心のアブノーマル・ノベル!!およそ、阿夜の暮らしぶりを見ている限り、常の女と思うことはできない。贅沢とまでは言わないが、それなり以上の生活はしているし、どこか浮世の苦労とは無縁な風情もあった。その生業がまさか盗賊だとは思わなかったが、しかしそれはたまたま盗賊という固有名詞に表現される対象だと思っていなかったというだけで、当たらずとも遠くないその周辺のものを、吉丸は以前から意識下で考えるともなく考えていたといってもいい。
阿夜は、「盗賊の一味に与(くみ)せというのか」という問いに対して、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
阿夜は俯いていたが、その目だけは爛々と輝いていた。その輝きで、吉丸は自分が量られているのだと感じた。咀嚼を見せつけたり、笞で打ったりした時も阿夜は何かを量っていたのだと思う。
「盗賊」という言葉に吉丸は嫌悪感を抱いた。しかし同時に、
――阿夜はいろんな方法で、俺を量ろうとしている。
と考えると、なぜだか奇妙に嬉しい気持ちが湧き上がって来もした。彼はいつの間にか、何につけ阿夜から量るに値すると見なされることに対して、喜びを感じるようになってしまったようだった。
何としていいものやらわからず、吉丸もまた黙っていると、急に阿夜はわっと声をあげて泣き出した。両手で顔を覆い、肩を震わせて、かみ締めた唇から嗚咽を漏らす。
「阿夜……!」
吉丸は驚いて抱き起こそうとしたが、阿夜は顔を伏せたままその手を払いのけた。何か声を掛けようともしてみたが、泣き声にはね返されるばかりでとても会話にはなりそうもない。そうしているうちに、ついに阿夜はその場にすっかり泣き崩れてしまった。吉丸はますますなすすべがなくなり、口をへの字に曲げて、崩れた阿夜の隣に腰を下ろした。
しばらくすると阿夜はしゃくりあげながら、ゆっくりと半身を起こした。乱れた髪に、涙でしとどに濡れた顔は、まるであでやかな牡丹が嵐に責められたかのようだった。彼女は涙を袖で拭うこともせず、そのまま、ぽつり、ぽつりと喋り始めた。
「生きるも死ぬも離れられない、一蓮托生だとおっしゃってくださった契りは、まことではなかったのですね。私のことを卑しい女と思し召されたからには、もう、添い続けるお気などございませんでしょう。思いもかけなかったお別れではございますが、最期はせめて、私のほうから身を退かせて下さいまし。一時の空言を一生の思い出とかき抱いて、あの世への道ゆきの灯明と致します」
今にも消え入ってしまいそうな姿勢(しな)で言い終わると、阿夜は部屋の隅に足を引きずるようにして歩んでいった。そこには彼女がいつも白粉や紅などを入れている唐匣(からくしげ)があった。黒漆塗りの蓋が、濡れたようにつやめいている。
阿夜は蓋を開け、中から小刀を取り出した。吉丸が慌てて駆け寄ったのと、阿夜が鮎の稚魚のような刀身を引き抜いて頸に突き立てようとしたのは同時だった。吉丸が阿夜の腕を強く握って止めると、抜き身の小刀は掌からぽろりと床に落ちた。
「何をしている!」
怒鳴ると、阿夜はまた火がついたように泣き出した。吉丸は阿夜を抱き寄せると、荒々しく背を撫でた。
「落ち着け」
それは阿夜にというより、自分自身に言ったのかもしれなかった。
阿夜の言っていた「一緒に生きていくすべ」というのは、この盗賊稼業のことだったのだろう。今更止めろといったところで聞くものでもないだろうし、死のうとするのはいくら何でも脅しだったとは思うが、吉丸が首を縦に振らなかったらこれで二人の関係は終わるに違いない。おそらく短くはない期間、盗賊をしてきた女なのだから、万が一検非違使へ密告されたら……ということも考え、ひそかに素早く、住まいも変えるかもしれない。そうなったらもう二度と会うことはできまい。
今、吉丸の目の前に示されている選択肢は、二つに一つしかなかった。阿夜と別れるか、盗賊に身を堕とすか。彼の脳裏で、阿夜の口の中ですりつぶされる桃や、笞を持った全裸の彼女の姿といったものがひっきりなしに去来し、明滅した。それらを捨て、離れていくことが、果たして自分にできるのか……。
「……狙う先は、どこだ」
阿夜の背をさする手を止めて、吉丸は尋ねた。
阿夜は泣き声の間に織り込むようにして、ある貴族の名を口にした。
それを聞くと、吉丸の中で、何かがかちんと小気味良い音を立てて嵌(はま)るべきところに嵌り、螺鈿(らでん)のようにきらっと光ったような気がした。阿夜と初めて会った日、大八葉の車に乗った貴族の牛飼童に理由もなく痛めつけられ、その貴族に野良犬呼ばわりされたことが沸々と蘇ってきた。
――そうだ、これは復讐だ。
阿夜が口にした貴族が、その貴族だったわけではない。それでも彼らは吉丸の中では同一の存在として結びつき、彼の思考を急に明快で単純なものにした。
貴族や豪族といった連中に苦渋を舐めさせられたのは、あれが初めてではなかった。しかしそうではないときでも、奴らは何であれ奪いすぎていると吉丸は常々うっすら感じていた。生まれついての尊い御仁のために尽くすのは世の道理なのだと皆が疑いもしていないのは知っているし、吉丸自身もあきらめているふしはあった。しかし時折そこに疑問が生じてしまうのは、おそらく彼が自身の命を掛けて奴らのために戦うということを生業としていたからだろう。単に富を奪われるというだけなら、一生生じることはなかったかもしれない。
死を恐れ、生きたいと願う心に貴賎など関係ないと吉丸は思っていた。それは東国からやってきて、侍として腕っぷしひとつを頼りに雇い主から雇い主を転々とし、人よりも多くいろんな身分や立場の人物の生き死にを目にしてきて得た彼なりの哲学だった。しかし貴族や豪族といった連中は、下賎の者が自分たちのために死ぬことを当たり前だと捉えているように見える。特に侍など、おそらくは捨て駒以上の存在だとは思われていないだろう。
今まで彼が抱いていたその疑問は靄のように薄くはあったが、間違いなくずっと目の前にあったものだった。だが、彼は鬱陶しがりながらもそれを吹き払おうとはしなかった。吹き払ったらどんな形であれ何らかの災いが降りかかってくるであろうことを、吉丸は無意識のうちに知っていた。が、その靄は阿夜からの思わぬ誘いかけという風に吹かれて、今、彼の視界は一挙に晴れ渡った。
己自身に向けて、己自身がひたすら訥々と訴え始めた。何か目に見えない力が、力強く、だが静かに今にも身の内から溢れ出そうとしているのを感じる。
――もしも、名もあるかないかわからぬような小金持ちの民を相手にするというのであったら、盗賊などしてはいけない。しかし相手が貴族や豪族ならば、自業自得というべきだろう。これは雪辱を果たす千載一遇の機でもあるのだ……。
「わかった、行く」
頭の中ではいろんな考えが練られていたが、それに反して口は素直で単純だった。即座に、声が出た。阿夜はパっと顔を上げた。
「本当に?」
阿夜はおそるおそる確認するといった様子で首をかしげてみせた。血生臭い強盗計画の話をしているとは思えないほど、可愛げのある仕草だった。吉丸は何も言わず、頷いてみせた。夜目は利くほうだし、暗い所での多人数での戦闘にも慣れている。あとは心のほうを慣らしていくだけだ。大丈夫、きっとすぐに慣れるだろう。阿夜がいるのなら。
阿夜はゆっくりと相好を崩した。春の日の穏やかな陽光が、彼女の上に降り注いだようだった。
夜が来るまで吉丸は落ち着かない気持ちで過ごした。阿夜は夕方になると女房や下女たちに、黒い水干袴と、大弓、胡録(やなぐい・矢筒)、脚絆、藁沓(わらぐつ)などを運ばせてきて、
「今夜はこれをお召しになって下さいませ」
と差し出した。周到なものだと、吉丸は苦笑した。かつてこうやって盗賊に身を堕としていった男が自分のほかにも幾人かいたのかもしれない。その連中はどうなったのだろう。強盗の最中に死んだか、阿夜に愛想を尽かされ捨てられたか。もしくは途中で逃げ出したとか、盗賊たちと何かいざこざがあって殺されたなどということも考えられるが、とにかく今、阿夜がここにこうして自分といる以上は辿ったのはおそらくろくな道ではなかっただろう。吉丸は己が選ぼうとしている未来に、改めて言い知れぬ不安を感じた。
出かけるにはまだ少し早い時間のうちに、吉丸は装束を替えた。どうせなら少しでも早く終わらせてしまいたいという気が、そうさせた。阿夜も黙って着替えを手伝った。それは言葉で何か言われる以上に強く、「わかった、とおっしゃったのですもの、約束は決して違えませんよね?」と念を押されているように感じられた。
――俺は阿夜とずっと居たいばかりに、自分を正当化しているのかもしれない。
吉丸は水干の袖に腕を通しながら思った。それはやると決めた直後から、ずっと考えていたことだった。応と答えてしまったら何だか冷静になって、自分が出した結論を構成する要素が、あからさまに見えてきたのだった。
貴族や豪族といった連中に前々から不満はあったことは確かだ。それを今、阿夜に背中を押される形で解消しようとしているが、その根本にあるのは本来持っていた純粋な怒りや不満だけではないのは、頭が冷えた状態で省みてみれば明らかだった。
――怒りや不満「も」あったから、俺はそれを咄嗟に自分への言い訳にしたに過ぎない。
そう考えると、果たしてこの道をこのまま突き進んでいいのだろうかと、またも思い悩んでしまう。しかし、阿夜をじっと見ていると、
――だが、それが何だ。元々抱いていた怒りや不満が消えるのであれば、それでいいではないか。結果として残るものがすべてだ。
と、自分を懐柔しようとする言葉が次々と浮かび上がってくる。その言葉は、吉丸自身も今まで存在に気が付かずにいた、自分の腹の奥底にある、悪意や狡智といったものが詰まっている黒い匣(はこ)の中から溢れ出してくるようだった。
(続く)
10.09.09更新 |
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