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【12】強盗

吉丸の矢が弦から離れると、地上ではまたもう一人がのけぞって倒れた。

矢は厩の屋根の上から放たれていることに気がつき始めた敵たちは急いで自分らも弓に矢を番(つが)えてそちらを狙ったが、月どころか星さえない粘つくような夜空の下では、どの辺りに何人が立っているのかすらわからない。目を凝らして狙いを定めようとするうちに、吉丸と黒狐の矢に射抜かれて、一人、また一人と倒れていく。松明を持って相手に居場所を示しているのだから、吉丸たちにしてみれば狙い易いことこの上なかった。

味方の死体を盾にするともなく盾にして、ほうほうの態で厩にまで辿り着いた何人かは、今度は厩の闇に潜んでいた盗人たちの刃をそれと知らず真正面から受けることになった。

先頭を切って馬に鞍を乗せようとした男は、己の両腕が暗い天井に舞い飛んでいくのを見た。何が起こったのかわからず呆然としていると、たちまち肩先から血が噴き上がった。前を見ると、馬糞臭い闇の先に、狐面の大男が血に塗れた大斧を持ってぬらりと立っていた。

「へんげ……!」

絞り出すような慄(おのの)きが、男の喉の奥から口元にまで這い上がった。男は悲鳴をあげることもなく、その場にばたりと倒れた。今は気を失っただけではあろうが、出血の量からして、おそらくこのまま目を覚ますことはないだろう。

「へんげだ……」
「へんげの者だ……」

倒れた男に続いて厩に入ってきた者たちは、あかあかと燃える松明の前に戦慄を交わし合った。盗賊どもは平然と松明に映え、黒い影を厩の奥へ伸ばしている。相手方の中には、狐面の異様な風体を目にするとすぐに戦うことを放棄して、元来た道を逃げ帰る者もいた。

へんげとは、化け物の意味であった。

――なるほど、へんげか。確かにそう見えような。

矢先を次の標的に定めながら、下から立ち昇ってくる声に吉丸は苦笑した。

――すると今は俺もへんげの一味なわけだ。

ほどなくして火がすぐそばの建物にまで回りだした。それにつれて、屋根の上にいる吉丸たちの姿も黒煙を透かして照らされだした。

激しくなる一方の悲鳴と怒号と断末魔と、刃と刃がぶつかる金属音がけたたましい中で、吉丸が、

「降りるぞ」

と掛けた声が、黒狐に届いたかどうかはわからない。だが黒狐はちらりとこちらを向いて頷いたかのように見え、次の刹那にはもう、すとんと地面に両足をついていた。すでに弓は捨てられ、太刀も抜かれている。そのひと呼吸が終わらぬうちに、黒狐は駆けつけた敵の腹をひらりと身を翻して斬った。

――強いではないか。

吉丸は目を見張ったが、呑気に感心している場合ではない。すぐさま自分も飛び降りて、太刀を抜き構えた。

地上は早くも混戦の様相を呈していた。騒ぎを察した近所の家から遣わされてきたらしい侍たちも中には混ざり始めている。どこからか飛んできた矢を太刀で振り払ったと同時に、胴丸姿の男が斬り込んできた。袖の破れた浅黄色の水干を着、額から血を流した男が、その助太刀とばかりにその後に続いている。吉丸は胴丸の男がかかってくるのを半身になってかわし、水干の男の正面に踊り込むと、間髪を入れず右肩から袈裟斬りにした。前の男をかわすとは思っていなかった水干の男は虚を突かれた形になり、太刀を構えることすらできず、そのまま腰までざっくり斬られ、あっけなく倒れた。

吉丸はその足で胴丸男のほうに向き直った。最初にかわされた時に大きく振りかぶった一閃をむなしく地に叩きつけていた男は、鎧の重みのせいで崩した体勢をまだ完全には立て直せていなかった。改めて太刀を構えようとする隙を狙い、吉丸は鎧で覆われていない頸を薙いだ。頸動脈が斬られて血が噴き上がり、あたりに生ぬるい血の雨が降った。

続いて斬りつけてきた三人目を返り討ちにすると刃が脂で使いにくくなったので、そこに斃(たお)れていた敵の鉾(ほこ)を奪い、今度は自分から次の敵にかかっていった。四人、五人と斬ったあたりで周りに首(こうべ)を巡らせると、力士狐も黒狐も他の狐たちも揃って奮戦していた。どうやらまだこちら側には死者は出ていないようだった。

やがて、高い笛の音が騒乱と炎の熱気を越えて聞こえてきた。敵味方とも一瞬争いの手を止め、音のしたほうを見上げる。

「終わりにするぞ」

向き合っていた敵の胸を素早く刺して、黒狐が味方に声を張り上げた。

「持てるだけ武具を奪い、衣を剥いで、各々馬に乗れ」

狐たちがおぅっと応えるのを聞くと、残った敵の半分以上はもはやこれまでと観念したものらしく、奥へ退いていった。あくまでも戦おうとする残りのもう数人は袋叩きにされ、あっという間に膾のように斬り刻まれた。

吉丸は最初に向かってきた男の胴丸を剥ぎ、それから、あたりに落ちたままになっている武器をいくつか拾った。

ふと空を仰ぐと、夜はまだ明ける気配すらなかった。依然として燃え続ける炎の上には、相変わらず分厚い雲が揺らいでいる。吉丸は他の盗賊たちに習い、厩から馬を引き出して飛び乗った。



一行は途中で、他の門の守り手役や建物内に進入した仲間たちと、その盗品を拾って馬に乗せた。吉丸は自分が乗った馬の他にもう一頭馬を曳いてきていたが、その馬は首魁狐の手に渡った。

首魁狐は馬を受け取ると、まるで風が吹き上がったかのような身軽さで馬上の人となった。水干にはところどころ血がこびりつき、太刀の黒鞘は割れている。なよなよしいとも言えるほど頼りなさげな体つきの彼ではあったが、それなりには白刃と血飛沫の間を潜り抜けたらしかった。

首魁狐は手綱を繰(く)って、馬を一団の前に進ませた。そして何か確認するように、一度だけ振り返った。

――……阿夜?

 と閃いたのは、まばたきの間に眼睛(がんせい)に薄い膜でも掛けられたかのように、その姿に阿夜の面影が重なったからだった。いつか何かの折……詳しく思い出せるものでもない、日々の暮らしのどこかの一瞬に阿夜が、あんなふうに振り返ったことがあったような気がした。そうと思えば、背格好も、襟元や袖口から覗く肌の白さも、阿夜とよく似ているように見えてきた。

――いや、だが、しかし……。

その時、その思考を蹴散らそうとするかの如く、周りにいた狐や覆面たちが首魁狐を先頭に一斉に駆け出した。馬蹄の響きに我を取り戻し、吉丸も慌てて馬に鞭を入れる。

地鳴りを伴う蹄の音は、夜霧にまどろむ京の善男善女の夢を無遠慮に蹴破って、北へと抜けていった。吉丸は片手に盗んだ武具を抱え、片手に手綱を握り締めながら、首魁狐の背を双眸の中に捉え続けていた。その姿のどこかに、阿夜だという決め手となる何かが潜んではいないかと思いながら。



四半刻と経たないうちに狐たちは京を出て、小さな山の麓でその足を止めた。夏も夜になれば空気に涼が混じるとは言っても、炎に囲まれ「ひと仕事」し、その上、馬まで駆けさせたとなればそれなりに汗をかく。吉丸は額から流れる汗を血ですっかり汚れた袖で無造作に拭って、馬から降りた。山の際は夜空にすっかり溶け込んで、小高い稜線の影すら見出せない。

盗賊たちは誰が言うともなく円陣の形をとり、その真ん中に盗んできた品々を次々に置いていった。盗人とはいえど、仲間内では利益は均等に分配するものらしい。吉丸も、運んできた武具と鎧をその中に入れた。

「まだ出していない者はいないか」

黒狐が一団に問うた。誰も答える者はいない。

狐たちが忍びやかに囁き交し合う、真夜中の盗品分配会議が始まった。各々の言い分を聞きながら指揮を執ったのは黒狐だったが、彼は判断に迷うと後ろに黙って立っている首魁狐に何やらひそひそと話し掛けていた。最終的な決定権は、すべて首魁狐にあるようだった。

首魁狐は腕を組んでじっと話し合いを見守っているだけで、具体的な指示を出したり、己から動いたりすることはなかったが、盗賊たちの挙動を注意深く観察していることは面の上からでも窺い知れた。それは他の連中も感じているのか、何かものを言うたびに発生するぴりぴりと焼けつくような緊張感は、黒狐を越えて首魁狐のほうに届いている。

吉丸はそんな狐たちの会話を右から左、左から右と流しながら、不自然にならないように首魁狐をちらちらと覗き見ていた。何か阿夜と確信できる決め手になるようなものはないか……が、なかなか見出せずにいるうちに、吉丸の順番が回ってきた。

「お前はなかなかの働きをしてくれたな」

黒狐に声を掛けられ、吉丸は、阿夜の面影を首魁狐の上に陽炎を追うように探すことを止めた。

「そうさな、ほしいものがあったら、三ツまで、持って行ってもいい。ほら、この高杯なんてどうだね」

黒狐はぎらりと光る銀の杯を手にとってみせた。銀の残像が暗がりの中を蝶のようにひらめいて、吉丸の眼底に染みついた。

「いや、俺は……」

吉丸は思わず俯いた。「何もいらない」。

豊かとは言えない暮らしを続けてきた身からしてみれば、すぐにでもひっ掴みたい品であることは間違いない。それでも断わったのは、阿夜の「もしも誰かがあなたに何か分けようと言っても、断じてお受け取りになりませんよう」という言葉が、胸のうちに響いていたからだった。

(続く)

上諏訪カヤハ フェティシズムと日本史と妖怪・人外と幻想文学をこよなく愛しすぎて、 全部足さずにはいられなくなった水瓶座・A型。 好きな歴史上の人物は世阿弥。
上諏訪カヤハ公式ブログ「上諏訪山→」
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大往生ジダラク 2010年より少しずつ活動開始した新米絵描きです。1988年生まれ。和モノ怪奇モノ大好物です、座右の銘は【いやらしければなんでもいいわ!】です、宜しくお願いいたします。
大往生ジダラク公式サイト=「大往生のジダラク生活」
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10.09.23更新 | WEBスナイパー  >  口中の獄
文=上諏訪純 | 絵=常春 |