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New Style Heian Erotical Mandara [Kouchu no hitoya]
艶めかしき人外の化生に魅せられた侍が堕ちていく魔的なエクスタシーの奈落――。今昔物語の一編を題材にとり、深き闇の中で紡がれる妖と美の競演を描くニュースタイル・平安エロティカル曼荼羅。期待の新人作家・上諏訪カヤハと絵師・大往生ジダラクのカップリングで贈る会心のアブノーマル・ノベル!!まだ人肌の血色にひくつく小指に食いつきながら、阿夜の片手は着物を開いて女陰の影に伸び、自ら割った肉を悪戯(いたずら)になぶっていた。瞳はどんよりと淀み、頬は絶頂へ至ろうとする罪深い赤に照っている。
それはかつて吉丸が、阿夜に口元を見せつけられるたびに、現身(うつしみ)から魂が出ていきそうなほどにそそられた像には相違なかった。自身が唾液にまみれ粘膜に包まれ、貴石のように清らで硬質な歯ですり潰され、阿夜の肉体に取り込まれる……たとえ指の一本に過ぎないにせよ、それは吉丸が願って止まなかったことのはずだった。
「あぁぁ……ああああ あぁぁぁぁ!!!!」
吉丸の口からわずかな呻きが吐き出された。と思ううちに、その声は、湧き水が流れるうちに土を削って荒ぶる大河となるのを思わせて、咆哮となった。
肉体の痛み、三郎を失った悲しみ、阿夜への愛執・怒り・猜疑、絶対に叶うはずがないと思っていた倒錯的な行為への憧憬、それが叶ってしまった戸惑い、驚愕……いずれが彼の口に人のものとも聞こえない咆哮を迸(ほとばし)らせたかは、吉丸自身にもわからない。あるいは、そのすべてだったかもしれない。
みし、みしと、磔台が、本来なら出すはずのない奇妙な音を立て始めた。木がきしむ音だった。
自分の名を呼ぶ三郎の声と阿夜の声が、そのきしみの間を縫って吉丸の耳元でふわりと重なったような気がした。
人外じみた咆哮が人外じみた怪力をもたらしたものか。ついに、木が割れ砕ける音が、部屋の内に響き渡った。吉丸は手枷、足枷を信じられない剛力で引き抜いてしまった。あたり一面にはらはらと木屑が舞って、一瞬、視界が煙った。
吉丸はしばらく肩で息をしていた。何度か、木屑を吸い込んでしまって咽(むせ)た。
「吉丸さま……」
木屑散る中に佇んだ阿夜の双眸は、その時にはもう泥のような濁りから醒めていた。情火に爛(ただ)れた情火の面影など微塵も感じさせない透明な涙が奥から湧き出しては、次から次へと零れ落ちていく。官能の波が去って白々と血の気の引いた頬が、しめやかに濡らし上げられていった。
吉丸はよろめきながら、黙って離れを出た。指も痛かったが、手足の筋肉も痛かった。体が勝手に動くにまかせていると、足はひとりでに母屋に向かった。いつもと変わらず動く右手と、激痛で動かしづらい左手で衣を纏い、揉烏帽子(もみえぼし)をかぶり、太刀を腰にする。途中、阿夜が蹴倒した膳や椀に何度かつまずいたが、起こったことは端から忘れていくので別段気にはならなかった。家を出ようとすると、いつから後ろにいたものか阿夜が追い縋ってきた。吉丸が振り返りもせず突き放すと、薄い体がひらりと舞って、部屋の奥へ滑っていった。
藁草履を履いて表に出ると、夜はすっかり青々と深まっていた。夜更けというにはまだ少し早い時間ではあったが、出歩く人の姿はほとんど見えない。虫の音があちこちからうるさいほどに鳴り聞こえていた。
吉丸はすぅ、と大きくひとつ息を吸った。目の前には、白い砂のぼんやりと浮かび上がる小路がどこかへ向かって静かに伸びている。彼は自分の体重をどうしようもなく重く感じながら、ふらふらと歩き出した。
空一面に広がる厚い灰色の雲が、地面を押し潰しそうだ。
「降りますかねぇ」
吉丸の横で、両手持ちの大槍を携えた若い侍が、幼さの抜け切っていない顔を空に向けた。がっしりした筋骨で形作られた大きな図体のわりには、頬の線には子供じみた丸っこさが残っている。おそらくまだ十代を出てはいないのだろう。
「さぁな」
太刀を腰に差した吉丸は、上を見もせずに憮然と答えた。
骨にまで染み入るような寒さは、彼らに「何が」とまでは言わせなかった。もちろん、雪が、である。
吉丸は若い侍に気づかれないように、苛立たしげに左手を軽く握った。
小指を失ったのは、早一年以上も昔のことになっていた。傷は完治していたが、寒くなると芯が疼くように痛みだす。しばらくの間は冬が訪れるたびにこの痛みと付き合っていかねばならないのだろう。かつて会った老いた侍たちが、この季節になると冬将軍が古傷をなぶりにやってくると自嘲めかして語っていたのを、吉丸は今になって身をもって理解した。
大晦日(おおつごもり)まであと数日もない、冬の日である。
今日は朝から屋敷じゅうが騒がしかった。今、申の四刻(午後四時半頃)を過ぎようとしているが、もともと屋敷に仕えている侍たちのほか、近隣からも武装した男たちが続々と集まっている。夜には検非違使庁から放免の派遣もある予定だった。吉丸と若い侍は武装を整えた姿を中庭の池に寒々と映しながら、日が暮れるのを待っているところだった。
あの後、吉丸は数日の彷徨を経て、結局元の主の屋敷へ戻ってきた。とりあえず帰る場所として、ほかに思い当たるところもなかったのだ。
断わりもなく突然、数カ月も姿をくらませていた吉丸に主も最初は怒ったものの、「盗賊の集団に捕らえられていたが、隙を見計らって幾人かを討ち取り、逃げ出してきた」と嘯(うそぶ)くと、逆に頼もしいものとしてあっさり再度の伺候を許した。まったく嘘でもなかったことと、心身の疲労から来るある種の開き直りが、嘘を嘘を思わせないしゃあしゃあとした物言いにつながった。まだ消えていなかった笞の跡や、小指を失ったことなども、その嘯きに真実らしい色を添えた。
平穏な日々を繰り返して落ち着きを取り戻すと、吉丸は阿夜のことを思い出すようになった。それは漠然と夢の日々を追いかけるようなものではなく、もっと生々しい追憶だった。彼は阿夜の美貌を思い出し、甘えと媚態を思い出し、快楽を求めることを恥じらわないふしだらな白い肌を思い出し、唾や咀嚼物や、かつて「神水もかくや」と思った排泄物や口淫を思い出し、そして、そのたびに全身をかきむしりたくなるような愛欲に苛まれた。
傀儡女(くぐつめ)でも屋敷の下女でも、あるいは町の販(ひさ)ぎ女の中にも、抱こうと思えばすぐに抱ける女はいたし、実際何度も抱いた。しかしそうして訪れる充足感は、まだ女体の上に伏しているうちから空しさにとって変わるのが常だった。吉丸は、単なる肉と性器の鬩(せめ)ぎ合いでは満足のできなくなった体を持て余していた。三郎のことを忘れたわけでは、もちろん、ない。どれほど経っても阿夜が三郎を貶めるような行為に及んだことは許せないし、阿夜が首魁狐だったらと思えば、怒りは強まる一方だ。だが、それとは別のところで、彼は一個の得がたい女の肉として阿夜を求めていた。
しかし、会いたいという思いがどうしようもなく身を猛らせそうになると、制御装置が働くかのように、失われた小指の根元に視線が自然と流れるのだった。その部分をじっと見ていると、手綱が切れた暴れ馬のように体じゅうを駆け巡っていた狂おしさが少しずつ治まっていく。
小指の痕に溜息をついては淫欲を鎮める頻度は、日を追うごとに少しずつ減っていった。そして気がつけば、阿夜とは会わないまま二度目の冬を迎えている。今もまだ時々は触れられぬ柔肌が瞼(まぶた)に迫る夜を迎えることもあるが、それもこのまま辛抱を続ければ、春になれば雪が溶けるようにいずれはすべて忘れてしまえると思えた。
……思えていたのだが。
昨夜から、ここ数カ月なかったほどに阿夜のことを思い出しているのは、彼の好色によるものではない。
最近、妙な色目を前にも増してよく遣(つか)うようになった、屋敷に来る販ぎ女の娘……かつて吉丸が口中の桃を食い入るように見つめ、それが阿夜の元へ通うきっかけとなったあの小娘が、昨夜日もとっぷり暮れた頃に、母に連れられて屋敷に駆け込んできたのがそもそもの発端であった。
母子が訴えることには。
その日、娘が夕暮れ近い市の隅で遊んでいると、狐のように見える奇妙な面を腰蓑の奥からちらちら覗かせている男が通りを歩いていくのが見えた。その面の珍しさに娘は雑踏を潜(くぐ)り、男の後をつけた。しばらく追いかけていると、男はとある小路に面した家の中に入っていった。
好奇心をそそられた娘は家の裏手に回り、壁に耳をつけて、中で話していることを聞いてみた。ちょっとした細作(密偵)ごっこのつもりだった。
だが娘ははからずして本物の細作の役を負うことになってしまった。そこで話されていたことは、盗賊の集団が、吉丸が仕える主の屋敷を襲う手筈についてだったのである。娘は恐ろしくなって慌てて母の元に戻り、その話を聞いた母はこれもまた驚いて娘を連れて屋敷に駆け込んだ。
決行がその夜ではなく、翌日の夜だったことが幸いした。
主は夜のうちに近隣の豪族や貴族たち、検非違使庁に、盗賊を迎え討つための戦力の派遣を依頼した。男が狐らしい面を提げていたと聞くと、彼らは嫌な顔をするどころか喜び勇んで応じた。このところ京を跳梁する盗賊の数は増えるばかりであったが、それでも狐面の一党ほど怖れられ、憎まれているものはいなかった。彼らは昨年頃から急速にその悪名を方々で轟かせるようになっていた。残忍にして狡猾、精強にして迅速、そして神出鬼没。それらからなる天災のような被害に、煮え湯を飲まされていた者は少なくなかったのである。これを機に一網打尽にし、枕を高くして眠ろうぞと、依頼を受けた富者たちは各々のつわものを寄越すことを躊躇(ためら)わなかった。主の北の方や子供たちは、早暁に牛飼い童が急き立てる牛車で親戚の家に避難した。
盗賊どもに対しては、馬鹿正直に正面から迎えるようなことはしない。それぞれ指定された場所に隠れ、盗賊どもがあらかた敷地に入ったところで示し合わせて飛び出し、袋叩きにすると決まった。吉丸は隣の若侍と、今いる池のほとりの、冬枯れた山吹の陰に潜むことになった。合図が出たら、他の近しい場所に隠れている侍たちと中庭に踏み入ってきた敵を囲む。
狐面の一党といえば、かつて自分が与していた「あの」狐面の一党より他にはないだろう。阿夜はまだそこに身を置いているのだろうかと、吉丸は池に映った己の武装に目を泳がせながら考えた。恨みといえば恨みもあるがこういう形で晴らしたくはないし、未練といえば未練もあるがこういう形で再び接点を持ちたくはない。首魁狐の正体が阿夜ならば、命も直接の危機に晒されよう。つい先ほど、寒さ避けのためと、ここ一番の戦功を期待して主が皆に振る舞った酒盃にも、 吉丸は愁眉を開くことができなかった。
(続く)
10.11.04更新 |
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