注目の大型官能小説連載 毎週木曜日更新!
New Style Heian Erotical Mandara [Kouchu no hitoya]
艶めかしき人外の化生に魅せられた侍が堕ちていく魔的なエクスタシーの奈落――。今昔物語の一編を題材にとり、深き闇の中で紡がれる妖と美の競演を描くニュースタイル・平安エロティカル曼荼羅。期待の新人作家・上諏訪カヤハと絵師・大往生ジダラクのカップリングで贈る会心のアブノーマル・ノベル!!ある日、ついに吉丸はうっかり昼前まで寝過ごしてしまった。格子を上げて外を見てみると、すでに中天近くまで上った太陽が道を突き刺すように照りつけている。血の気が引いた。急いで屋敷に向かおうと慌てて小袖に腕を通す。何と言い訳したらいいのか考えると気が重くなった。
「そんなに焦らなくても、もういっそ、ずっとこちらにいらっしゃればよいではありませんか。ここにはここで、吉丸さまが生きていくすべはございますもの」
焦燥と消沈の間をせわしなく行き来しながら身支度を整える吉丸に、一緒に目を覚ました阿夜はあくびをしながら暢気な声を掛けた。多少の遠慮はしているが、しいてかみ殺す気もなさそうなあくびである。吉丸はいつも早朝には家を出るが、阿夜は昼頃まで寝て、午後になってやっと動き出すのだと本人が言っていたことがあった。彼女にとってはこれがいつもの起床時間なのだろう。
「生きていく、すべ?」
吉丸は袴の紐を結ぶ手を思わず止めて問い返した。今の勤めが嫌なわけではないが、ここで阿夜と暮らしていく方法があるというのなら、どんなことなのか知りたい。
「まぁ、まずは朝餉に致しましょう」
阿夜は吉丸とは対照的に、あくまでものんびりとしていた。すべというのが気になった吉丸は仕方なく残ることにした。彼は気もそぞろに、運ばれてきた粥を口にした。
だが、食事を始めても阿夜がそれについて何かを話し出す様子はなかった。ついにいてもたってもいられなくなった吉丸は、強い口調で質問を投げかけた。
「申し上げる前に、いろいろと準備がいるのです。もう少しお待ちいただけませんか」
「準備だと? 仕事の内容を言うだけなのに、いったいどんな準備が必要だというのだ」
吉丸には阿夜が言っていることの意味がまったくわからなかった。しかし、埒があかないと腹を立ててここを飛び出すことをしない以上は、黙ってそれを待つしかない。好奇心に抗うことができず、吉丸はとうとう今日は屋敷には戻らない腹を決めた。どうせすでに半日は潰してしまったのだ。
食事が終わると以前のように女房や下男が部屋に入ってきて膳を片付け、丁寧に掃除をし、また出て行った。阿夜は去っていく女房を呼び止めて何かそっと囁いたが、何と言っているかまではわからなかった。
そのまま、時がゆるゆると過ぎていった。阿夜はずっと磨き上げられた紫檀の脇息(きょうそく)に肘をもたせかけてうとうととしている。準備とやらが進んでいるのか気になって仕方がない吉丸は何度も声を掛けたが、阿夜は生返事をするばかりでとても話にならなかった。
ついに表の日差しが傾き始めてきた。道々を優しく撫でるような穏やかな斜陽が煙った後、風景は徐々に黄昏の中に溶け込んでいった。吉丸はすっかり退屈して、いつしか自分もまどろみの淵を浮きつ沈みつしていたが、ふと目を覚ますと隣にいたはずの阿夜がいない。
「阿夜」
いつの間にか部屋はずいぶん暗くなっていた。ひと刷毛ひと刷毛墨が重ね塗られていくように、闇が濃さを増していく。名を呼んでも返事のない静寂に、吉丸は子供時代、昼寝から覚めて近くに母がいなかった時のことを思い出した。寂しいという気持ちといとしいという気持ちは近いところにあるのかもしれないと、吉丸はふと思った。
板敷きを軋ませて、誰かがこちらにやってくる音がした。近くに無造作に置いたままにしていた太刀を素早く手に取り、目釘を唾で湿らせてすぐに抜けるようにする。気構えすぎかとも思ったが、昼から夜の間、この家で何が起こっているのか吉丸は何も知らない。用心するに越したことはないと思ってしまうのは侍の性(さが)だ。
足音は部屋の手前で止み、同時に遣戸がさっと開いた。そこには、烏帽子をかぶった男の影があった。小柄でほっそりとした背格好をしている。少年だろうか。吉丸は太刀の柄から手を離さずに男の影を睨みつけた。肌がたいそう白いらしく、衣服に包まれていない部分が薄闇にほのかに浮いていた。が、夜陰が深まりつつある上に燈台も灯っていないので、どんな顔かたちの何者なのかまでは識別することができない。わかるのは、どうやら柿渋色らしい水干を着ているようだということ程度だった。
柄を握る指に力を込めると、影は急に、聞き覚えのある鈴を鳴らしたような声で笑い出した。吉丸は呆気にとられて目を丸く見開いた。
「阿夜……なのか?」
影は笑いながら吉丸のほうにゆっくりと近づいてきた。次第に輪郭がはっきりしてきて、数秒も経たないうちに、それは阿夜の姿になった。
だが、普段目にしている阿夜とは、だいぶ様子が違う。
「なぜ男の形(なり)などしているのだ」
阿夜は完璧に男装していた。安堵と驚き、どちらにも振り切れない心情が吉丸の声を上ずらせる。
「好きなんです、こういうのが」
にっこり、とだけいうには含むところがありすぎるように見える阿夜の笑顔が薄暗がりの中に映えた。男装ながらも口に紅だけは塗っており、喋ると、真紅の牡丹が夜霧に霞みながら開くかのように悩ましげだった。
「そんな答えがあるか。わけがわからんぞ」
吉丸は太刀の柄から手を放し、決まりが悪そうに頭をぼりぼり掻きながら不貞腐れたように言った。相手が阿夜だとわかって落ち着くと、先ほど必要以上に警戒を見せたことが急に気恥ずかしくなった。
「それ以外に理由なんてないんですから、仕方ありますまい」
阿夜は引き締まった瞳孔で、吉丸を一直線に見つめていた。
「お前はそういう変わった業の元に生まれたのであろうと、あるお坊様に言われたことがあります」
阿夜がそう言い添えると、二人の間は、何か消化の悪いような沈黙で満たされた。
どこからか牛飼童が牛を叱咤する高い声が届いてきた。乗っている主も童も、すっかり暗くなってしまう前に早く帰りたいのだろう。それが過ぎると、もう往来からは何も聞こえなくなった。
「俺がお前と出会ってしまったのも、きっと業なのだろうなぁ」
沈黙に居心地の悪さを感じ始めて、吉丸は自嘲まじりの溜息を吐き出した。業といったら大袈裟かもしれないが、阿夜には目には見えない蜘蛛の糸のような細いもので、これまでの価値観だとか嗜好だとかいうものを巧妙に絡め取られてしまったような気がずっとしていた。
「そう思っていただいているのでしたら、話が早いですわ」
阿夜はすかさず返した。
「なに?」
「私たちが浅からぬ仲になって、今、こうやって顔を突き合わせているのも、きっと前世から背負っている業でございましょう。私たちは、生きるも死ぬも、もう離れられないに違いありません」
何を世迷言をと笑い飛ばしたくなる気持ちはあったが、すっかり立ちこめた闇が息をするたびに喉元に粘っこく絡みつくようで、なぜかそれを言葉にすることはできなかった。かわりに、
「一蓮托生か」
そんな仏の言葉が、ふと口を突いて出た。
まだ上がったままの格子の外から今宵最初の夜風が忍び入ってきて、くちなしが清冽に香った。昼間は夏の日差しが地上をカラリと乾かすが、夜になると天界の下には湿気が溜まり、それとともに匂いや思いといった目には見えないものが充満していくように思えた。
阿夜はくるりと踵を返すと、
「こちらへ」
と、入ってきた遣戸に手を掛けた。
訝りながらも阿夜についていくと、小さな庭に離れがあった。入り口はすでに開け放されている。阿夜に続いて吉丸も中に入った。
畳四畳ぶんほどにも満たない部屋にはすでに燈台が灯っていた。古びてはいるが豪華な漆や金塗りの櫃や几帳、脇息や屏風などが、並べられて、というよりは押し込まれており、灯の揺らぎにほの明るくその姿を浮かび上がらせていた。
だが、吉丸が最初に目を奪われたのは、部屋の真ん中で不吉な黒ずみ方をして四方を睥睨するかのような存在感を放っている磔台だった。それもただ磔にするだけでなく、罪人の手足を括りつけ、背中や臀部を剥き出しにして苔(むち)や杖を打つためのものである。市で見せしめとしてこれに括りつけられ、罰を受ける罪人の姿を吉丸はこれまで何度も見てきた。
このようなものをなぜ置いているのか。そして、阿夜はなぜ自分をここに連れてきたのか。何だか悪い予感がした。何も考えず次々突っ込まれた感のある他の調度品に対して、磔台はどう見ても「使いやすそうな」位置に置かれている。
立ちすくんだ吉丸の後ろで、阿夜が錠を掛ける音がした。
「怖いですか」
阿夜は訊いた。何が、とは言わない。
怖いなどと答えられるわけがなかった。
「まさか」
短く返すと、阿夜は
「それでは」
と、吉丸の着物を脱がせ、あっという間に磔にしてしまった。髪は荒縄でまとめて留められた。
――おい、妙に慣れた手つきじゃないか。
怪しく思ったが、尋ねることはできなかった。阿夜はあらゆる「なぜ」を断固として拒否する空気を紗の薄衣のように纏っている。阿夜と二人で居続けるために何をしなければいけないのか今はわからないが、おそらくこれからも、何か暗鬱とした秘密の上に張られた細く脆い綱を、下の暗がりを見ぬふりして渡っていかねばならないことはあるのだろうと、吉丸は思った。
(続く)
10.08.12更新 |
WEBスナイパー
>
口中の獄
| |
| |