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New Style Heian Erotical Mandara [Kouchu no hitoya]
艶めかしき人外の化生に魅せられた侍が堕ちていく魔的なエクスタシーの奈落――。今昔物語の一編を題材にとり、深き闇の中で紡がれる妖と美の競演を描くニュースタイル・平安エロティカル曼荼羅。期待の新人作家・上諏訪カヤハと絵師・大往生ジダラクのカップリングで贈る会心のアブノーマル・ノベル!!それからさらに数日後、いつものように京の夜空に足音を響かせて阿夜の住まいに着いた吉丸は、ついに彼女に会うことができた。戸を叩き、ここ数日間ですっかり混ざり合ってしまった期待と緊張と一足早い諦めに胸を締めつけられるような思いを味わいながら家人が出てくるのを待っていると、阿夜がひょっこりと顔を出したのである。
悲しい慣れから、今日も老婆が出てくるとばかり思っていた吉丸の喉から、驚きの感情が声になって搾り出された。
「……阿夜」
それと同時に、「おあずけ」を何度も食らうことで膨張し続けていた慕情が、頭の中でぱんと音を立てて弾けた。気がつくと吉丸は土を蹴って一歩前に踏み出し、阿夜の体を抱きしめていた。突然力強く抱きすくめられた阿夜の口から、はっと息が漏れた。
その刹那、阿夜の目は雪の夜に鋼がぎらりと光ったかのように冷たく底光りし、口元には酷薄そうな微笑が浮かんだ。しかし、吉丸がそれに気がつくことはなかった。彼に見えていたのは漆黒の髪と、細い肩と薄い背中と、それらをかき抱く自分の両腕ばかりだった。
二人はしばらく無言で抱き合ったままでいた。阿夜の心臓の音が吉丸に、吉丸の心臓の音が阿夜にくちなしの香りを纏わりつかせながら届いた。吉丸は今になって初めて、この家の傍にくちなしの花が咲いていたのだということに気がついた。
「危のうございます、火が……」
阿夜は吉丸の胸の中で軽くもがいてみせた。見ると、手燭から立ち上る火が吉丸の衣を焦がしそうになっている。
「すまない」
吉丸は慌てて飛び退いた。一歩引いたところから改めて見やると、阿夜は練絹の単を羽織っただけの、簡素というよりはあられもない姿をしていた。吉丸はここに来た目的も忘れて思わず目を逸らした。
阿夜はそれ視線を追っているのかいないのか、
「さぁ、お入りになって」
と、何食わぬ顔で吉丸の腕を取り、戸の中に引き入れた。
部屋に入ると、すでに切燈台に火が灯っていた。小さな炎のゆらめきに映し出される様を見る限りでは、家の中は以前来たときとどこといって変わっていないように見えた。こうしてみると、一カ月も経っていないというのに、あの日の出来事はずいぶん昔に起こったことのような気がする。待ち遠しく思っていた気持ちがそう思わせるのだろうか。
「突然いらっしゃるのですもの。今、寝床の用意をさせてまいります」
阿夜はそこで待つように吉丸に言って、自分は一人奥に消えていった。俺は突然だったつもりはないのだが、と吉丸は言おうとしたが、口をつぐんだ。今さら言っても栓のないことだ。だが、老婆からは何も聞いていなかったのだろうか。まぁ、あの無愛想な老婆なら、主人の元に訪れた妙な男について、いちいち報告していなかったとしても不思議ではないが。
とり残された吉丸は、他の男がここに来た形跡はないか、あたりを目を皿のようにして見まわした。しかし、燈台の明かりでは細かいところまでは到底確認できない。そうこうしているうちに阿夜が戻ってきた。手に小さな籠を抱えている。
「準備をさせておりますので、しばらくお待ち下さいね。その間に、水菓子でもいかが」
籠の中を覗いてみると、阿夜の元に戻ることを決心した日に物売り女の娘が食べていたのと同じような小ぶりの桃が、何個か転がっていた。
吉丸はまず息を、その次に唾を呑み込んだ。
「俺は、いらないよ」
それよりもお前が食べるところを見たい、とは言えなかった。
「あら、桃はお嫌いですか?」
「そうではないのだが……腹が減っていないんだよ。お前が食べるといいよ」
吉丸は籠を阿夜のほうに押しやった。
「まぁ、それは残念ですこと」
阿夜は拗ねたように言うと、籠から桃をひとつ取った。びっしりと生えた柔らそうな産毛が、燈台の明かりを受けてきらきらと輝いている。
阿夜は桃を両手で持って、艶やかな唇を近づけた。これから桃は、白く硬い小さな歯による噛み砕きの洗礼を受け、現世(うつしよ)での形を放棄した後、唾液の海でしばらく漂って、それから真っ暗な洞穴を思わせる穴の中にどこまでも落ちていくのだ。それを想像すると、吉丸は自分の体がかぁっと熱くなるのを感じた。
阿夜が、桃に口を近づける。
しかし、顎が上下に開かれ、その唇と歯に今にも桃が触れようとした瞬間、阿夜は動きを止めた。それまで下を向いていた長い睫がぱっと跳ね上がる。じっと覗き込んでいた吉丸に、何の前触れもなく射るような視線が投げ返された。吉丸と阿夜の目が合った。知らぬふりを決め込もうとするには、遅すぎた。
「いただきます」
阿夜は桃に齧りついた。
切燈台の火は相変わらずちらちらとか細く、しかし消える様子はなかなか見せずにしぶとく燃えている。その芯が焦げるちりちりという音と、次第に荒くなる吉丸の息づかいと、それらに比べれば殊更に大きい、阿夜が桃を咀嚼するねずみの鳴き声のような音が、夏の夜に染み入っていった。
その夜から、吉丸はほとんど毎晩のように、阿夜の元へ通うようになった。
今までの「当たり前」とは懸け離れた日々が過ぎていく様は、まるで幻を見ているようだった。わざわざ訪れて共寝もせず、ただひたすら相手がものを食べるのを見ているだけで満足する日が来ようなどとは、吉丸は思いもしなかった。もちろん体を重ね合わせるようなこともそれなりにはするのだが、咀嚼を眺めることに比べたら大したことはないと言わざるを得ない。もしどうしてもどちらを選べと言われたら、彼は躊躇なく後者を選ぶだろう。
阿夜も、そのことについて文句は言わなかった。それどころか、実際にどう思っているのかわからないが、少なくとも表面上は、吉丸がそれを喜ぶのなら嬉しそうに食べていた。
食べるものは水菓子ばかりだった。高価な水菓子を毎日のように口にできるなど、本当に阿夜はどういう身分の何者なのだろう。吉丸は折を見て再び何度か尋ねてみたが、 阿夜はやはり何も答えなかった。しかしそれでも吉丸は通い続けた。
阿夜はそのうちに、自分がものを食べる姿を見せることで吉丸を弄ぶようになった。殊に、吉丸が自分の口の中を覗きながら手淫するのを好んだ。時には、吉丸がもう少しで果てそうだというときに、わざと口を閉じてしまうこともある。そんなときの泣きそうな吉丸の顔を阿夜は意地の悪そうな、だが吉丸にはどうしても憎むことのできない笑顔を浮かべて満足そうに眺めた。吉丸が約束の時間より遅れて来た日には、目隠しをさせて咀嚼の音だけ聞かせて悶えさせた。両手を縛り上げて、自分では触れられなくなった男根に咀嚼物を垂らしたこともあった。機嫌がいいときや、吉丸の反応が気に入ったものだったときは、仰向けに寝かせた体に覆いかぶさって咀嚼物を落としたり、口うつしで流し込んで与えたりもした。
「まるで餌付けをされている気分だ」
と吉丸が言うと、 阿夜は何か意味深げなものが底に横たわっているような微笑を返した。
言葉遊びの上ではなく、それは実際に餌付けのようなものだった。唾液がたっぷり馴染んだ咀嚼物がもたらされるたびに、彼女のためなら何をしても構わない、どうなっても構わないという気持ちが強くなっていく。
最初は単に美人の生々しく汚らしい一面を見るという点に猟奇的な情欲を抱いただけだったはずだ。だが本来、ほんの気まぐれの一形態として捉えられるべきだった情欲は逆に吉丸を取って喰らい、中毒性を伴った阿夜への恋募を植えつけた。そうして生まれた毒々しい恋の先行きにあったのは、中毒性ゆえに絶対的な存在となった彼女への従属願望で、それは初めて会った夜にすでに芽生えかけていたと今になってみれば思うのだが、あの時は正体がよくわからなかった。
いつの間にか吉丸は咀嚼物を見ることに熱中するあまり、咀嚼物にすっかり己を重ねるようにすらなっていた。羨望まで抱いていたといっても過言ではない。体液で浄化されながらむごたらしくすり潰された水菓子は、やがて一滴残らず飲み込まれていくという儚い運命を辿る。しかし、目に見える形としては跡形もなくなったとしても、今後は阿夜の血肉の一部になり、彼女そのものに永遠に寄り添い続けることができるのだ。
だが、そういうことを考えれば考えるほど、吉丸は同時に身をかきむしりたくなるような絶望に苦しめられもした。どう足掻いたところで、吉丸自身が阿夜に飲み込まれるなど、物理的に不可能である。しかし、唾液の混じった咀嚼物を与えられると絶望は多少和らぎ、その後により強く阿夜を慕う気持ちが湧き上がってきた。
吉丸は次第に昼間の仕事に身が入らなくなっていった。しっかりしなければという気負いはあるのだが、ほぼ毎晩のように夜を徹して阿夜と起きていると、さすがに体力も気力もなくなってくる。常に意識が朦朧として、ふと気が遠くなるようなことが一日に何度も起こるようになった。
(続く)
10.08.05更新 |
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