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ケッツの穴の道を極めるためにも、ゆとりということを学んでおいたほうがよいでしょう。今回の講義では、技術とともに、ゆとりの境地へと到達するための道筋をお教えします。そうそう、この辺で痒い痒い汁のこともぜひ話しておきましょう。必ず実行に移すように。大量の温水や、強烈な薬液による腸管粘膜への圧迫や刺激に、ケッツの穴(第一関門)は痺れて開いてしまっても、必死に尻たぶ(第二関門)で耐えぬけば、やがては眼前に極楽が見えてくるのですが、尻たぶに必死三昧の力を込めていても、腸管を圧迫する液の苦痛は、痛くて苦しくて、腸が今すぐ破れそうに思えて、なまじっかの根性ではとても耐えられません。
そんな時、もし誰かがそばに居たら、その人の手を借りるといい。テニスポールや掌や、しぼったタオルなどで、開放してしまったケッツの穴を塞いでもらうのです。船の侵水を防ぐのと同要領です(現在では便利な肛門栓としての働きをする器具も色々と出廻っていますが、肛門に栓をする方法については後日改めて解説します)。
どんな完璧な肛門栓があっても、自分の手で施したのであれば、激痛の余り、思わず自分の手で取り外してしまいますから、なかなか自分一人では道は極められるものではありません。誰かに両手足を縛ってもらい、自由を完全に奪ってもらわなければ、苦痛からどうしても手がそこへ伸びてしまいます(とはいえ、高血圧などで身体が健全でない人にそんなことをすると、あっけなく、パタッと心臓が止まるかも知れませんので用心するように。ケッツの求道者は平素から健康にはよく気を付けて、身体中を鍛えておかねばならないということです)。
さて、そうして耐えに耐えて虫の息でケッツの穴の紐を開放してすべてを放出する時の快美さと言ったら、体験者のみの味わえる天国の味です。
耐えに耐え抜いた挙句に開放されたケッツの穴は、まるで栓を外したトマトケチャップの瓶を倒したように、ポッカリ開いた口から、中身がドロドロ、ドバアッと押し出されてきて、見る人によってはそれは活火山から流出する溶岩流を思わせる、正しく哲学的な情景です。
そこまで耐え抜いた挙句に放出することは、全力を出し切って戦った勇士が矢尽き刀折れて戦死したのと同じ、名誉ある行為で、見る人に感動を与える筈です。これが肛門求道者の試練の第一歩です。
第四課 さらなる関門
大量の温水や薬液を腸内に収めて、耐えに耐えて、その後排出すると、それだけで全精力を使い果たしますから、しばらくはぐったりしてしまいますが、そこで終わっては進歩がないのです。小休止の後、さらなる試練に立ち向かうのです。
小休止をしながら何度も何度も、出来得るなら一晩中、大量液の注入と、耐え抜いた挙句の排出、これを繰り返すのです。しかも一回目より二回目、二回目より三回目と、徐々に入れる液の量を増やし、耐える時間を長くして。
その作業を続けると、液や空気の注入に対して、腸粘膜が柔軟に対応できるようになり、腸管も柔軟性を増し、よく拡がり、苦痛が少なくて、より多量を収容するように慣れてきます。
さあ、そうしたら繰り返しの注入と排出により、もうどれだけ排出しても出て来る物は、少しも黄色味を帯びない、純な無色透明の水ばかりという状態になるまで、洗滌を続けましょう。
排出した水が無色透明になり、他に全く何も出なくなったら、初めて腸内が完全に洗われたということになるのです。
さあ、そこまで至ってこそ、初めて、息んで腸内の液を高圧タンクへ逆流させることが出来るのです。
洗滌が不完全で、排出液がまだ黄色のうちは、液の中に軟便や椎茸や烏賊(いか)の未消化物が混在しているので、この状態で息んで、液を逆流させようなどという小生意気な真似をすると、ゴム管にそれらが詰まってしまって駄目になるからです。
完全に洗滌を済ましていれば、ゴム管を挟んだ尻たぶをぴたりと締め、太股もぴたりと合わせ、そうしてウンと腹筋に力を込めると、高圧で下りてきていた液は、逆にピューッと頭上のタンクの中へ向かって、鯨が潮を吹くように逆流するのです。
タンクを見ながら腹筋の力を入れたり弛めたり調節して、液を腸内に収めたり又吐き出したり、そのような芸当が自由自在に出来るようになってこそ、初めてゆとりの境地に入れるのです。
(続く)
11.06.08更新 |
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