第45講 刺して刺されて【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
※回数表記について
第二課 三連姦
またもや自分のチンボを握ってしごき始めた小父さんは私の背後に廻り、「頼む、入れさせてくれ、もう耐えられんよ!!」と実に真剣な表情で私に迫り、膝立て姿勢で小母さんの白い大きなお尻を串刺しに貫いている私の背後に重なり、ピンピンの弓のように反ったチンボを私のお尻の溝に押し当て、突いてきます。
私が両方のお尻の肉をきゅっと締めて閉じ合わせてやると、小父さんはあせって何回も何回も牛の角のようにズンズン突いてきます。
私のお尻の谷は小父さんのチンボの鈴口からあふれる透明な粘りのある液でベトベトになり、私は小父さんのチンボが段々硬度を増し、薩摩芋のように硬くなるのをお尻に感じました。
うん、これなら障子紙に突き立てたら連続で何百回も、ミシンの針のようにブスブスと刺さるだろうなどと思いながら、ふっとお尻の筋肉の力を全部抜いてやりました。
筋肉のよく締まった谷間を貫徹しようと健気にいどむ小父さんは、急に私が谷間を拡げたものですから、粘膜のぬめりに導かれて思いも寄らず、ズルンと私の中へ滑り込んできました。
小父さんのチンボを直腸一杯に頬張った私は、小父さんが恥骨を私の谷間に押し付けてきた時、意識して括約筋を引き締めてやりました。「おう、締まるわ、これはよく締まる。ううっ、喰い千切られそうだ。ううっ閂がかかったようだ。これは凄いぞ!!」と感嘆していた小父さんですが、私が締め付けっ放しにしてやると、腰を引こうにも万力で挟まれたようにムスコがビクともしないのです。
こうやってお尻の穴を強い力で締め付けてやると、括約筋や挙肛筋の緊張による刺戟からチンボがピンピンに立つものです。
小母さんの直腸に刺さったままの私の善光寺チンボが更に元気になったのですから小母さんがあえぎ出しました。
ケッツの穴を締めながら腰を前にズンとせり出すと、チンボの首根っ子を咥えられた小父さんも私の肛門に手綱を取られる形で前に引っ張られ、私が腰を引くと、よく張った私のチンボの鰓が直腸の襞をこするので、小母さんの尻が今度は私のチンボに引っ張られて後ろへ付いて来ます。
これはいいです。私はチンボとケッツの穴とで一組の夫婦を完全に捕虜にしたようなもので、私の腰の動きで小父さんも小母さんも、干満の潮の流れに激しくもまれる鳴戸の若布のようにゆらゆらゆり動かされ、その余りの快感に前と後ろで各個に吠えまくっています。
私の大きなチンボが前進する時は小母さんは直腸が充満して圧迫され、内臓が口から飛び出しそうにゲエゲエと口を開いて吠えますし、小父さんはよくゆれる電車に吊り革を持たずに立っている人のように、引かれてヨタヨタ、押されてフラフラ、揉まれ揉まれて私のケッツの穴に翻弄されているのです。つまり私が百パーセント主導権を握って仕切っているのです。
思えば十九歳のまだ未或年のこの私が、四十代と三十代後半の年長の一対の夫婦を、自分のチンボとケッツの穴とで今完全に支配しているのです。これ以上痛快なことが外にありましょうか。
私が腰をせせると小母さんは押されて田の畔を行く牛のように這って進みますし、ケッツの穴でチンボを締められた小父さんは羊のように引っ張られてついて来ます。
こうやって小父さんは抜かず三回の射精をとげ、更に引き摺る私に、「横田君、もう許してくれ、もうわしは身がもたん。心臓が苦しい。今宵はこれで放してくれんか。有難う、物凄う良かった。わしは明日子供らの相手せないかんからもう寝るけど、君はやりたいだけまだ存分にやりなさい。千鶴子は君に預けるから……」と言うと、抜けて小さくなった自分のチンボを文机の上にあった私のタオルで拭き、褌を手に持って、全裸のまま丸窓を股いで越えて座敷の自分の布団の所へ帰って行きました。
※大肛門大学 第43講・第44講は、雑誌「S&Mスナイパー」掲載時の編集ミスにより、欠番となっております。この復刻連載では、初出掲載時の回数表記に則り、当記事は第45講となっていますが、実際は第43講となり、内容は42講の続きとなっております。読者の皆様には大変ご迷惑をお掛けしまして申し訳ありません。何卒ご了承くださいませ。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.12.10更新 |
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