第46講 獣姦とチンボ切り【3】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第四課 チンボをチョン切る
豚にチンボを喰い千切られるとは何とおぞましいことでしょう。初めはペロペロ舐めてくるでしょうからきっとチンボはピンピンに立ってくるでしょう。
チンボは刺激による快感だけで立つのではありません。血も凍るような恐怖にあった時にチンボは一生に一度の最高の硬直を示します。
それにしても石臼で轢き潰されるようなものですからこれは大変です。チンボが千切れてそのまま放置されたら失血死が待つだけです。動脈が切断されるのですから……。
チンボを根元からチョン切られる刑を『羅切』と呼びます。つまりマラ切りという意味です。
羅切の刑は日本ではやりませんでしたが、古代から世界中の各民族が行なってきました。
先に満州の匪賊の話をしましたが、昔の満州の匪賊の処刑法は物凄く残虐性があり、チンボを切るのはいとも簡単に行なわれました。
満州には狩猟民族のオロチョン族(日本ではオロッコ、ロシャ流にはオロチョン)の匪賊は捕虜にした男のチンボをチョン切り、そこヘノロ(ノロ鹿)のチンボを木の枝に串刺しにしたのを代わりに突き刺し、馬に跨がらせ、倒れ落ちないように背中を棒で固定したのを、敵対したり反抗した部落へ追い込んだりして、その死体には「日本軍に反抗する者はすべてこのような目にあわせるぞ……日本陸軍○○部隊指令官○○」などと書いた札を付けたりしたのですが、文字が日本語(仮名の入った)ではなく漢文なのですから変な話です。
当時の北支那や満州では共産主義ソヴィエトロシアの影響が強く、匪賊はソ連から武器の援助を受けており、日本軍の討伐隊に追撃されると国境を越えてソ連領へ逃げ込み、そこで色々反日的教育を受け、コミンテルンの操り人形の役目をしていたのです。当時はこれらの匪賊のことを共産匪とか赤い狐とか呼びました。匪賊だと言っても馬鹿にはなりません。チェック銃と呼ばれた優秀なチェコ製の機関銃やブローニングという、ケースをはずして銃床に連結するとライフルのように遠方まで正確に狙える自動拳銃を持つ手強い存在で、彼らは親日的な村落の長を狙ってこのような処刑をして廻ったのです。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.12.31更新 |
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