第46講 獣姦とチンボ切り【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第三課 豚のケッツ
豚の膣や肛門を性欲処理に用いるのは、支那や満州では非常によく行なわれたものだそうです。
小父さんは満州にも北支にも南京にも上海にも軍務でいたことがあるそうで、そのどこでもよく豚と人とが交合するのを見かけたそうです。
日本人と違って肉食の食習慣をもつ漢民族や満州族の間で食用獣として一番よく飼われているのが豚で、それも放し飼いにしている例が多く、飼い主がやるだけではなく、飼い主に使われている使用人や通りすがりの人間や浮浪者(今で言うホームレス)といった人間が公衆便所を使うように勝手に気軽に、手当たり次第に気分の趣くままに抱き付いて精を放出して行くのだそうです。
江戸時代の日本では一般に士農工商の四つの身分の区別があったと言われていますが、本当はそのような単純なものではなく、侍の次に列せられる百姓について言うと、百姓と一口に言ってもその中に何段階もの格式があって、大庄屋や庄屋・名主、それに村の諸役、それに大百姓(大地主)、本百姓(自作農)などは支配階級に属し、それらの下に小作農・水呑み百姓(単に水呑みとも言う)や田吾(いわゆる田吾作、水呑みよりも一段下で人格すら認められない農奴的存在)などの圧倒的多数を占める被支配層が存在したのです。
それらの被支配層はもとより、自作農の中でも田地の少ない貧しい家では、男の子は長男以外は一生涯結婚は出来ず、長男の家に寄食して一生独身で飼い殺しの一生を送るのが普通で、農村では一生結婚の望みのもてない男が夥しい数を占めていたのです(明治になり徐々にそのような格差は解消されはしましたが、地方によっては昭和三十年頃までまだ田吾作的な使用人はあの農地改革を潜り抜けても存在したようです。田吾作というのは大地主の家に一生飼い殺しにされる牛馬並みの農奴的使用人のことで兄やんとかオジとか呼ばれました)。
戦前戦中の支那大陸では丁度この日本の江戸時代の百姓のように、金持ちに飼い殺しにされている農奴的存在の男や苦力(港の荷揚げ人夫)といった極端に身分の低い民が多数存在したのです。
それらの人達の性処理に豚が使われたのは、手軽な所にあるのでもっともな話です。
豚はこのように性処理器としてだけではなく、大陸では古来拷問や処刑用にもよく使われました。
それはどのようにするのかと言うと、処刑者を素裸に剥いて大地に杭を打ってそこへ大の字に股や両手を広げさせて縛り、その手や足や顔、それからチンボなど、身体中に魚の煮汁などを塗りたくり、そこへ豚を追い込むのだそうです。
豚は雑食で貪欲ですから直ぐにそのエサを食いにかかりますが、手足や耳鼻はもとよりチンボだからと言って容赦しません。豚から見ればエサにすぎませんから一緒にかじってしまうのです。
漢民族は脂ぎってしつこいですから、処刑執行人はしっかりそれを検分していて、処刑者がかじられるまで次々と新しいエサをそこに塗り足すのだそうです。
豚の歯は凄い力ですからこれはもう凄い恐怖の処刑です。
満州では匪族(映画『七人の侍』に出てくる野武士のような連中)がよく一般良民をこの方法で虐殺したものだそうですが、豚にチンボをかじられた男の心中はいかばかりだったでしょう。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.12.24更新 |
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