第51講 屁と上手につき合う方法【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第二課 嫁の屁は……
人のいる所で放屁することは不躾だというのは今も昔も同じだろうと思いますが、江戸時代、幕府は旧勢力である京都の公家に対して武家の権威を示すために源氏の血統を伝える小笠原氏に故実の研究をさせ、小笠原氏の大成した礼法を武家の礼法としました。
その江戸時代へ大奥(千代田城の奥むき)に仕える御女中の心得として、もし殿中で屁が出そうになった時、いかにして音をたてずに上手に屁をこくかという秘伝があることを聞いたことがあります。その秘伝には、屁が出そうでいよいよ我慢が出来ないという限界に至ったら、そっと何食わぬ顔で人の居ない部屋に行き、くるりと尻をまくってその部屋の柱の角にぴったりとお尻の割れ目の溝を押し当ててすかさず屁をこくのだそうです。そうすると音がしないとのことで、これは明治・大正・昭和(戦前)と厳格な女子大学や高等女学校でも密かに伝えられ行なわれたようです。それらの女子教育機関は公立私立共にほとんどが寮制であったようで、学校での講義のほかにほとんど二十四時間躾にきびしい寮監の目が光っていたのです(寮監たちも屁が出そうになると密かに自分の部屋に下がってケッツをまくって腰巻もまくり上げて、ぴったりとケッツの溝を柱の角に当ててウンと一発発砲して何食わぬ顔して又生徒の前に姿を現わしてニコリともせず真面目くさった顔で生徒を叱っていたのかと思うと何とも愉快ではありませんか)。そんな上手い屁のこき方を知らぬ純心な乙女こそ哀れの至りです。冷や汗を流して心の中で呻きながら我慢したのでしょう、大和撫子の道は厳しいのです。
江戸時代の川柳に「嫁の屁は五臓六腑を駆け巡り」と言うのがありますが、これはおかしてくてやがて哀しいものです。婚家の中で最下位にある新嫁の地位の哀れを巧みにも言い表わし得ています。屁はこらえると行き場所を失って、コンプレッサーのタンクに圧縮された空気のように直腸の中に充満します。
直腸粘膜の内側への刺激が排便をうながす神経に作用するのですから、そうなれば排出するのが自然なのですが、それをこらえるということは、人為的な意志の力で本能と戦うのですから、これは苦しい戦いです。
脂汗をタラタラ流して耐えるのは、座っていても心は全力疾走しているようなものです。そうするうちに便が大腸(下行結腸・S字状結腸)から下りて来ると、玩具の紙鉄砲(竹で作り、紙を噛んで弾丸にして詰める)のように便が弾丸の役をするから直腸が圧迫されて破裂しそうになり、その苦しみは死の苦しみです。それでも竹鉄砲と違って直腸は伸展力があるから拡がり、下りてくる便の隙間から屁は入れ替わる形に腸の奥へと移動する。
そうやって腹がゴロゴロ、グウグウと鳴り、屁は大腸へ、そして身をねじれば小腸にまでも逆流し、腸粘膜から血管を通じて全身に屁の毒が運ばれ身体中に廻ります。まさにこれこそ五臓六腑を駆け巡りというそのままなのです。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
09.04.08更新 |
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