第51講 屁と上手につき合う方法【1】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第一課 続いて屁の話
屁が燃えると分かったら将来有望なる資源としてもっと見直されるべき物となる筈です。
唯その採集法をどうするかということだけが問題になる所ですが、先号で述べたように屁が出そうになる度に風呂に浸かると言うのも難儀なことだと思います(銭湯のように多人数の屁が一所に集められる所であれば、一般浴槽の脇に特別に屁採集用の特別な装置、例えば、電話ボックスのような個室で、そこに座るとケッツの穴に吸盤がピタッと着くかどうかして吸い取ってくれるものを考案する必要が生じてくるでしょう)。
「出物脹れ物所嫌わず」というように屁は何時何処で、どれだけの量をとあまり計画的に決めては中々出せないもので、それでも将来石油も石炭も駄目になり、原子力発電も危険というのなら、これが一番身近で得やすい、「人にやさしいエネルギー」ということになり、二十一世紀にはもっと重要視される筈です。
そのため下着にも改革が起こり、屁採集装置付きパンティが出現するでしょう。生ゴム製のぴったりの猿股で、ケッツの穴には着脱式(カートリッジ式)のゴム風船式の小型タンク(ボンベ)が付き、その袋が屁で一杯になったら口を縛って取りはずし、新しい空のと取り換え、溜まった風船は今のチリ紙交換のように業者が集めに来るとか、そんな世の中になりそうです。そうすれば今までは屁こき、屁こきと馬鹿にされていた人が有能なる生産戦士として称えられるようになり、日本中の親たちが自分の子こそ日本一の屁こきにさせたいと必死になることは確かです(今ピアノや英会話を習わせているように……)。
こう書いてくると今の若い人達は笑うでしょうが、昭和三十年代から四十年代にかけては東京でもまだ汲み取り式の便所がほとんどで、私の学生時代、杉並区と武蔵野市の境にある東京女子大学の脇の道路で、長さ六メートルくらいの異常に長い大八車(ゴムタイヤ車輪の)大きな肥タンゴが十個も縦一列に載せられていたのを見、その梶棒の脇には東京都のマークが入っていたのを発見し、感激したものです。当時まだ屎尿は資源だったのです。埼玉方面の農村地帯へ運ばれていたのです。世の中は二十年もたてばすっかり変わってしまうということです。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
09.04.01更新 |
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