第52講 空気浣腸の歴史と快感【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第二課 蛙責め
昭和三十二年、売春防止法により遊廓は姿を消しましたが、この空気浣腸による河豚責めは時の暴力団に受け継がれていきました。
暴力団では逃亡に失敗した女にこの方法で処刑をし、その女をモデルにして秘密写真やブルーフィルムを制作して売る者も現われ、九州地方からといわれる物凄い美女が蛙のようなパンパンの腹をして様々な体位で男に犯される八ミリフィルムは当時大変な人気でした。
暴力団の間ではこうして女のケッツの穴から空気を入れパンパンに膨らませるのを蛙腹と呼んでいたようです。縁日の蛙の玩具を思い出すスタイルだからそう呼んだのでしょう。
このケッツの穴から空気を入れて腹ボテにする責めは最初は神戸や横浜の中華街で盛んに行なわれていたショウの中の一番人気を呼んだ演目で、それは舞台の上で、普通ならまず見ることの出来ない若い娘の全裸が見られ、それだけでもドキドキするのに、更に強引な男の手でその娘の尻の溝を開いて、こともあろうにその中心の穴にホースを突っ込み、どんどん空気を注入してゆく、そんな漢民族の脂ぎった責め技に毒気を抜かれた日本人がやがてその方法を取り入れたのが起こりです。
第三課 風船腹
ケッツの穴から大量の空気を入れられることは初めは大変苦しいことですが、それでも回を重ねると慣れてきてその苦痛の中にえも言われぬ快美感があることが分かり、するともう病みつきになります。
西洋人は古代からそのことをよく知っていましたが、それは彼らが肉食を主にする文化の中にいたからです。
ケッツの穴から空気を入れるのにはどうしたらいいのか、という問題を解決するのに彼らは豚や牛の内臓即ち膀胱を使うことを思いついたのです。ゴムやビニールやプラスティックの無い昔に風船のような容器、その中に水や空気を入れて口の所を肛門に挿入して押して体内に水や空気を注入する、肉食生活者でなければこのような事は考えつかなかったでしょう。
古代ローマの貴族階級の婦人たちの楽しみの一つにケッツの穴を利用した次のような面白い娯楽がありました。
貴婦人たちが広間に集まり、そこへ奴隷たちが連れて来られます。奴隷男たちは勿論素っ裸で四つん這いにされて、次から次へと豚の膀胱の風船でケッツの穴から空気注腸をさて腹ボテにさせられ、そのケッツの穴に胡麻がなすり付けられます。
そうやって女性たちに尻を向けて一列に四つん這いに並んだ奴隷の鼻に端から順に胡椒が入れられます。奴隷は苦しさに大きくハクションとくしゃみをし、その瞬間ケッツの穴の紐がゆるみ、胡麻粒が屁と共に後ろに飛びます。どこまで飛んだかを順に床に印を付けてゆき、一番遠くへ飛ばせた奴隷に賭けた人が勝ちとなるゲームです。
古代ローマの貴婦人たちは夫れ夫れお気にいりの奴隷を飼育していてこれらのレースに出場させ、現代人が競馬に狂うように奴隷のケッツの穴の屁の力に賭けて競い合っていたのです。
現代に生きる皆さんは仕合せですよ。古代や中世ヨーロッパに生まれていたら、もし戦争に負けて奴隷にされたならこのように自分の意志とは関わりなく、毎日空気浣腸されて、沢山の女性たちに尻の穴を注目されつつ屁をこかされたりしていたかもしれません。
もっともケッツの穴を女性の手でいじくり廻されたいと平素から願望しているマゾの諸君なら、ああそんな時代に生まれてそんな目に遭わされれば本望と思うでしょうが……。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
09.04.29更新 |
WEBスナイパー
>
お尻の学校