第1講 ガラス瓶製 膣・肛門鏡製作【1】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
開校によせて
肛学博士 横田猛雄
脱腸を笑い物にしているという、「励まし合うヘルニアの子を持つ親の会」有志や、その支援者と名乗る十数名の男女の、編集部への度々の抗議により、私のお尻愛の遍歴告白の半生記『お尻の学校』は、まだほんの序の口なのに、連載を断念せざるを得なくなりました。
あの告白記は、今から三十五年以上も昔のことであり、医学の進歩した今日に、まさかまだあの安太郎そのままの脱腸の子が、全国に今もそんなに多く存在するとは……私の認識不足でした。
「笑い物にされた、告訴も辞せず」
との先方の言い分に、今問題になっているセクハラと同様、この種の訴訟では、訴えられた方が完全に不利と相場は決まっており、週刊誌や新聞、テレビで実名人で発表されては、社会的生命が抹殺されてしまいますからたまりません。
それで打ち切りの止むなきに至ったのです。
ところがその後、読者の方々から沢山の激励のお手紙をいただき、特に熱心な若い女性読者の方からの、
「お尻の快感の開発バイブルとして頼りにしていたのに、お尻派はやはり少数派なのでしょうか?」
とか、
「先生の告白を読みながら、密かに自分で自分のお尻をいじめる、お尻オナニーをしています。
『お尻の学校』が無くなって、これからは何を頼りにすればいいのでしょうか?」
といった内容に接し、私はこれらお尻志向の人達を今ここで見捨てることはいけない、先駆者の一人として後に続く人々にお尻の王道を示すのが私の天命だと考え、勇を鼓して再びペンを執りました。
人間の味わい得る快感の中で、お尻の穴の快感こそ至高のものであり、気持ちいいことは生きているうちにやらなければ、臨終の時きっと後悔するでしょう。
肛門性感の開発、これが、後進的な我が国教育界に課せられた急務です。
第一課 ケッツ覗き
お尻の穴を唯、背後から見るだけでは無く、家鴨の嘴のような器具をそこに挿入してガバッと拡げて中を覗いて見たい、又見られたいというのは、人間のごく自然な欲望です。
そのため今では、アダルト・ショップでは、クスコ式を始めとして、藤村式、桜井式、ジモン式など、各種の膣鏡が売られています。
ストリップ劇場でもアヒルショウと呼んで、主としてクスコ式膣鏡(ヌード界ではこれを家鴨口と呼ぶ)で膣内をパックリ拡げて、いわゆる内臓(膣内壁から子宮口)まで見せるアヒルショウが一般化しています。
ですので、膣鏡の実物を見たことのある人は多いでしょうし、これを肛門に用いて開口させてみたいと思った人もいるでしょう。
だが、膣鏡は医療器具で非常に高価なうえ、ハムや張り形(バイブレーター)と違って硬く冷たくて、これをそのままお尻の穴に挿入して拡げようとすると、とても痛くて苦しくて、余程場慣れして柔軟性の増した肛門でなくては受け付けてはくれません。
皆さんはここで大きな障壁にぶつかってしまうのですが、私の言うことをよく聞けば道は開けるのです。
産科・婦人科の検診器具として現在使われている、クスコ式や藤村式、桜井式、ジモン式といった、家鴨の嘴のように開く金属製の膣鏡(内視鏡、開口器)のまだ無かった明治時代には、カールマイヤー型と呼ばれるガラスの円筒型の膣鏡が用いられていました。
その形は丁度正月の門松の竹の、先端の斜めの剥ぎ落としの部分の角度を、もう少し鈍くしたようなものでした。
太さは色々ありますが大体ワンカップの日本酒の容器くらいで、長さはそれの一・五倍くらいの円筒型。
明治・大正期にはこのような膣鏡が用いられており、それか、最もよく使われたのは、娼妓の定期検診(いわゆる検黴)の時で、この筒型の膣鏡は俗称ボボ覗きと呼ばれたものです。
このボボ覗きは、当時は医者だけで無く、廓内での折檻(おしおき)や様々な助平な検査にもよく使われていました。
ボボ覗きという名は、おそらく廓の主人や、常連の助平客あたりが誰言うとなく呼び始めたのが元のようです。
私の学生時代(昭和三十年代の後半)にはすでにガラスのボボ覗きなどは存在せず、金属製の膣鏡の時代となっていましたが、浅草の吉原で見学した「花電車」で、その芸人のお姐さんが、最後にガラスのコップをボボ(オメコ)にスッポリ突っ込んで中を覗かせてくれたのですが、覗いて見てびっくり。
紅い内部の粘膜が三百六十度、全部丸見えで、真ん中の小さな盛り上がったドーナツのような子宮口や、その中心の穴まではっきり見えて、凄く感激したことがあります(昔のガラスコップは今のものより直径も長さもやや小振りです)。
その時私は閃いたのです。
ガラス瓶を上手に切断すれば、このお姐さんが教えてくれた昔の廓のボボ覗きと同じような物が出来るし、それをお尻の穴を覗くのに使えば、ケッツ覗きが出来ると。
瓶を切ることは、私達の年代の田舎の子ならほとんどの人は覚えがある筈です。
川や池の魚を取るための仕掛け作りに、ガラス瓶をふたつに切ったことがあるでしょう。
あれなのです。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
07.11.09更新 |
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