第3講 お尻の通人への道【3】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第四課 満タンにしてこね廻せ
このためお尻の通ともなれば、受け身の側のお尻の中の便が少なかったり空だったりすると物足りないものですから、丈五郎やクスコや桜井式などの膣鏡でお尻を開口させておいて、擬似便として粘土とかウドンとかバナナとかチリ紙、ボロ製、スポンジ、御飯、ウイロウ、紐、豆腐、コンニャク、マヨネーズ、味噌、肉やレバー、イチゴ、麩(ふ)、パン、ビスケット、チョコレート等を一杯に押し込んで人工便として満タンにしてから犯すのが常識です。
ビー玉や碁石やおはじきを詰め込んで犯して、中でギシギシ鳴る音を楽しむのです。
こうやって直腸内に大量の便(或いは擬似便)を満タンにしてそれを快楽に利用するのですが、これは今世間で言うスカトロ趣味とは異質のものです。
何となればこれらの通人は、便を飲食したり身体に塗ったりする趣味は持ち合わせてはいません。
便は利用しても、便そのものを愛する者では無いのです。
こうやって内部の充実した直腸にピストン運動を加えてやり、チンボを抜くと、丁度糠味噌桶に突っ込んだ手を引き抜いたように、チンボには便が付着してきますが、チンボの王者たる善光寺チンボは亀頭冠(俗に言う雁首)がよく張って開いていますので、その冠の溝に便が一周の輪になって付着してきます。
昔の通人はこれを称して『鬱金の鉢巻』という粋な言葉で呼びました。
鬱金はあのカレーライスの原料にもなり、又黄色の染料にも使われ、鬱金色というのは粋な茶人の好みに合った芥子色がかった渋い黄色(黄金を思わせる)のことです。
江戸時代には、普通の女遊び(男女間性交)に胞きた通人は、美男美女のお尻を犯すのを粋な遊びとしたのです。
美男とは美形の女形役者のことです。
そしてそのお尻から、事終わって引き抜いたチンボに、鬱金色の鉢巻が出来ているのか非常な手柄としてもてはやされ、そんなチンボをわざと受け身の側の、さっきまでお尻を串刺しにされてよがり泣きしていた鼻先に突きつけて、
「ほれ、お前のケッツは完全に俺の支配下に入ったのじゃ」
という宣告をし、金に物を言わせて、
「お前のケッツから出た物じゃ、きれいに舐めよ!」
と命令し、相手を徹底的に屈辱の谷底に落として、その顔にあぶれる涙を見て、より快感を増幅させたものだといいます。
これがいわゆる御大尽遊びと言われるものです。
実に洗練された遊び、否、これは文化です。
たが世の中そんなに通人ばかりはいないもので、ケッツから引き抜いたチンボが、なるべくきれいな状態であってほしい、あの臭いもたまらん、というのが多数派凡人の心の中でしょう。
それにはそれで秘伝があるのです。
それは、
「チンボを引き抜こうとする瞬間に女(受け身)の尻たぶを思い切り強烈に、グリッとばかりひねり上げると、女は痛さのために思わず反射的に尻の穴をキュウッと引き締めるので、その時に素早く引き抜くと、締まった括約筋の輪でしごかれるので、チンボの汚れはぬぐわれて、きれいな姿で出て来る」
とのことです。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
07.11.18更新 |
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