第18講 便秘体験告白【3】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第三課 自ら志願して便秘に
一日目の排便感は暫くの我慢で済みましたが、三日目になるとかなりの圧迫があり、座蒲団を折ってお尻の溝に当て、朝一時間くらいそうやって唸りながら耐えます。
そうすると四日、五日はそんなに苦しく無く、唯お腹が張ってガスが小刻みによく漏れるようになり、ドーンと下腹(左股の付け根のあたり)が重たく、俯くと腰に鈍痛があり、走って階段を上がったりすると、顔が熱くなり、身体中が痒くなり、十日もすると腹全体が膨れて、いきんでみてももう便が出なくなり、短い屁がいくらでも出るようになり、一寸動くと微熱があるように身体中がカサカサで痒くてたまらなくなり、ある時早くに銭湯へ行き、他に誰もいないのをこれさいわいと、石鹸を塗った指を押し込んで見たら、何とお尻の穴の直ぐ内側の所までコチンコチンの硬いものが迫って来ているではありませんか。
二週間余りの努力で見事に完全な便秘になれたのです。
呻きながらもそうやって二十日近く耐えた私は、近くの医院の門を潜りました。
便秘ときいたそこの先生は、簡単な問診と型通りの触診の後、看護婦さんに浣腸を命じました。
いよいよ待望の浣腸です。
低い寝台型の、黒いレザー張りの診察台に、ズボンを下げて四つん這いになった私のお尻の穴に、冷んやリしたものが塗られたと思ったら、ググーッと圧迫が加わって液が入って来ました。
初めての体験だったのですがドナンです。
凄くきつい薬です。
とても三分も耐えられるものではありません。
看護婦さんに脱脂綿で押さえられながら、もう私のお尻の穴はパカンと開いてしまって、液はダダ洩れです。
そうやってお尻の穴があくびしても、中の便が硬く太いので、詰まってしまって出てこないのです。
三回そうやってドナンを入れられても、お尻の穴がパクッと開くだけでらちがあかず、それでは時間を掛けて便を軟化させてはと言うので、イルリガートルによる石鹸水の大量浣腸を、今度は左側を向いた側臥位で、右足を軽く曲げて、背後からゴム管をお尻に入れて注入されました。
しかしそれでも洩れるのは液ばかりで、指を中へ入れて触診した先生も、こんなのは初めてだとあきれ、これはもう砕いて小割りにして摘出するしか無いが、ここでは設備が無いからと言って、自分の従姉がやっているという産婦人科医院に連絡をとってくれました。
私にとっては夢にまで願っていた、産婦人科の、しかも女性の先生です。
バスで五停留所先の、高円寺の馬橋(杉並区)という所にある産婦人科医院では、電話で連絡が行っていたので、直ぐにあの実話雑誌の写真で見たことのある、仰向けに寝て両股を大きく開かれる診察台に乗せられました。
勿論全裸にされてです(軽度ならともかく、これだけの重症では、全身の反応も見逃せないからとの理由でしたが、本当は稀にしか無い若い男性患者を先生も看護婦さんたちも、少しいたぶりたかったのだと思います)。
若い女の先生は、いきなりゴム手袋を嵌めた右手の二本指を私のお尻の中に押し込み、
「うう、硬いわ」
と顔をしかめ、左手で臍の上に、まるで移植鏝を土に差し込むように突き立て、グイと下(股間)の方に圧迫し、同時に中に入れた指を押し、両方の手で私の腹中の便を抱えるように捕捉し、
「これは立派な胎児だわ」
と看護婦さんたちと笑うと、てきぱきと、ちくりと、お尻の穴の縁に、凄く痛い注射を打ちました。
お尻の穴をゆるめる局部麻酔です。
「よっぽど拡げないと駄目よ!」
と言う声に看護婦さんが銀色の盆の上にのせて持って来たのは、家鴨の口のような幅広い嘴の器具、膣鏡です。
膣鏡という文字からは誰もが手鏡のように物を映す鏡を連想しますが、肛門や直腸や膣の中、つまり人間の穴の中を覗く器具は、総称して内視鏡と呼ばれ、覗く部位によって膣鏡とか直腸鏡とか、尿道鏡などと呼ばれます。
夫々の部分を、よりよく覗き得るための機能を備えた形、つまり家鴨の嘴の形や筒状をした迫力のある優れ物達で、鏡(ミラー)ではありません。
さて、その膣鏡でグリッと拡げられて行なわれる治療の、粘膜被虐のエクスタシーの詳しい告白は、諸君を羨ましがらせるために、次号で話します。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.01.09更新 |
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