第25講 褌と日本人【1】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第一課 チンボは輪投げのポール
大学での講義の受講中は前の席の女の子の。
そして帰途は街行く若い女性の。
色々なお尻をチンボで串刺しにすることを妄想しながら歩いて来ると、私のチンボはピンピンに起立し、それがズボンで擦れるのが痛くなります。
電車の中で好みの女の子の後ろ姿を見ると、まるでチンボが輪投げのポールのように勝手に天を向いてしまいます。
お尻の穴を意識して締めると、そこに輪が一つ、又一つと嵌まったような気がして、私は斜上向いたチンボにまるでドーナツを三つも四つも重ねて嵌めたような気分です。
おいしそうなお尻を、選りどり見どりで、眼で犯しながら、高円寺で下りました。
「明日の夕方もう一度来なさい」
と言われているあの女医の先生の所へ行く訳ですが、こう異常にもチンボが立っていると、階段で転けたら大変なことになります。
中学校の頃、体育の女性教諭に竹村武子という人がいて、その人の名を下から逆に読むと、「転けたら剥けた」
となるので、生徒が皆面白がって、「タケムラタケコ、コケタラムケタ」
と囃し立てたりしたものです。
中学生の頃、誰もがチンボの皮の剥けるのを体験する訳で、ピンと立ったチンボで走っていて転けたら、ズル剥けになるだろうから、さぞ痛かろう、という気持ちを込めたこの囃し言葉は、あの年代の子供にとっては、とても切実な実感のこもったものであった訳です。
チンボも戊長じて長大になり、ましてや立派な善光寺チンボになると、エレクトしたまま転けたら、これは大変なことになります。
男のチンボは立った姿こそ晴れ姿なのですが、かと言ってこの状態では非常に不便であるというのも事実です。
このため頭のよい我が日本人は、古代から男は褌を締める風習を伝えてきた訳です。
欧米人にはこのような風習がありませんから、パンツの中で、テントを張ったように、チンボをピンピンに押っ立てたままで、転んだり打ったりしてチンボをポッキリ折るという悲惨で眼もあてられない事故が非常に多かったようです。
この前の大東亜戦争の折にも、アメリカの兵役適齢期の青年たちの多くが、軍事教練中に、特に航空兵科ではよく、チンボを折る例があったようです。
チンボが折れるというのは、エレクトして海綿体に血液が充満し切って満タンになり、まるで骨があるようにピンコ立ちになったチンボが、無理に折り曲げられるのです。
すると、そこの動脈が切れてしまいますから、まるで破れたゴムホースから水道の水が噴き出すように、血液がいくらでも流出して、しまいにはペニス(チンボ)が象の足のようにむくれてしまいます。
まるで股間にビール瓶を一本ぶら下げたみたいになり、耐えられない激痛で、七転八倒の苦しみを味わうことになるのです。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.01.24更新 |
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