『Crash』1990年1月号/発行=白夜書房
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青山正明と「Flesh Paper」/『Crash』編(6)
連載「Flesh Paper」の1990年は、出版とワールド・ミュージックの話題が定期的に出てくる他、これまでほとんどなかった、長めのコラムが増えている。これまでのテイストレスな情報志向も面白いが、コラムは青山の独特の視点が冴えており、結果的に耐久年数が上がっているようだ。
『Crash』1990年2月号
『危ない1号』4巻にも転載されたホドロフスキー・インタビューと、その当時の新作『サンタ・サングレ』のレビュー。そして『ダ・カーポ』194号に載った投稿の批判。試しに雑誌の広告を塗りつぶしてみたら雑誌が面白くなくなった、広告も記事と同じくらいの大切な情報源なのね、といった内容に対して憤慨。「TVや大新聞が真のジャーナリズムになり得ないのは、ほぼ100%、スポンサーの存在によるものだ。経済大国日本を支える企業群から金をもらっていては、政治・社会批判どころか、ペダンティック文化人や低能タレントのスキャンダルさえ扱えない」「そこへいくと、エロ雑誌はいいよな。広告など、ほとんどないもの。原稿チェックも全くないしね。自由ですよ、自由。真のジャーナリズムは、エロ本とミニコミしか存在せず! とまでは、言い切れないけどね。白夜書房の『ビデオ・ザ・ワールド』以外は、サンプル入手の必要から、ビデオ・メーカーとべったりみたいだし」。註釈としては、この認識は1990年だからこそである。現在はエロ本でもそのようなスタンスは難しい。
『Crash』1990年3月号
角川書店の新創刊雑誌『ジパング』(現『Tokyo Walker』)を取り上げている中で、そのニュース自体はどうでもいいのだが、いくつか注目したい発言がある。「私は『シティ・ロード』派である。ほとんどの原稿が、主観で書かれているからである」「私の夢は、世界中の気持ち悪い情報──変死体、ゲテモノ料理、不気味な映画等ばかりを集めた月刊『グロ』を誰かが創刊してくれることです。自分で編集するのは、イヤよ。儲かりそうもないし、疲れるだけだもん」。後者は紆余曲折を経て『危ない1号』になったと考えるのが自然ではないだろうか。この時点で漠然とした構想はあったのかもしれない。その他、オカルト・グッズのインチキ話や、半年見続けて「イカ天」に完全に飽きた発言。「たま以外のバンドは、全部、死体なんだもの」「それにしても、バンド・ブームって不思議だなァ。演奏している方は、あんな糞音楽でも、案外楽しかったりして……。それとも、さくらやが台頭してアマチュア・カメラマンが増大したようなもんなのかなぁ」。
『Crash』1990年4月号
「ホモ、オタク、シングル族は自然の計らい?」は、男子の出生率が高いのは生命力が低く死ぬ確率が高いためだったが、近代医学の発展によって現代は男子があふれている。今の日本は自然淘汰が行われているのではないか……という軽い論考で、なかなか面白い。他に、映画『デビル・ジャンク』に登場する殺人鬼・ジェンキを「ジェイソン、フレディに次ぐ第三のホラー・ヒーロー」として解説、小山内新による小冊子『あづまのはる(迎春)』の紹介など。
『Crash』1990年5月号
景山民夫のTV番組「海からの贈りもの──クジラ・ヒト・地球の未来」をボロクソに批判。他に、海外ニューエイジ雑誌『Encyclopaedia Psychedelica』の紹介、ビデオ『ストレンジャー・ザン・バンパイア』を「意外な拾い物」と紹介。『EP』記事は『危ない1号』4巻にも再録。
『Crash』1990年6月号
同年3月19日〜4月2日まで青山は友人3人と『季刊エキセントリック』6号(原稿では「某ミニコミ」と自虐的)のためバンコク取材に出ており、この号は主にその話題。マリファナを決めて屋台飯を食べた話と、タイのゲイ・カルチャーの理論派ドクター・セリーの本邦初インタビュー。
『Crash』1990年7月号
プロフィールに「口には出せぬ不安に脅える日々。最悪の精神状態である」とあり、その答えは10月号で明かされる。「房中術の秘薬でオチンチンはピンピンだ!」は漢方薬の自作解説記事。異様に長い「恐山で金縛りに遭った私」はゴールデンウィークに旅行した話で特に面白い話ではないが、文末に「10年近く連れ添った妻と別居だし、ホント、人間は清く正しく、素直でありたいものです。トホホッ」とあり、レイアウトを担当していた奥様とこの時期に別れている。『エロ本のほん』によればオナニー中、妻に後ろから蹴りを入れられ、そのまま帰ってこなかったとのこと。
『Crash』1990年8月号
「「セックスレス、シングル、ノーベイビー」の時代がやって来る?」が秀逸。セックスなしに男女間の友情はあり得るかをテーマにした映画『恋人たちの予感』や、肉体関係を拒絶する独身男と人妻の映画『セックスと嘘とビデオテープ』の2本を引き合いに出し、セックスなんてもう都会では流行らないというのに……と呆れている。「こと恋愛に限って言えば、映画は現実よりも5年から10年は遅れている。いや、もっと正確に言うなら、映画は、数え切れないほどある男女関係のパターンを、ものの1%も表現してはいない。ましてや、映画が現実を先取りすることなど、絶対にあり得ないのである」。
『Crash』1990年9月号
「快楽を持続するには、どうしたらいいか? 快楽原則に従い、気持ちいい日々を創造、満喫する」は知識を増やすことが快楽に通じるというコラムで、快楽研究という青山のライフワークであるだけにやはり面白い。「同じ本を読んでも、そこに書かれているテーマについて1の知識しか持ち合わせていない人と、100の知識を有している人とでは、解釈や理解の程度ばかりか、楽しみの度合いにも大きな差が生じる。これが、「知識増大に伴う快楽の変容・拡大」だ」。この他、『季刊エキセントリック』6号やビデオ『エディ・マーフィー ライブ!ライブ!ライブ!』の紹介。
『Crash』1990年10月号
7月号で何に脅えていたのかといえば、バンコクでハメをはずしたあとにエイズが怖くなったらしく、その後エイズ検査に行き結果が出るまで生きた心地がしなかった、という話が「ダンディにサックは無用。置屋で昇天、エイズで昇天だぁ!」というコラムにある。その他、博報堂がプッシュしたのにランバダってコケたよね、という話と、「足ゆび元気くん」のヒットによる足裏健康法リバイバルの話題。
『Crash』1990年12月号
ページの半分が図版で埋められており、急場しのぎのような原稿が二つ。タイの死体雑誌『アチャヤーガム』の読者プレゼントと、「タイ・ロックが、西太平洋の音楽シーンをリードする!」というタイ旅行のおまけ記事。
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青山正明と「Flesh Paper」/『Crash』編(6)
連載「Flesh Paper」の1990年は、出版とワールド・ミュージックの話題が定期的に出てくる他、これまでほとんどなかった、長めのコラムが増えている。これまでのテイストレスな情報志向も面白いが、コラムは青山の独特の視点が冴えており、結果的に耐久年数が上がっているようだ。
『Crash』1990年2月号/発行=白夜書房 |
『危ない1号』4巻にも転載されたホドロフスキー・インタビューと、その当時の新作『サンタ・サングレ』のレビュー。そして『ダ・カーポ』194号に載った投稿の批判。試しに雑誌の広告を塗りつぶしてみたら雑誌が面白くなくなった、広告も記事と同じくらいの大切な情報源なのね、といった内容に対して憤慨。「TVや大新聞が真のジャーナリズムになり得ないのは、ほぼ100%、スポンサーの存在によるものだ。経済大国日本を支える企業群から金をもらっていては、政治・社会批判どころか、ペダンティック文化人や低能タレントのスキャンダルさえ扱えない」「そこへいくと、エロ雑誌はいいよな。広告など、ほとんどないもの。原稿チェックも全くないしね。自由ですよ、自由。真のジャーナリズムは、エロ本とミニコミしか存在せず! とまでは、言い切れないけどね。白夜書房の『ビデオ・ザ・ワールド』以外は、サンプル入手の必要から、ビデオ・メーカーとべったりみたいだし」。註釈としては、この認識は1990年だからこそである。現在はエロ本でもそのようなスタンスは難しい。
『Crash』1990年3月号/白夜書房 |
角川書店の新創刊雑誌『ジパング』(現『Tokyo Walker』)を取り上げている中で、そのニュース自体はどうでもいいのだが、いくつか注目したい発言がある。「私は『シティ・ロード』派である。ほとんどの原稿が、主観で書かれているからである」「私の夢は、世界中の気持ち悪い情報──変死体、ゲテモノ料理、不気味な映画等ばかりを集めた月刊『グロ』を誰かが創刊してくれることです。自分で編集するのは、イヤよ。儲かりそうもないし、疲れるだけだもん」。後者は紆余曲折を経て『危ない1号』になったと考えるのが自然ではないだろうか。この時点で漠然とした構想はあったのかもしれない。その他、オカルト・グッズのインチキ話や、半年見続けて「イカ天」に完全に飽きた発言。「たま以外のバンドは、全部、死体なんだもの」「それにしても、バンド・ブームって不思議だなァ。演奏している方は、あんな糞音楽でも、案外楽しかったりして……。それとも、さくらやが台頭してアマチュア・カメラマンが増大したようなもんなのかなぁ」。
『Crash』1990年4月号/白夜書房 |
「ホモ、オタク、シングル族は自然の計らい?」は、男子の出生率が高いのは生命力が低く死ぬ確率が高いためだったが、近代医学の発展によって現代は男子があふれている。今の日本は自然淘汰が行われているのではないか……という軽い論考で、なかなか面白い。他に、映画『デビル・ジャンク』に登場する殺人鬼・ジェンキを「ジェイソン、フレディに次ぐ第三のホラー・ヒーロー」として解説、小山内新による小冊子『あづまのはる(迎春)』の紹介など。
『Crash』1990年5月号/白夜書房 |
景山民夫のTV番組「海からの贈りもの──クジラ・ヒト・地球の未来」をボロクソに批判。他に、海外ニューエイジ雑誌『Encyclopaedia Psychedelica』の紹介、ビデオ『ストレンジャー・ザン・バンパイア』を「意外な拾い物」と紹介。『EP』記事は『危ない1号』4巻にも再録。
『Crash』1990年6月号/白夜書房 |
同年3月19日〜4月2日まで青山は友人3人と『季刊エキセントリック』6号(原稿では「某ミニコミ」と自虐的)のためバンコク取材に出ており、この号は主にその話題。マリファナを決めて屋台飯を食べた話と、タイのゲイ・カルチャーの理論派ドクター・セリーの本邦初インタビュー。
『Crash』1990年7月号/白夜書房 |
プロフィールに「口には出せぬ不安に脅える日々。最悪の精神状態である」とあり、その答えは10月号で明かされる。「房中術の秘薬でオチンチンはピンピンだ!」は漢方薬の自作解説記事。異様に長い「恐山で金縛りに遭った私」はゴールデンウィークに旅行した話で特に面白い話ではないが、文末に「10年近く連れ添った妻と別居だし、ホント、人間は清く正しく、素直でありたいものです。トホホッ」とあり、レイアウトを担当していた奥様とこの時期に別れている。『エロ本のほん』によればオナニー中、妻に後ろから蹴りを入れられ、そのまま帰ってこなかったとのこと。
『Crash』1990年8月号/白夜書房 |
「「セックスレス、シングル、ノーベイビー」の時代がやって来る?」が秀逸。セックスなしに男女間の友情はあり得るかをテーマにした映画『恋人たちの予感』や、肉体関係を拒絶する独身男と人妻の映画『セックスと嘘とビデオテープ』の2本を引き合いに出し、セックスなんてもう都会では流行らないというのに……と呆れている。「こと恋愛に限って言えば、映画は現実よりも5年から10年は遅れている。いや、もっと正確に言うなら、映画は、数え切れないほどある男女関係のパターンを、ものの1%も表現してはいない。ましてや、映画が現実を先取りすることなど、絶対にあり得ないのである」。
『Crash』1990年9月号/白夜書房 |
「快楽を持続するには、どうしたらいいか? 快楽原則に従い、気持ちいい日々を創造、満喫する」は知識を増やすことが快楽に通じるというコラムで、快楽研究という青山のライフワークであるだけにやはり面白い。「同じ本を読んでも、そこに書かれているテーマについて1の知識しか持ち合わせていない人と、100の知識を有している人とでは、解釈や理解の程度ばかりか、楽しみの度合いにも大きな差が生じる。これが、「知識増大に伴う快楽の変容・拡大」だ」。この他、『季刊エキセントリック』6号やビデオ『エディ・マーフィー ライブ!ライブ!ライブ!』の紹介。
『Crash』1990年10月号/白夜書房 |
7月号で何に脅えていたのかといえば、バンコクでハメをはずしたあとにエイズが怖くなったらしく、その後エイズ検査に行き結果が出るまで生きた心地がしなかった、という話が「ダンディにサックは無用。置屋で昇天、エイズで昇天だぁ!」というコラムにある。その他、博報堂がプッシュしたのにランバダってコケたよね、という話と、「足ゆび元気くん」のヒットによる足裏健康法リバイバルの話題。
『Crash』1990年12月号/白夜書房 |
ページの半分が図版で埋められており、急場しのぎのような原稿が二つ。タイの死体雑誌『アチャヤーガム』の読者プレゼントと、「タイ・ロックが、西太平洋の音楽シーンをリードする!」というタイ旅行のおまけ記事。
(続く)
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ばるぼら ネッ
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