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僕が最初のデジタルカメラを購入したのが96年。もう11年も前ですね。当時大人気だったカシオQV10を僕も買いまして、手当たり次第にパチパチと撮ってました。まぁ、既にエロ仕事をはじめてましたから、取材先で撮ったりすると必然的にハダカの画像が多くなるわけです。まだデジカメなんて珍しかったから、女の子も面白がってくれましたね。
デジカメの長所のひとつに、データの管理が簡単という事があります。僕のノートパソコンには、96年から撮影してきた8万枚以上の画像が記録されているわけです。96年の画像が見たいなぁ、と思ったら、パッと簡単に見られる。
その頃はメインはフィルムのカメラだったわけですが、当時の写真なんか、事務所の奥の方の段ボールの中にあって、見つけるのも一苦労なのですよ。もう何年も見てないからカビとか生えてるかもしれないなー。その点、デジカメの画像は簡単に見られることもあって、たまに昔の画像を見ては懐かしんだりすることもあるのですね。
それでは今から10年前、1998年の画像をちょっと紹介してみましょう。
1998年(平成10年)は、長野オリンピックが行なわれ、日本版金融ビッグバンがスタートし、和歌山毒物カレー事件が起こり、小渕内閣が発足した年です。ヒット曲はSMAP「夜空ノムコウ」、GLAY「誘惑」、 宇多田ヒカル「Automatic」など。流行語大賞はハマの大魔神(佐々木主浩)、「だっちゅーの」(パイレーツ) 。
アダルト業界的には風俗雑誌全盛期で、AVでは薄消しモノがブームに。森下くるみがデビューしたのもこの年です。おお、くるみさん、デビュー10周年なのか。
僕個人としてはフリーライターとしての活動をはじめて5年目。前年に長女も生まれて、さぁ、仕事も頑張らなくちゃ、という時期ですね。風俗記事をメインに、AV男優のバイトなんかもずいぶんやってましたね。そして「週刊SPA!」に妻子持ちでエロ仕事をする業界人としての苦悩をテーマにした「ムスメよ!」なんてコラムを連載してました(笑)。
今から10年前。そんな僕が見たアダルト業界の記録です。記憶が曖昧なところがあるのはご容赦。
1998.1.21
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「週刊SPA!」の仕事で台湾に取材旅行。台湾には日本のAVやエロ本が溢れていてびっくり。というか、エロは全て日本からの輸入。台湾の人にとっての日本のイメージってのは、僕らが子供の頃のスエーデンみたいなもんでしょうか。
1998.1.31
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(たぶん)ゴールドマン組のAV撮影に男優として参加。男優時代の二村ヒトシさんたちと白い全身タイツを着て、後楽園ゆうえんちで女の子にイタズラするというゲリラ撮影。今やったら、確実にタイホだろうなぁ……。
安田理央 エロ系ライター、アダルトメディア研究家、パンク歌手、ほか色々。この夏、ついに四十代に突入ですよ。もう人生の折り返し地点かと思うと感慨深い。主な著作に「エロの敵」「日本縦断フーゾクの旅」「デジハメ娘。」など。趣味は物産展めぐり。でも旅行は苦手。 |
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08.04.27更新 |
WEBスナイパー
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1998年のデジカメ日記