WEB SNIPER Cinema Review!!
愛する家族を守るため、男が全てをかけて生きた最期の2カ月!!
スペイン・バルセロナを舞台に、裏社会で生きる男が余命2カ月と知らされ、死の恐怖と闘いながら愛する家族のために尽くそうと奮起する――。『バベル』の名匠アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が描き出す感動の人間ドラマ!!6月25日(土)より、TOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
『アモーレス・ペロス』『バベル』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の新作は、主演が『ノーカントリー』のあの殺人犯、ハビエル・バルデムだ。『ノーカントリー』でのショックが強すぎて、映画が始まってからも「普通に話してるけど、いきなり殺人が始まるんじゃないか!」とドキドキしてしまうのだが、それも初めだけ。メキシコでデビューし、今や世界的な監督となったイニャリトゥ監督の、これは凱旋帰国ともいうべき傑作だ。
主人公が住むのはバルセロナ。メキシコと同じスペイン語圏であるスペインで(監督にとってはこの順序のはずだ)南米の映画を撮る、これが監督の密かなテーマだったのではないだろうか。出て来る景色は、蛾が集まり、錆びて、崩れかけたヨーロッパ。スペインで撮影されながら、ヨーロッパには見えず、主人公を取り巻く登場人物は中国人や、アフリカ人ばかり。その移民達の設定もまた一筋縄では行かない、とにかく意表をついてくる映画だった。
本作がおもしろいのはまず音の演出だ。非常に凝っていて、冷たい場面では、蛍光灯のジーンという唸りや冷蔵庫のブーンというモーター音が聞こえ、逆に映画中2回だけある抱擁シーンでは相手の心臓の音が鳴り響く。劇中主人公の特殊能力が発揮されるシーンでは、まず偏頭痛のような音が始まり、観客は何かが起こる前にまず音で「別の世界に入ったのだ」と気づかされる。
映画の冒頭、地下鉄にタダ乗りした主人公は教会に向かう。ここで「この世に想いを残して死んでいった者の声を聞く」という彼の特殊能力が早速紹介され、「『ヒア アフター』かよ!」と思いつつ「本作は、オカルト系だったのか」と納得しかけるのだが、実はそうでもないので、ますますこの映画は一筋縄では行かない。その後、その特殊能力は日常にとけ込んでしまい、代わりに映画では日々の仕事や、家族との葛藤が描かれる。気づくと「死者との会話」は当然あり得る前提の内の一つになっていて、しかしこれこそまさに南米的だ。
バルデムが演じるのがまた、「こんな暗いスペイン人いるのかよ」という中年の男で、彼は不法移民と警察のパイプ役で日銭を稼ぎながら、2人の子供を育てている。そんな彼が癌で余命2カ月を宣告されてからの日々、その最後の日常がこの映画の主題なのだ。
監督が本作で参考にしたのはなんと黒沢明の『生きる』だという。確かに「癌を宣告された男が、残された命を前に葛藤する」という基本設定は『生きる』と同じ。『生きる』で主人公(志村喬)が、捨て鉢になってダンスホールに繰り出すというシーンがあるのだが、本作にもそのスペイン・バージョンとも言うべき、バルデムがクラブへと繰り出すシーンが入っている。
ここがまた凄くて、まずクラブが『バベル』の渋谷wombを遥かに凌ぐダサさなのが衝撃だ。ここは、「スペイン−メキシコ・ラインではこのノリはありありなんだろう!」と好意的に解釈するとして、さてとにかく盛り上がり、ところが映画はその後帰宅し、台所で立ったまま残り物を食べ、フォークをもてあそぶというシーンにまで続いて行く。散々盛り上がった後、1人蛍光灯に照らされ、冷蔵庫の音に包まれてフォークをくるくる回す主人公。浮ついた気分を強烈な日常が覆っていく、人生そのもので塗りつぶしていくような、凄い演出だった。
または、本作で最も恐ろしい事件が起きたあと、茫然自失の主人公がさまよいふと見上げると、夕暮れの空にひたすら鳥の一群が周遊しているのが映る。まるで自分とは全く関係ない時間が流れる、ここも胸を掻きむしられるような、強烈な日常感に溢れていた。
この映画では何が起きても、より強い日常がその後にやってくる。「死者の声を聞く」という突飛な設定を含みながら、なにより1人の男の日常が描かれる。そしてその先には、最大の日常ともいうべき死が待っている。
『生きる』には「生命がどんなに美しいものかってことを、死に直面した時に初めて知るんだ」というセリフが出て来るのだが、この映画の題名『BIUTIFUL』はそこから来ているのかもしれない。
本作で一番良かったのは、「主人公が自分より若い父に再会する」という突飛なシーンで、これはオカルティックでもなく、日常でもなく、「それがこんなトリックなら現実に可能なのか!」と、まさにガルシア・マルケスを読んでいるような「信じさせられてしまう大ボラ」感に満ちていた。実はここを観ながら『ハウルの動く城』(宮崎駿)の「主人公とハウルが過去に戻り、星が降る中なぜハウルが魔法を使えるようになったのかを目撃する」という場面(ここは号泣しましたよね!!!)を思い出したのだが、これはどちらも「『運命』が存在した」という感動じゃないだろうか。
自分が今なぜこういう状態にあるのか、なぜこの日常があるのか。その理由を見るということは、運命に出会うということだ。そしてここには、一直線に延びて行き決して戻ることがないはずの時間を、生身の人間のままで越える感動があった。このシーンこそ南米の力技で実現された、素晴らしい美しさだったと思う。
文=ターHELL穴トミヤ
名匠アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が
最も描きたかった物語――
FLV形式 5.15MB 2分01秒
『BIUTIFUL ビューティフル』
6月25日(土)より、TOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
関連リンク
映画『『BIUTIFUL ビューティフル』公式サイト
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