『S&M Sniper』Archive Galley 08.1981.
1981年8月号 P15〜22
bondage photo gallery 「胡蝶蘭の女」
SM界の衝撃ベストセラー誌スナイパー。創刊号の発行は、いまからさかのぼること30年前、1979年です。その当時から“魂の暗部を狙撃する雑誌SNIPER”というキャッチコピーは変わりません。そんな『S&Mスナイパー』の歴史を少しずつ紹介していくアーカイブギャラリーです。
初めまして。私は都内に住む23歳の女性です。これまでSM雑誌など手に取ったこともなく、まさか自分が本屋さんで購入までするようになるなんて夢にも思っていなかった……。それなのに、今この瞬間には、頭がボーッと霞んでしまうくらいに興奮しながら貴誌をめくっております。
恥ずかしながら、私が「SM」という言葉を知ったのは、ほんのつい最近のことです。いいえ、もう子供ではありませんから、言葉の上だけでなら知っていたことは確かです。けれど今では、言葉の上で知ることと、この身をもって知ることの間には、雲泥の開きがあることをよく分かっております。
それは私にとって、カルチャーショックという程度では生ぬるい、それこそ世界がガラリと変わってしまうような体験でした。
あるクラブでホステスをしております私は、その日、ボトルを何本も空けて下さった初めてお客様と、アフターで店外デートをすることになりました。通常、初めてのお客様とそこまでの関係になることはありません。ですから今となっては不思議と言うほかないのですけれど、運命というものがあるとするならきっとこういうものではないでしょうか。
ホテルでお部屋に入りましてから、お客様がスルスルと縄を取り出した時はほんの冗談だとしか思えませんでした。それで私も軽い遊び半分の気持ちで縛られてみることを承知したんです。和やかなムードを壊したくはありませんでしたし、ささいなことを本気になって嫌がったりしては、逆に男性の心に火をつけてしまって危険なことを知っていたからでもあります。
予期しないことが起きたのは、それからすぐのことでした。手首に縄を回されて、キュッと締めつけられた瞬間、私はもう立っていることすらできないような、もの凄い衝撃を受けたのです。後ろに組んだ手が高く上がり、縄が胸に回されて二の腕にジワッと食い込んでくると、下腹の力が地球に吸い取られてしまったみたいにしてすっかり抜け落ちてしまい、頭の中まで真っ白になってしまいました。
気がつくと私は絨毯の上にペタリと尻もちをついていました。全身は熱く火照って、スカートが乱れているのが恥ずかしいのに、そのことを思うとますます身動きができなくなりました。金縛りに遭ったような、催眠術をかけられたような、意識とはまったく別次元の感覚です。お客様はそんな私に気づいているのかいないのか、さらに淡々と縄を足していかれました
「あぁぁっ……」
我知らず、はしたない声が抑えようもなく漏れ出してしまいました。
部屋の灯りは気付かないうちに消されていて、大きな窓から東京の夜景がぐるっと広く見渡せました。そして私は薄灯りの中で縛られたままお洋服を脱がされていったのでした。
抵抗なんてとてもできません。それどころか、毛羽立った麻の縄が肌に直接触れるようになると、下腹部がジンジンと痛いほどに脈打って、それこそ魔法にかけられたように身体中の力がいっそうなくなってしまうのです。
「あ……あ……」
全身が甘く痺れて唇がわななきました。信じては頂けないかもしれませんけれど、私は決して好色なタイプではありません。それがほんの少し縛られただけでこんなふうに取り乱してしまうなんて……自分の幼さに消え入りたいような恥ずかしさを覚えました。
背中の縄がグイッと引っ張られます。力の入らない私は自然と縄に身を任せる形になって、まるで宙を漂っているような感覚に陥ります。そして戻りかけていた理性をあっという間に雲散霧消させられてしまいます。
恐ろしいのは、そうして一度理性が消し飛んでしまうと、恥ずかしいことや苦しいことの何もかもが心地よく感じられてしまい、私に本来とるべき態度をとらせなくしてしまうことです。
まず、だらしなく開いてしまっている脚はお客様の目から下着を隠すためにしっかりと閉じ合わせなければいけません。ましてや知らないうちに乳房が晒されているなんてことは言語道断で、すぐにでも縄を解いてもらって、お洋服を着直さなければいけないはずです。それなのに、私はまるで淫乱女が「もっと見て」とでも言うように、脚は全開、乳房は丸出しのままで、ただダラダラと脂汗をかいているのです。
普段、ホステスをしていてもこんなに惨めな気持ちになることはありません。それでも私の身体はあさましくクネクネと媚びるばかりで、一向に言うことを聞いてくれる気配がありません。この間、お客様はずっと無言でいらっしゃいました。私はいつしか諦めにも似た気持ちの中でみっともない声を上げ、お客様のなすがまま、ただ縛られた身体を朝が来るまでくねらせ続けることしかできませんでした。
その朝以来、お客様はまだお店にいらしていません。けれど最後に一言だけ「連絡するよ」と言って下さったこと、それから「お前はマゾなんだよ」と付け加えていらしたこと、その二つの言葉の意味を考え併せると、私は今でもあのお客様に縛られたままでいるような気分になります。いいえ、本当のことを言えば、私はそう思い続けていたいのです。
どれだけ睨んでも電話は鳴ってくれません。あの方はまだお店にもいらっしゃいません。私が本屋さんの前を何度も往復し、やっとのことで貴誌を購入したのは、この落ち着かない気持ちを少しでも慰めたいという一心でした。でも、もういけません。もういても立ってもいられません。
私は、あのお客様にもう一度縛って頂き、責めて頂きたいと願っております。けれど私のほうから連絡する手段はございません。編集部の方々にはご迷惑と存じますが、もしかしたら、あの方は貴誌の愛読者の一人かも知れません。はばかりながら、哀れなマゾ女がこうしてペンを執った勇気に免じて、読者欄の片隅にでもこの手紙を掲載していただくことはできないでしょうか。
私にはこの他にどうすることもできないのです。なにとぞ、よろしくお願い致します。
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