法廷ドキュメント ハングリー国家 日本の悲劇
スナイパーアーカイブ法廷ドキュメント、第六回をお届けいたします。
禁断の快楽
日本に帰ってきて以来、僕は、女の人の裸に異常に興味を持つようになりました。
これが他の女の人の裸に対するものであれば別にどうということもなかったのでしょうが、僕の場合、母に対する欲望が異常なくらい昂まっていったのです。
あのハワイで母の水着姿を見て以来のことだと思うのです。
母の水着姿を見たのはあの時が初めてでした。
母はまだ四〇歳になっていません。
とっても素敵でした。
そして母の水着姿を思い浮かべ、あっと息を飲むくらい白かった彼女の太腿を思い出し、水着に隠されたデルタ地帯を想像し、僕は自慰にふけるようになってしまったのです。
あれは忘れもしません、夏休みになって最初の週のことでした。
僕は暑苦しくてなかなか寝つけず、起き出してシャワーを浴び、それからベッドに横になり、最初の自慰を完了しました。
それから又、シャワーを浴び、それでも寝つくことが出来ず、再度の行為を開始しました。
その時、母が帰ってきて、僕の部屋の中を見たのです。
僕はベッドに横になって右手を下腹部に伸ばし、手を動かしている最中でした。
もちろん母が帰ってきたのはわかっていたのです。
又、母はいつも帰ってくると休む前に僕の部屋の扉を開けて、寝ているかどうかを確かめることは知っていました。
しかし、それは、いつも母が化粧を落とし、パジャマに着換えてからのことだったのです。
その日ばかりは、どういうわけかその手順を母は守らず、いきなり僕の部屋を開けたのです。
僕は全く意表をつかれた形になってしまい、自慰の場面をどうとりつくろって良いやらわからず、すっかりあわててしまったのです。
母はそんな僕のことをしばらく見つめていましたが、事の成り行きを理解したのでしょう、部屋に入ってきて、こういったのです。
「巨君も大人になったのね」
そして僕の所に近づいてきて、何を思ったのでしょうか、服を脱ぎ始めたのです。
僕はすっかりうろたえてしまい、それでも母が何かとても危険な、隠靡な振るまいをするのではないかと恐ろしくなり、
「やめてよ、ママ!」
と叫びました。
しかし母は、すっかり裸になると、僕の顔を両手で挾み、
「さあ、ママの体を良くごらんなさい。巨君が勉強に身を入れられるようにしてあげる」
と言うと、僕の体をベッドに倒し、パンツを下げ、両足を彼女の太腿で挾むようにして跨がり、そうして僕と母は、その晩、到頭、男と女の関係になってしまったのです。
母はそれ以来、週に何回かのペースで僕との関係を続けました。
最初の頃と違って一ヵ月もたった頃の母は、僕との交渉の時、喜びの声をあたりかまわずあげるようになっていました。
交渉の時だけは、僕らは親子の絆が消えて、完全な男と女の関係になっていたのです。
僕はそんな母との関係に苦しみました。
母との関係は許されないもの、禁じられた行為だとの意識はあったのです。
でも、母がその肉体を僕の目の前に晒し、おおい被さってくると、僕はどうすることも出来ませんでした。
まったく僕の頭は狂ったようになり、母の肉体にのめり込んでいったのです。
調査官、僕は本当に苦しかったのです。
母との関係は続けたのですが、やはりこういうことはいけないという意識は絶えず僕を苦しめていました。
何とかしなければ、何とか。
そして三年ぶりに桜井信子さんに会った時、僕は彼女の肉体を知れば、母との恐ろしい関係が絶てると考えたのです。
僕は信子さんに僕を救ってくれる菩薩様になって欲しかったのです。
そこまで言うと巨は調査官に取りすがって号泣した。
調査官は暗鬱たる虚空の真ッ只中で烈風に吹き晒されている思いだった。
狂っている。
犯罪者は誰だろう?この子か?否!違う。
断じてこの子ではない。
調査官はただ巨の肩を優しく叩くのみであった。
法廷ドキュメント ハングリー国家 日本の悲劇 第八回 文=法野巌 イラスト=笹沼傑嗣 強姦未遂事件を起こした少年には母親との不倫の関係があった |
スナイパーアーカイブ法廷ドキュメント、第六回をお届けいたします。
禁断の快楽
日本に帰ってきて以来、僕は、女の人の裸に異常に興味を持つようになりました。
これが他の女の人の裸に対するものであれば別にどうということもなかったのでしょうが、僕の場合、母に対する欲望が異常なくらい昂まっていったのです。
あのハワイで母の水着姿を見て以来のことだと思うのです。
母の水着姿を見たのはあの時が初めてでした。
母はまだ四〇歳になっていません。
とっても素敵でした。
そして母の水着姿を思い浮かべ、あっと息を飲むくらい白かった彼女の太腿を思い出し、水着に隠されたデルタ地帯を想像し、僕は自慰にふけるようになってしまったのです。
あれは忘れもしません、夏休みになって最初の週のことでした。
僕は暑苦しくてなかなか寝つけず、起き出してシャワーを浴び、それからベッドに横になり、最初の自慰を完了しました。
それから又、シャワーを浴び、それでも寝つくことが出来ず、再度の行為を開始しました。
その時、母が帰ってきて、僕の部屋の中を見たのです。
僕はベッドに横になって右手を下腹部に伸ばし、手を動かしている最中でした。
もちろん母が帰ってきたのはわかっていたのです。
又、母はいつも帰ってくると休む前に僕の部屋の扉を開けて、寝ているかどうかを確かめることは知っていました。
しかし、それは、いつも母が化粧を落とし、パジャマに着換えてからのことだったのです。
その日ばかりは、どういうわけかその手順を母は守らず、いきなり僕の部屋を開けたのです。
僕は全く意表をつかれた形になってしまい、自慰の場面をどうとりつくろって良いやらわからず、すっかりあわててしまったのです。
母はそんな僕のことをしばらく見つめていましたが、事の成り行きを理解したのでしょう、部屋に入ってきて、こういったのです。
「巨君も大人になったのね」
そして僕の所に近づいてきて、何を思ったのでしょうか、服を脱ぎ始めたのです。
僕はすっかりうろたえてしまい、それでも母が何かとても危険な、隠靡な振るまいをするのではないかと恐ろしくなり、
「やめてよ、ママ!」
と叫びました。
しかし母は、すっかり裸になると、僕の顔を両手で挾み、
「さあ、ママの体を良くごらんなさい。巨君が勉強に身を入れられるようにしてあげる」
と言うと、僕の体をベッドに倒し、パンツを下げ、両足を彼女の太腿で挾むようにして跨がり、そうして僕と母は、その晩、到頭、男と女の関係になってしまったのです。
母はそれ以来、週に何回かのペースで僕との関係を続けました。
最初の頃と違って一ヵ月もたった頃の母は、僕との交渉の時、喜びの声をあたりかまわずあげるようになっていました。
交渉の時だけは、僕らは親子の絆が消えて、完全な男と女の関係になっていたのです。
僕はそんな母との関係に苦しみました。
母との関係は許されないもの、禁じられた行為だとの意識はあったのです。
でも、母がその肉体を僕の目の前に晒し、おおい被さってくると、僕はどうすることも出来ませんでした。
まったく僕の頭は狂ったようになり、母の肉体にのめり込んでいったのです。
調査官、僕は本当に苦しかったのです。
母との関係は続けたのですが、やはりこういうことはいけないという意識は絶えず僕を苦しめていました。
何とかしなければ、何とか。
そして三年ぶりに桜井信子さんに会った時、僕は彼女の肉体を知れば、母との恐ろしい関係が絶てると考えたのです。
僕は信子さんに僕を救ってくれる菩薩様になって欲しかったのです。
そこまで言うと巨は調査官に取りすがって号泣した。
調査官は暗鬱たる虚空の真ッ只中で烈風に吹き晒されている思いだった。
狂っている。
犯罪者は誰だろう?この子か?否!違う。
断じてこの子ではない。
調査官はただ巨の肩を優しく叩くのみであった。
07.07.25更新 |
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