老舗SMメーカー情報第3弾!
マニアビデオの極北を目指して 【1】
「アートビデオ」の歴史は日本のSMビデオの歴史である。多くの人々が「アートビデオ」の名作群によって、SMに目覚め、そしてこの業界へ入ってきたと言う。その強烈な魔力の源となっていたのは、マニアによるマニアのための作品作りというポリシー。「アートビデオ」は24年間、そこにこだわり続けてきた。社長であり、数多くの作品を手がけてきた監督であり、そしてイカセ屋、ミスター・ミネックの名でも知られる峰一也氏に「アートビデオ」の歩みを聞いた。AV黎明期、こうして「アートビデオ」は生まれた!
関連リンク
アートビデオ公式サイト
レンタル作品紹介=http://www.art-sm.com/
セル作品紹介=http://www.art-video.jp/
最新作のサンプルムービー等を紹介=http://www.ace-web.co.jp/
旧作のダウンロード販売=http://www.art-smonline.com/
マニアビデオの極北を目指して 【1】
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インタビュー・文=安田理央 80年代初頭のAV黎明期から存在するSM専門メーカー『アートビデオ』を直撃!! 峰一也監督ロングインタビュー! アートビデオ最初期のパッケージ。公式HP等で確認できる最初のタイトルは左図の『餓狼の罠』だが、第一作は『地下室の淫魔』である。詳細は本連載の峰氏インタビューをご覧ください。 |
「アートビデオ」の歴史は日本のSMビデオの歴史である。多くの人々が「アートビデオ」の名作群によって、SMに目覚め、そしてこの業界へ入ってきたと言う。その強烈な魔力の源となっていたのは、マニアによるマニアのための作品作りというポリシー。「アートビデオ」は24年間、そこにこだわり続けてきた。社長であり、数多くの作品を手がけてきた監督であり、そしてイカセ屋、ミスター・ミネックの名でも知られる峰一也氏に「アートビデオ」の歩みを聞いた。AV黎明期、こうして「アートビデオ」は生まれた!
日本最古のSMビデオメーカー、「アートビデオ」が誕生したのは1982年。前年に初の撮り下ろし作品が発売されたばかりのAV黎明期。代々木忠監督の『ザ・オナニー』が大ヒットし、裏ビデオでは『洗濯屋ケンちゃん』が人気を集めていた時代である。
24年前に第一作『地下室の淫魔』を発売して以来、SMビデオ界のトップを走り続ける「アートビデオ」。社長であり、看板監督である峰一也氏に、その歴史を聞いた。 一時停止を駆使しての一発撮りで アートビデオ第一作は生まれた 峰:「もともとはギタリストだったんだけど、バイトでモデル事務所の手伝いをしてたんだ。マナベさん(80年代初頭に、エロ本関係者はみんなお世話になった伝説的なモデル手配師)の運転手とかやって、女の子をあちこち連れて行ったりして。世の中にはこういう仕事もあるんだなぁって、その後、自分でもモデル事務所を始めたんですよ。ただ、色々あって、その仕事を続けられなくなった時に、女の子はいっぱいいるんだからその子たちを撮ればいいやって、カメラマンになっちゃったんだ。もともと写真は興味あったから」 モデル事務所時代に、よく杉浦則夫氏の現場に女の子を連れて行っていたことなどから、SM業界とつながりが深まっていく。 峰:「それまでSMとかって知らなかったし、興味なかったんだけど、刺激的ですよね。濡木痴夢男さんが縛るのとか見て。そういう現場でSMに目覚めたんですよね。自分でもやってみたくなるじゃないですか。それで、杉浦さんのライティングとか研究して、マネしてSM写真を撮るようになったんだ」 ちなみに初期のアートビデオにクレジットされている「アートスタジオ」とは、この時期に峰氏が作った撮影スタジオの名前である。 その頃、峰氏は出入りしていたサン出版(『SMコレクター』誌を出版していた)の編集者からマニア向け通販ビデオの話を聞く。 峰:「その後、「バンビデオ」なんかをやるAさんって人なんだけど、通販ビデオを作ったら、すごく売れたんだって、段ボールいっぱいの現金書留を見せてくれた。へぇ、ビデオってこんなに売れるんだって驚いて、自分でもやってみたんです。それが始まりなんだ」 SM写真を撮るノウハウはあるのだから、なんとかなるだろう。峰氏は、こうしてアートビデオ第一作となる『地下室の淫魔』を撮影した。しかし、その機材は家庭用に買ったビデオカメラとデッキだった。 峰:「子供とか撮るために買ったやつ(笑)。一台しかないから編集は出来ない。頭から順に撮っていくしかないし、停止ボタンを押すと画面にノイズが入っちゃうから、カットする時は全てポーズ。でも、そのポーズが八分しか保たないから、その中で縛り直したりして大変でしたよ。失敗は許されない一発勝負。でも、その緊張感がよかったね。編集機を借りてって発想は全然なかったな。本当に手作り作品ですよ。タイトルも画用紙に手書きして、それを撮るだけ」 スタッフは、モデルと男優、縛り師の濡木痴夢男氏、そしてカメラの峰氏の五人だけだ。この時の男優こそが、80年代「アートビデオ」黄金期を支えた名男優・黒田透である。 |
(続く)
※この記事はS&Mスナイパー2006年11月号に掲載された記事の再掲です。
また記事中の画像の著作権は、全て株式会社アヴァに帰属します。
関連リンク
アートビデオ公式サイト
レンタル作品紹介=http://www.art-sm.com/
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安田理央の恥ずかしいblog 新刊「エロの敵 今、アダルトメディアに起こりつつあること」(翔泳社) |
安田理央 気がつけば、今年で40代を迎えるエロ系ライター。今年はボーッとしてると大変ヤバイことになってしまいそうなので、色々と新しい行動を起こすぞと考えたり考えなかったりしております。「エロの敵」に続くアダルトメディアルポも構想中。 |
07.04.23更新 |
WEBスナイパー
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