Pornographic design in Japan
意識しなければ気がつかないほどに世の中にはデザインされたものがあふれています。アダルトコンテンツに対しても多くのデザイナーが携わってきましたが、ほとんどのポルノは特別な注目を浴びることがありません。
これまで省みられてこなかったポルノ・デザインの変遷を、日本のデザイン青史のいち潮流として、ばるぼら氏が読み解きます。■前史(1):エロのデザイン史における近世とは何か
まずエロの近世史・近代史の区分として採用したいのは、末井昭『素敵なダイナマイト・スキャンダル』(1982年。2013年に復刊もされた)の第二章のこんな記述である。末井氏はエロ業界では知らぬ者はいない編集者/作家で、2012年まで白夜書房の取締役を務めていた。その末井氏が1975年に『NEW SELF』という新しいエロ本を創刊したときのエピソードだ。
それまでのエロ雑誌はドカタ向けだからかどうか知らないが、わざと下品にすることが売れるヒケツだと思われていた。レイアウトはゴチャゴチャしてるし、タイトルは文字がパンツをはいたりしたレタリングだった。きれいでスッキリしたレイアウトに意味があるとは思わなかったが、誌面はスッキリ、タイトルも全部写植文字にした。こんなことを自慢してもしかたないけど、タイトルを全部写植文字にしたのはエロ雑誌では初めてだった。
重要なのは〈わざと下品にする〉という部分である。読者の審美眼を低く見積もっていた時代は、エロ本は下品な外観でなくては手にとられないと考えられていた。エロは下品なものであり、下品であることを主張しないとエロ本らしくないと思われていたわけだ。
しかし末井氏が手がけた『NEW SELF』は刷り部数の八割を売る好成績で、必ずしもエロ本は下品な見た目でなくてもいいことを証明した。これは変革である。エロ=下品と直結させた思考でエロ本が作られていた時代、これを「近世史」とし、スッキリさせた魅せ方でこれまでとは違うエロ本を作りはじめた時代、これを「近代史」としたい。
この頃、エロ本は過渡期にあったのである。エロ雑誌にも、それまでのベテラン編集者の中に少しずつ若い人たちが入りだし、当然読者層もドカタから学生へと変りつつあった。そんな波にうまく乗ったのが『NEW SELF』だったのだろう。
近世史のエロ本の特徴は原色と描き文字にある。原色の乱用は派手でわかりやすく、目にチカチカと残りやすい。また活字・写植ではない描き文字の多用は、艶っぽさ、汁っぽさ、熱っぽさを示す記号として装飾性を高め、さらに文字に枠線をつけることで立体感が増し強調される。すべての要素をそれぞれ目立たせようとするために、非常にごちゃごちゃと整理されていない印象となり、結果、より下品に見えるわけである。
この近世史のエロ本は一見して異常な熱量・生命力を感じるために、これこそがエロの本質的デザインだ、と思う人もいるかもしれない。その意見を否定するつもりはないが、これらはエロのデザイン史においては、現生人類に進化はしないまま消えたネアンデルタール人のようなものだ。つまり、ここから何かがはじまるのではなく、むしろそれまでの歴史の最終形態だったといえる。そして別の種族(ここでは末井の『NEW SELF』)の登場によって新たな歴史がはじまるというわけだ。
(つづく)
■補足解説:戦後間もない時期のエロ本デザイン
話を先に進めるため、1970年代前半までを近世として強引にまとめてしまったが、もちろん優れたデザインは単発では発見できる。ここでは初期ベストと考えるデザインを二つ紹介しておく。
1940年代の優れたデザインの代表として、戦後発禁第一号となったカストリ誌『獵奇』2号(1946年11月)を見てみよう。表紙を描いているのは山名文夫。資生堂のキーデザインをはじめ日本のグラフィックデザイン史に残る仕事を数多く残したイラストレーター/デザイナーである。創刊号(1946年10月)の田口泰三(『海洋少年』『冒険王』『オール生活』などに挿画を描いていた画家)による表紙画と比べて完成度が高いのは、タイトルと絵が分離せず一体化していること、ホワイトスペースが活かされていること、四隅を安定させていること、などを理由として指摘できる。田口氏の絵は単体で完成されているため、文字を追加すると全体のバランスが崩れてしまう。しかし山名氏の絵は文字と組み合わせることを前提に描かれている。だから破綻しない。というわけだ。
性風俗やヌード画報で知られる『100万人のよる』(1956年4月,季節風書店)の創刊号は一見、気のきいたポーズの写真が使われている。なかなかいいデザインではないか、と思いたくなるが、そうではない。これはたしかに写真とそのトリミングは優れており、裸の下半身が何かを期待させるものではある。だがその写真の良さを活かさないでそのままなんとなく文字を乗せてしまっているために、写真の効果を半減させてしまっている。おそらくこれをデザインした人物は「文字と図版を一枚に収める」以上のことを考えなかったのだろう。
『日本週報』臨時増刊「日本女性の"性"の実態」(1953年9月)も同様で、女性の裸の後姿をまったく活かしていない文字の乗せ方である。「日本週報」と「日本女性の...」という文字の置く位置の上部ラインが揃ってないのも奇妙だし、全体的に右側に要素を配置しすぎでバランスが悪い。この雑誌が特別悪いわけではなく、こうした無自覚なデザインはいくらでも見つかる。
1950年代のベストだと思うのは『カメラ』の臨時増刊として出た『女の断章 フランスヌード傑作集No.4』(1954年3月)だ。この「ヌード傑作集」シリーズは他の号も悪くないのだが、4号は圧倒的である。最初は「外人ヌードだから良いのは当たり前」くらいに思っていた。しかしよく見ると見事な構成がされている。アンドレ・ド・ディーンズ撮影のモノクロヌードの写真に、おそらく花火の写真フィルムを重ねて合成し、カンディンスキー風に抽象的な丸や曲線の模様を散らしている。タイトルの「女の断章」は描き文字にも拘わらず下品さがなく、手塚治虫が描いたといわれても信じてしまいそうだ。色数も少なく抑圧的で、要素ごとに色分けするのではなく、全体を見て配色のバランスをとっている。そうして右下から左上に向かって駆け上るような開放感を表紙全体で表現する。
かなりの腕前だがデザイナーのクレジットはなし。版元の株式会社アルスは北原白秋の弟である北原鐵雄が創業した美術系に強い出版社なので、美的感覚に優れたデザイナーが周囲にいたのかもしれない。陰湿な裸体ではないこの明るいヌード写真集をエロ本といっていいのかは不明だが、多くの読者は洋ピンエロ本として見ていたであろうと判断した。
比較のために、この頃の写真雑誌の平均的な表紙デザインの例として『サンケイカメラ』1956年10月号を紹介しておく。カメラ専門誌のヌード撮影を取り上げた号。ほとんど文字要素のない表紙の中心は、暗いスタジオで逆光で照明を浴び、うっすらと浮かび上がる女性の裸。芸術写真の撮影シーンを意図しつつ、同時に淫靡な印象も与える。ライトが抽象的な記号のように配置され、決して悪くはないセンスだが、先の開放感と比較すると暗さがどうしても気になるし、タイトルの「サンケイ」だけなぜ丸文字なのかといった部分が全体の完成度を下げている。
文=ばるぼら
ばるぼら ネットワーカー、古雑誌蒐集家、周辺文化研究家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』(共に翔泳社)、『NYLON100%』『岡崎京子の研究』(共にアスペクト)など。共著で『消されたマンガ』(鉄人社)。
「www.jarchive.org」 http://www.jarchive.org/
14.02.15更新 |
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