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I want to live up to 100 years
「長生きなんてしたくない」という人の気持ちがわからない――。「将来の夢は長生き」と公言する四十路のオナニーマエストロ・遠藤遊佐さんが綴る、"100まで生きたい"気持ちとリアルな"今"。マンガ家・市田さんのイラストも味わい深い、ゆるやかなスタンスで贈るライフコラムです。
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■はじめに
――AVとオナニーをこよなく愛するアラフォー女子。一昨年までは職業欄に「ニート」と記入しておりましたが、政府が定めた規定値(16歳から34歳までの無職者)から外れてしまったため、しぶしぶフリーターとなる。AV好きが昂じて最近はAV誌でレビューなどもさせていただいております。好きなものはビールと甘いものと脂身。性感帯はデカ乳首。将来の夢は長生き。
このフザけた文章は何か。そう、WEBスナイパーにも載っている私の公式プロフィールだ。
8年前(もうそんなになるのか......!)にWEBスナイパーで初めて"ぶらりエログッズの旅"という連載を持たせてもらったとき、編集さんから「コラムの後ろにつけるプロフィール文をお願いします」と言われ、適当に考えて書いた。
5分くらいで適当に書いたものではあるけれど、たまにプロフィールを求められるとこの文をそのまま引用するくらい気に入っている。特に最後の「将来の夢は長生き」という部分は、前向きなんだかそうじゃないんだかわからないところが、我ながら自分をよく表わしていると思う。
なぜいきなりこんなどうでもいい話をするのかというと、ここ数年「長生きなんてしたくない」という人が目に付くようになってきたからだ。
正直言って、私にはその気持ちがわからない。
だってそうだろう。死んだら美味しいものが食べられなくなるし、テレビのバラエティや映画が見られなくなるし、大好きな乳首オナニーもできなくなる。好きなアイドルを見てキャーキャー言うことだってできないし、熱い温泉に浸かって「はぁ~」とため息をついた後で生ビールを一気に流し込むことも二度とない。何事も「命あってのものだね」だ。
そりゃあ人間生きていれば、辛いことも失意のどん底に陥ることもある。でも、できることなら100歳まで生きたい。そう思うのが当たり前だろうと思っていた。
しかし、どうもそうばかりじゃないみたいなのである。
最初は、今自分がいる場所のせいだと思った。
こう見えて私も一応ライターのはしくれ。リアルな人間関係もtwitterのタイムラインも普通よりはクリエイター色が強い。
何を置いてもやりたいこと、やるべきことを持っている人たちなら、私とは違った価値基準があるだろうから"太く短く"的な生き方を求めるのもわかる。きっと、無意識のうちにそういった特別な例だけを見てしまっているんだろうと思っていた。
その思い込みを打ち砕いたのは、あるとき編集さんが言った言葉だ。
「今の10代20代には、長生きなんてしたくないと思ってる子が普通にいますよ」
......そ、そうなの?
「こんな時代ですからね。"生きづらい"って感じてるんじゃないですか。あと若い女性には、今が女としての価値のピークで、30代、40代の自分なんか想像できないって子も多いですよ」
えー、まじすか......。
「長生きなんてしたくない、年をとる前に死にたい」と言っている人がどうしてそう考えるのか。
理由は「明るい未来が想像できない」「老後が不安」のようなわりと共感できるシビアなものから「シド・ヴィシャスもジャニス・ジョプリンも早死にだから」などという、お前何様じゃ!というものまで様々だろう。
その中でも私が特にモヤモヤしてしまうのが「年をとったら女として見られなくなる。そうなったら生きている意味がない」というやつである。
確かに10代20代の女の子にとっては、自分が女として見られなくなる四十路五十路は恐怖の年齢でしかないのかもしれない。でも......でも......!(←四十路の歯ぎしり)
年は誰だって必ずとるし、女としてチヤホヤされなくなったからといって別にそこで人生が終わるわけじゃない。ほら、家でワイドショー観てるお母さんも、腰が痛いってブツブツ言いながら毎日病院に茶飲み話しに行ってるおばあちゃんも、それなりに楽しく生きてるじゃあないか。
女の人生は生理のない時期のほうが長いのだ。冬ソナなめんな~。ゲートボールなめんな~。43歳零細AVライターなめんな~。
......というのは冗談だが(嘘、6割くらい本気です......)、今の若い女の子たちが必要以上に年をとることを恐れるのもなんとなくわかる気がする。
10代20代の黄金期を過ぎ無事30代後半のプチ熟女期に突入できたとしても、そこからは妊娠とか婚活とか老後の問題なんかがよりいっそう重くのしかかってくるだろう。いやあ、女の悩みというのはなかなかに数多いものですね。でもやっぱり私は100まで生きたいよ。
というわけで、四十路に足を踏み入れて早3年。名実ともにオバサン過渡期である私が、四十路女も五十路女も思ったほど悪くないですよということをつらつらと書いていこうと思う。
とはいえ「老化をポジティブに受け入れよう」とか「素敵なミドルエイジを!」なんてクロワッサンみたいなことはまったく思ってない。"年をとったほうがラクになることもあるし65歳過ぎれば年金だってもらえるんだから、そんなに心配することないっすよ"というくらいのスタンスでいければと思っているので、よろしくどうぞ。
■オナニー女子とOlive少女
さて、そんなこんなで中年女の生と性について語ることにしたわけだが、本題に入る前に一つだけ心配がある。
それは、こんな私がああだこうだと熱弁をふるっても「能天気なオナニー女に性の何がわかる!」と一笑に付されてしまうんじゃないかということだ。
WEBスナイパーの連載のおかげで、最近ではオナニーマエストロの名で思わぬところからオナニー記事の仕事を貰うことも増えてきた。それはすごくありがたい。しかし、私だってのほほんとオナニーだけして43年間生きてきたわけじゃない。
金がないなりにオシャレに興味を持っているし、殿方とセックスしたこともあるし、華やかな恋愛とは程遠いけど一応結婚だってした。人生の中に占めるAVやオナニーの比率が高めなだけで、まあ基本的には一般女子と同じなんじゃないかなと思っている。
でもオナニーコラムの印象は強烈なようで、仕事で初対面の相手に会うとよく「案外普通の女性ですね」なんて言われてしまう。一体どんなオナニーづらだと思われていたんだろうか......。
だからまず、笑われるのを覚悟で言っておきたい。
私は確かにオナニー女子だけれど、それと同時に"Olive少女"でもある(四十路にもなって少女を名乗るとは何事だ!と怒られそうだが、これは気持ちの問題だから見逃していただきたい)。
Olive少女というのは1980年代~2000年頃までマガジンハウスから出ていたサブカル都会派少女雑誌『Olive』にかぶれた女の子のことで、当時高校生だった私は熱心な愛読者だった。今でいうと森ガールみたいな感じだろうか。青山の洋服屋とかパリのリセエンヌファッションとか読書とか写真とか、とにかくおしゃれで可愛らしいものがたくさん載っていて、誌面を眺めているだけで楽しかった。
ミドルティーン向けの少女雑誌だから20歳過ぎたら読まなくなるのが自然なのだろうが、10年ほど前に休刊になるまでずっと読み続けていたのだから筋金入りである。
「私、Olive少女ですから」と言うと、編集部のⅠさんはいつも面白がる。
オナニー女子とOlive少女。一見まったく正反対のものが同居してるのが不思議なのだろう。でも、私にとってはまったく自然なことである。
なぜならその2つには「しょぼい現実や不安な未来から目をそらさせてくれるもの」という共通点があるからだ。
当時マガジンハウスには『Olive』だけじゃなくもう少しお姉さんをターゲットにした『an・an』もあって、20歳過ぎた女の子たちはだいたいそっちのほうを読んでいた。でも20代~30代前半、女まっただ中の私は『Olive』ほうが好きだった。
今考えると、当時はいろいろあって実家でモラトリアム生活を送っていたし、非モテでパッとしなかったから、『an・an』に載っているような男ウケを意識したファッションや、ニートにはなかなか買えない値段の小物や、生々しい恋愛話はあまり見たくなかったんだと思う。「Olive少女」の呼び名どおり、『Olive』を読むことで少女でいたかったのかもしれない。
オナニーも同じだ。当時の私にとって、スカパーのアダルトチャンネルを観てオナニーすることは至上の娯楽だった。罪悪感や情けなさを感じたことなんて一度もない。オナニーは気持ち良くて楽しくて、没頭していると不安な気持ちを忘れられるものだった。
愛する『Olive』は2003年、私が34歳のときに休刊になった。
それからしばらくして私は地元の印刷屋さんでアルバイトを始め、ふとしたきっかけでAVレビューも書くことになった。大学時代からずっと続いていたモラトリアム期をちょっとだけ抜けだし、一般女子らしいあれこれも経験した。
でも、実家の部屋にはまだ数年分の『Olive』バックナンバーと電マが一緒になって転がっている。こんなことを言うと笑われそうだけど、どちらも戦友みたいなものだ。
WEBスナイパーでコラム連載を始めたとき、プロフィール欄に「将来の夢は長生き」なんてことを書けたのは『Olive』とオナニーのおかげかもしれない。
文=遠藤遊佐
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