毎週土曜日更新!
onanistic pacifism by “maestro”Endo Yusa.
↑元ミス・ユニバース日本代表にして元祖ワンレン女優の萬田さん。51歳でこの美貌、驚くばかりです。ところで愛犬君の正式名称はやっぱり“マン田クリ”ということでよろしいんでしょうか……。(『ハーズ』2009年9月号 光文社)
以前、“クリスタル・ケイのあだ名が「クリちゃん」ってどうなの?!”と書いたことがあったと思うんですが、最近また新たに気になる豆知識ができてしまいました。
萬田久子の愛犬の名前も、クリちゃん。
いや、自分でも考えすぎだとは思うんですけど、ここんとこテレビ観てるとよく萬田久子がクリちゃん連れて出てくるんですよ。
萬田「うちのクリちゃんは真っ黒なんですよ〜」
アナウンサー「いやあ、ほんとに可愛いですねえ、クリちゃん。撫でていいですか?」
……キミら、絶対わざとだろ!!
特に、自分がマン田でありながら(小学校の時とか絶対からかわれてたはず!)敢えて「クリ」と名付ける萬田さんは、確信犯以外の何物でもないと思います。
むう、熟女おそるべし……。
皆さんお元気ですか。「クリトリス」なら100回だって言えるのに「クリちゃん」と言うのはなぜか恥ずかしい、オナニーマエストロ遠藤です。
onanistic pacifism by “maestro”Endo Yusa.
↑元ミス・ユニバース日本代表にして元祖ワンレン女優の萬田さん。51歳でこの美貌、驚くばかりです。ところで愛犬君の正式名称はやっぱり“マン田クリ”ということでよろしいんでしょうか……。(『ハーズ』2009年9月号 光文社)
以前、“クリスタル・ケイのあだ名が「クリちゃん」ってどうなの?!”と書いたことがあったと思うんですが、最近また新たに気になる豆知識ができてしまいました。
萬田久子の愛犬の名前も、クリちゃん。
いや、自分でも考えすぎだとは思うんですけど、ここんとこテレビ観てるとよく萬田久子がクリちゃん連れて出てくるんですよ。
萬田「うちのクリちゃんは真っ黒なんですよ〜」
アナウンサー「いやあ、ほんとに可愛いですねえ、クリちゃん。撫でていいですか?」
……キミら、絶対わざとだろ!!
特に、自分がマン田でありながら(小学校の時とか絶対からかわれてたはず!)敢えて「クリ」と名付ける萬田さんは、確信犯以外の何物でもないと思います。
むう、熟女おそるべし……。
皆さんお元気ですか。「クリトリス」なら100回だって言えるのに「クリちゃん」と言うのはなぜか恥ずかしい、オナニーマエストロ遠藤です。
さて、誰に聞かれたわけでもないのに前回から始まった、マエストロのヰタ.セクスアリス話。続きです。
オナニーはまだ覚えていなかったものの、父親秘蔵のエロ・コレクションによってエロネタには不自由しなかった小学校時代の私。しかし見た目は落合福嗣だし、わんぱく相撲に出てみりゃ優勝だし、普段の生活にはまったくエロスのかけらもありませんでした。
まあ、小中学生の実生活にたいしたエロスがないのは当たり前っちゃ当たり前なんですが、頭の中がちんこやまんこでいっぱいだったわりには、自分自身の色気はまったく皆無といってよかったかもしれません。クラスの男子にぽわーんとなることもなく、スカートも穿いたことがない。(ちなみに当時のあだ名は、天パーで色黒だったから“ジャングリアン”……) 。
むう。どうしてこんな極端なことになってしまったのか。
今になって考えてみると、私が一般的な女子道から外れオナニスト化したのに理由があるとするならば、その一つは“長野県出身”ということだと思います。
えー、皆さんは「長野県」と聞いて何をイメージするでしょうか。
冬季オリンピック? それともペログリ知事・田中康夫?
↑なんとなくクリスタルでペログリな彼が県知事になった時には、お堅い長野県もフリーセックス度がアップするのではないかと思ったものですが、まったく変化はありませんでした。日本のスウェーデンにしてくれるかと密かに期待していたのに。
いいえ、違います。そんなのはまったく表面的なこと。
長野県を語るのに最も重要なキーワード、それは“教育県”。
長野県は昔から“教育県”と言われておりまして、それはもう教育に熱心なお土地柄なのです。
とはいっても、けして頭がいい県というわけではなく、哀しいかな長野県の大学進学率は全国でもかなり下のほう。その教育熱心さは、なんだか奇妙な方向に向かっているのです。
えー、まず長野県にはソープというものがありません。イメクラくらいはあるのかもしれないけど、少なくとも私は見たことがない。
そしてマエストロのテリトリーであるAVに関しても、TSUTAYAみたいな全国規模のビデオショップが出店するまではものすごく借りにくかったんですよ。なぜなら長野県で一番大きなビデオショップチェーンはAVを置いてなかったんです。信じられます?!
本もエロ本はほとんど売ってなかったなあ。買いたかったら街の小さな個人商店か古本屋に行くしかなかった。
要するに、エロの砂漠。
↑そういえば長野県が生んだ偉大なるグラドル・乙葉ちゃんも、その昔テレビで「長野県の人はHなことしないんですよ!」と公言していました。
でも、実際には我が家の押入れの中には丸見えポルノがわんさとあったし、ソープまがいの営業をしてる店もあったんだと思います。
そんなふうに、どこにでもあるエロを“ないもの”としている不自然な状況に加え、学校もなんかよくわかんないことになっていました。
今でもはっきり覚えてるのは、小学校のプールの時間のこと。
当時私が通っていた小学校では“3年生までは男女関係なく海パンを着用すること”という妙な決まりがあり、低学年の女の子はみんなヘソが隠れるくらいのブルマーみたいな海パンで水泳の授業を受けていました。でもまあ成長には個人差というものがありますから、3年生にもなると当然胸がおっきくなってくる子もいるわけですよ。
その時に「胸が恥ずかしいから」と先生に直訴すれば一応水着を着ることはできるわけなんですが、それが言いにくい空気っていうのがもうできてるんですね。
そうでなくても、クラスで一番最初に水着を着るっていうことは、クラスで一番早熟だというのをカミングアウトしているようなもので、シャイな子にとっては恥ずかしくないわけがない。
かくいう私も、体が大きかったので3年生頃にはもうかなり微妙な感じになってたんですが、見た目が落合福嗣なこともありやっぱり「水着着る!」とは言えず、1年間くらいは第二次性徴全開の体に海パンという異様な姿で押し通していました。
一番成長が早かった女の子なんかは先生受けのいい“いい子ちゃん”タイプの子だったため、「水着を着させろ」なんていうアウトローな発言はできるはずもなく、Bカップくらいの乳をぶるぶるゆわせて泳いでいたものです(うーん、今考えるとマニア垂涎映像ですね……) 。
↑なんてったって世の中にはこういう嗜好もあるわけですから。おお怖い!(←お前が言うな)
なんというか、エロいものや早熟なものを見なかったことにする、というような風潮があったんですよね。まあ、私の通ってた学校がちょっと変わってたのかもしれないですけど、それによる抑圧みたいなものはあったかもしれません。
で、そんな感じで地域の中学へそのまま上がったマエストロを待っていたのは、相変わらずのよくわかんない教育っぷりでした。
中学では、クラスの男子にエロ本(スコラとかオレ通とか)を借りたりしながらそれなりに楽しくのびのびやっていたんですが、今考えるとやっぱりちょっと変わっていたような気がします。
私の通っていた学校は地域でも模範校みたいに言われていたせいもあって、とにかくルールが厳しかった。それも「校則だから守れ」というんじゃなく「できれば守ったほうがベター」みたいな建前なのに結局は守らされる、みたいな。こう、なんというか、じわじわくる感じ。
えー、笑わないでほしいんですが、マエストロの中学時代、女子は全員黒いパンタロン着用が義務付けられていました。スカートではなくパンタロン。ツルッとしてて折り目がついててチャックが横にあるやつ。
↑イメージとしてはこんなの。ピンキーとキラーズとか、相良直美とかが穿いてるやつですね。当時は「レズが穿くきそうなズボンだなー」と思ってました。
「決まった制服はないから、私服で通学せよ」という建前にはなっているんですけども、下半身はパンタロン。上半身は地味な色の服でワンポイントは7センチ以下と決まってました(ときどき風紀委員が物差しをもって計りに来る)。
あと靴は5千円以下で、髪の毛は男子は坊主、女子は肩と眉にかかったら切られる。日に2回の掃除の時間は頭に手拭いをかぶり、手順から雑巾のサイズまできちっと決まっていて、ずっと無言。ちゃんと守っているかどうか、清掃委員がチェックを入れます。
どうです。今どきの中学生から見れば、なかなかすごい状況でしょう!
そしてさらにすごいのは、給食の時間。「給食センターの人に失礼がないように」という建前のもとに食器を洗って返すんですけど、なぜかその洗ったお湯を「もったいないから」って飲まされるんですよ……。
詳しく言うとですね、まず牛乳瓶にヤカンのお湯を2センチ入れるんです(これも決まり)。で、そのお湯を今度は焼きそばの入ってた食器に入れて、そのまま酢の物が入ってた食器に移して、ぐるぐるゆすいでそのまま胃の中に……グエー!!! ぎぼぢわるい!!!
ああ、思いだしただけで吐き気がしてきた……我ながらよくあんなの飲んでたもんだよ。おかずが和食だったりしたら「当たりだ」と思ってたもんなあ(醤油の味付けだと、お湯を入れても飲みやすい)。
でも、不思議なことに、みんなぶつぶつ言いながら飲んでたんですよね。
「どうして拒否しなかったの?!」と思うでしょうが、その頃はとにかくそういったわけのわからない決まりが多すぎて、クーデターを起こそうという気も起きなかったのです。朝7時頃から放課後7時頃まで、毎日全員参加の部活練習。休み時間は小走りに教室の移動(我が校では、なぜか先生ではなく生徒のほうが教室を移動して授業を受けに行くというシステムになっていました) 。
給食も掃除も分刻みのスケジュールで、反抗なんてしてる暇があるんだったら、とっとと家に帰ってオナニーでもしたほうがラクって感じ。
もちろん長野県民が全員そんなふうだというわけじゃ決してありませんが、マエストロの「自分からリスクを負って何かを変えるのが苦手。めんどくさい」という体質は、このへんで形作られたのだと思われます。
――したいことがあったら、無理しなくても一人で隠れてやればいいや。
ああ、なんてオナニーな考え方なのでありましょう。(´・ω・‘)
そして、流されるままに日々パンタロン姿で焼きそば汁をすすっていた少女は、やがて流されるまま高校に進学いたします。
で、この高校が、これまたうって変わって自由な校風の学校だったんですね。制服はなく(むろんパンタロンもない)、授業をさぼっても落第するだけというまるで大学のようなところ。これまでの小中学校生活と比べたら、まるでパラダイス。恋愛だってオシャレだってやり放題!
しかし、高校に入って自由を手に入れたマエストロがしたことは……そう、やっぱりオナニーでした。
いや、子供のころから体内の奥に練り込まれたオナニー体質って、そう簡単に変わるもんじゃないんですよ。
部活にも入らず、毎日授業が終わると一目散に帰宅。以前に比べれば時間はあり余るほどあります。ベッドの中に潜り込んでは、テレビで『夕焼けニャンニャン』を観て萌え萌えしたり、前夜エアチェックしておいた深夜放送を聴いたり、父親のエロ本を拝借してモジモジハァハァしたり。
そんなことばっかりしてましたけど、まあ、ぶっちゃけかなり幸せな日々を過ごさせていただいておりました。
しかし、このハッピーなオナライフはそう長くは続きませんでした。そう、高校1年のある日、マエストロのオナニー人生をさらに決定づけるある事件が起こったのです。
オナニーはまだ覚えていなかったものの、父親秘蔵のエロ・コレクションによってエロネタには不自由しなかった小学校時代の私。しかし見た目は落合福嗣だし、わんぱく相撲に出てみりゃ優勝だし、普段の生活にはまったくエロスのかけらもありませんでした。
まあ、小中学生の実生活にたいしたエロスがないのは当たり前っちゃ当たり前なんですが、頭の中がちんこやまんこでいっぱいだったわりには、自分自身の色気はまったく皆無といってよかったかもしれません。クラスの男子にぽわーんとなることもなく、スカートも穿いたことがない。(ちなみに当時のあだ名は、天パーで色黒だったから“ジャングリアン”……) 。
むう。どうしてこんな極端なことになってしまったのか。
今になって考えてみると、私が一般的な女子道から外れオナニスト化したのに理由があるとするならば、その一つは“長野県出身”ということだと思います。
えー、皆さんは「長野県」と聞いて何をイメージするでしょうか。
冬季オリンピック? それともペログリ知事・田中康夫?
『東京ペログリ日記』 著:田中康夫 価格:1,529円 ISBN13:978-4877280888 発売:1995年12月 発行:幻冬舎 |
いいえ、違います。そんなのはまったく表面的なこと。
長野県を語るのに最も重要なキーワード、それは“教育県”。
長野県は昔から“教育県”と言われておりまして、それはもう教育に熱心なお土地柄なのです。
とはいっても、けして頭がいい県というわけではなく、哀しいかな長野県の大学進学率は全国でもかなり下のほう。その教育熱心さは、なんだか奇妙な方向に向かっているのです。
えー、まず長野県にはソープというものがありません。イメクラくらいはあるのかもしれないけど、少なくとも私は見たことがない。
そしてマエストロのテリトリーであるAVに関しても、TSUTAYAみたいな全国規模のビデオショップが出店するまではものすごく借りにくかったんですよ。なぜなら長野県で一番大きなビデオショップチェーンはAVを置いてなかったんです。信じられます?!
本もエロ本はほとんど売ってなかったなあ。買いたかったら街の小さな個人商店か古本屋に行くしかなかった。
要するに、エロの砂漠。
『乙葉写真集 Love Story 』 写真:野村 誠一 価格:\2,835(税込) ISBN13:978-4847026898 発売:2001年12月 発行:ワニブックス |
でも、実際には我が家の押入れの中には丸見えポルノがわんさとあったし、ソープまがいの営業をしてる店もあったんだと思います。
そんなふうに、どこにでもあるエロを“ないもの”としている不自然な状況に加え、学校もなんかよくわかんないことになっていました。
今でもはっきり覚えてるのは、小学校のプールの時間のこと。
当時私が通っていた小学校では“3年生までは男女関係なく海パンを着用すること”という妙な決まりがあり、低学年の女の子はみんなヘソが隠れるくらいのブルマーみたいな海パンで水泳の授業を受けていました。でもまあ成長には個人差というものがありますから、3年生にもなると当然胸がおっきくなってくる子もいるわけですよ。
その時に「胸が恥ずかしいから」と先生に直訴すれば一応水着を着ることはできるわけなんですが、それが言いにくい空気っていうのがもうできてるんですね。
そうでなくても、クラスで一番最初に水着を着るっていうことは、クラスで一番早熟だというのをカミングアウトしているようなもので、シャイな子にとっては恥ずかしくないわけがない。
かくいう私も、体が大きかったので3年生頃にはもうかなり微妙な感じになってたんですが、見た目が落合福嗣なこともありやっぱり「水着着る!」とは言えず、1年間くらいは第二次性徴全開の体に海パンという異様な姿で押し通していました。
一番成長が早かった女の子なんかは先生受けのいい“いい子ちゃん”タイプの子だったため、「水着を着させろ」なんていうアウトローな発言はできるはずもなく、Bカップくらいの乳をぶるぶるゆわせて泳いでいたものです(うーん、今考えるとマニア垂涎映像ですね……) 。
『 某県S市市民プール監視員S容疑者(33)投稿 市民プールSOS児○女子わいせつ事件映像4〜プールの救護室の傍らでいたいけな少女の性器にチンポを挿入中出し〜』 価格:2980円(税込) 品番: DVD TASH-012 発売:2009年4月 発行:RED |
なんというか、エロいものや早熟なものを見なかったことにする、というような風潮があったんですよね。まあ、私の通ってた学校がちょっと変わってたのかもしれないですけど、それによる抑圧みたいなものはあったかもしれません。
で、そんな感じで地域の中学へそのまま上がったマエストロを待っていたのは、相変わらずのよくわかんない教育っぷりでした。
中学では、クラスの男子にエロ本(スコラとかオレ通とか)を借りたりしながらそれなりに楽しくのびのびやっていたんですが、今考えるとやっぱりちょっと変わっていたような気がします。
私の通っていた学校は地域でも模範校みたいに言われていたせいもあって、とにかくルールが厳しかった。それも「校則だから守れ」というんじゃなく「できれば守ったほうがベター」みたいな建前なのに結局は守らされる、みたいな。こう、なんというか、じわじわくる感じ。
えー、笑わないでほしいんですが、マエストロの中学時代、女子は全員黒いパンタロン着用が義務付けられていました。スカートではなくパンタロン。ツルッとしてて折り目がついててチャックが横にあるやつ。
『ピンキーとキラーズ/涙の季節』 品番:BS-930 発売:1969年1月1日 発行:キングレコード |
「決まった制服はないから、私服で通学せよ」という建前にはなっているんですけども、下半身はパンタロン。上半身は地味な色の服でワンポイントは7センチ以下と決まってました(ときどき風紀委員が物差しをもって計りに来る)。
あと靴は5千円以下で、髪の毛は男子は坊主、女子は肩と眉にかかったら切られる。日に2回の掃除の時間は頭に手拭いをかぶり、手順から雑巾のサイズまできちっと決まっていて、ずっと無言。ちゃんと守っているかどうか、清掃委員がチェックを入れます。
どうです。今どきの中学生から見れば、なかなかすごい状況でしょう!
そしてさらにすごいのは、給食の時間。「給食センターの人に失礼がないように」という建前のもとに食器を洗って返すんですけど、なぜかその洗ったお湯を「もったいないから」って飲まされるんですよ……。
詳しく言うとですね、まず牛乳瓶にヤカンのお湯を2センチ入れるんです(これも決まり)。で、そのお湯を今度は焼きそばの入ってた食器に入れて、そのまま酢の物が入ってた食器に移して、ぐるぐるゆすいでそのまま胃の中に……グエー!!! ぎぼぢわるい!!!
ああ、思いだしただけで吐き気がしてきた……我ながらよくあんなの飲んでたもんだよ。おかずが和食だったりしたら「当たりだ」と思ってたもんなあ(醤油の味付けだと、お湯を入れても飲みやすい)。
でも、不思議なことに、みんなぶつぶつ言いながら飲んでたんですよね。
「どうして拒否しなかったの?!」と思うでしょうが、その頃はとにかくそういったわけのわからない決まりが多すぎて、クーデターを起こそうという気も起きなかったのです。朝7時頃から放課後7時頃まで、毎日全員参加の部活練習。休み時間は小走りに教室の移動(我が校では、なぜか先生ではなく生徒のほうが教室を移動して授業を受けに行くというシステムになっていました) 。
給食も掃除も分刻みのスケジュールで、反抗なんてしてる暇があるんだったら、とっとと家に帰ってオナニーでもしたほうがラクって感じ。
もちろん長野県民が全員そんなふうだというわけじゃ決してありませんが、マエストロの「自分からリスクを負って何かを変えるのが苦手。めんどくさい」という体質は、このへんで形作られたのだと思われます。
――したいことがあったら、無理しなくても一人で隠れてやればいいや。
ああ、なんてオナニーな考え方なのでありましょう。(´・ω・‘)
そして、流されるままに日々パンタロン姿で焼きそば汁をすすっていた少女は、やがて流されるまま高校に進学いたします。
で、この高校が、これまたうって変わって自由な校風の学校だったんですね。制服はなく(むろんパンタロンもない)、授業をさぼっても落第するだけというまるで大学のようなところ。これまでの小中学校生活と比べたら、まるでパラダイス。恋愛だってオシャレだってやり放題!
しかし、高校に入って自由を手に入れたマエストロがしたことは……そう、やっぱりオナニーでした。
いや、子供のころから体内の奥に練り込まれたオナニー体質って、そう簡単に変わるもんじゃないんですよ。
部活にも入らず、毎日授業が終わると一目散に帰宅。以前に比べれば時間はあり余るほどあります。ベッドの中に潜り込んでは、テレビで『夕焼けニャンニャン』を観て萌え萌えしたり、前夜エアチェックしておいた深夜放送を聴いたり、父親のエロ本を拝借してモジモジハァハァしたり。
そんなことばっかりしてましたけど、まあ、ぶっちゃけかなり幸せな日々を過ごさせていただいておりました。
しかし、このハッピーなオナライフはそう長くは続きませんでした。そう、高校1年のある日、マエストロのオナニー人生をさらに決定づけるある事件が起こったのです。
(続く)
(c) 花津ハナヨ
遠藤遊佐 AVとオナニーをこよなく愛する三十路独身女子。一昨年までは職業欄に「ニート」と記入しておりましたが、政府が定めた規定値(16歳から34歳までの無職者)から外れてしまったため、しぶしぶフリーターとなる。AV好きが昂じて最近はAV誌でレビューなどもさせていただいております。好きなものはビールと甘いものと脂身。性感帯はデカ乳首。将来の夢は長生き。遠藤遊佐ブログ=「エヴィサン。」
09.10.03更新 |
WEBスナイパー
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