↑このあいだ祖母が箪笥の奥から見つけてきたマエストロ幼少の頃の一枚。両親とおじいちゃんおばあちゃんに囲まれて、このうえなくムッツリと過ごしていたあの頃。懐かしいなあ。しかしなんなんでしょうね、このヘルメットのような髪型は……。さらには首がない……。いや、それよりも白黒かよ……。
毎週土曜日更新!
onanistic pacifism by “maestro”Endo Yusa.
まずご報告です。
先日、愛する弟君のところに第2子が誕生しました! わー!!゚・*:.。..。.:*・゜ヽ( ´∀`)人(´∀` )ノ・゜゚・*:.。..。.:*
一人目は女の子で、今度は男の子の一姫二太郎。デカい鼻とつぶらな瞳が、大川栄策に似ててちょうかわいいの〜! 今にもタンスを担いで走りだしそうな感じです。うふふふふ。(←盲目の愛)
ただ一つ気になるとは、2歳になる姪っ子ちゃんと同じ9月生まれで、誕生日は2日違いだということ。これはすなわち“うちの弟は毎年11月になると発情期を迎える”ということでいいんでしょうか?
ああ、こういうことばっかり言ってるから8歳も年下の弟に先を越されることになるんだよな……。今日もネバーランドで電マ三昧、オナニーマエストロ遠藤です。
しかし、日々成長していく甥っ子・姪っ子の姿を見ていると、どうしても「この子たちは将来どんな大人になるのかしら」なんてことを思っちゃったりするもんですね。
OLをちょっと経験した後、20代で公務員と結婚して幸せな家庭を築くのか。
ヤリマン・ヤリチンになって一生恋とセックスに生きるのか。
それとも、どこぞの三十路女のように電マと発泡酒だけが友達のオナニストとなるのか(いや、それも案外悪くないんですよ……)。
生まれた時はみんな同じような顔したサルなのに、どこでどうやって人生が分かれていくのか。そう考えるとなんだか不思議。
そこでマエストロは考えました。ここらでひとつ自分のエロ半生を振り返ってみようじゃないかと。いわゆるヰタ・セクスアリスってやつですね。
――私は、いかにオナニストになったのか。
まあ、そんなたいそうな話じゃありませんが、最近このコラムで友人女子のオナニーや性の目覚めについてインタビューする機会が多いじゃないですか。当たり前ですけど友達だからといってみんな自分と同じわけじゃない。似てるところもあれば違うところもあるわけです。
私自身「なんでそんなにオナニーにこだわるの?」と聞かれることがよくあるんですが、改めて考えてみるとよくわからなかったりもする。人に話を聞こうとするんだったら、まず自分のことを理解しておかなきゃいかんでしょう!
というわけで、今回からは数回にわたって、遠藤のオナニー履歴書をしたためていこうと思います。
娘を電マ中毒にしたくないという方は、是非反面教師になさってください……。
えー、思い返すと、私の性の目覚めはたぶん小学校の低学年の頃じゃないかと思います。
といっても、何かきっかけがあったかというと、特別なことは何も思いつかないというのが正直なところ。
近所に住んでるオジサンにいたずらをされた経験もないし、従兄弟のお兄ちゃんと性器を見せ合ったなんていう甘酸っぱい思い出もありません。いたって普通の小学生でありました。
ていうか、これを言うとよく呆れられるんですけど、私は今でも自分が性欲強いとは全然思わないのです。
以前、雨宮まみ嬢とのオナニー対談で“登り棒バッシング”をして面白がられたことがあるんですが、マエストロにはそういう自然にわき起こってくるようなリビドーがあまりないんですよね。
(注・“登り棒バッシング”とは、なんの苦労もなしにオナニーに目覚めた者を激しく妬む気持ちのこと。エロ告白記事などでよく目にする「まだエロのなんたるかもわからないであろう幼年期に、登り棒でたまたま快感を得てそのままイッちゃった……」というエピソードに由来しています。チクショウめ)。
記憶に残っている一番古い性欲は、小学校2年か3年頃の「誰も見ていないところに隠れていやらしいものを思いっきり見たい」というもの。
父親の週刊誌&ちょいエロ小説から、峰不二子のでっかい上向きオッパイまで。マンコをいじったり、幼稚園の同級生とお医者さんごっこをしたりする前に芽生えたエロは、それでした。ただただエロいものを見て興奮したい。ああ、なんか今と同じだな……(´・ω・‘)。
↑今でも鮮明に覚えているのは小学校低学年のころ、勝目梓のバイオレンスエロ小説をよく読んでいたこと。たぶん父親が好きで集めてたんだろうなあ。文中に「オナニー」とかいう言葉が出てくると「これどういう意味?」と思ってました。
大人になった今でもその傾向は残っているようで、どんな時に性欲がわくかというと、だいたいAVを観たりエロマンガを読んだり、もしくは気の置けない男子が隣で寝てたりするときです。よく「生理前になるとヤリたくなる」とか「しばらくしてないからヤリたくなっちゃった」なんてことを聞きますが、そういうのはナイ。
だから、一生トラピスチヌ修道院でバター飴を練りながら暮らせと言われたら、案外普通にできそうな気がします。
で、その頃はエロいものを見てどうするのかというと、ただひたすらムラムラしているだけでした。
このコラムでも何度かカミングアウトしているように、いやしくもマエストロを名乗っておきながら、実際には私がオナニーを始めたのは大学生のころ。「イク」というのがどういう状態なのかわかってからなんですよね。
それまでは、興奮してマンコが濡れたのはわかってもどうすればいいのかわからず、悶々としていました。一応触ってみたりもするのだけれど、すんごい快感が突き抜けたり、アッと言う間に絶頂に達したりなんてことは、私のようなオナニー劣等生には夢のまた夢ですもの(はい、ヒガミです)。
そういえば、件のオナニー対談では「家が厳しい女の子は(その反動から?)AVライターになる」という説も出ましたが、マエストロの家はどうだったかと考えてみると、そんなこともなかったような気がします。エロを推奨されることはなかったけれど、すごく厳しいということもありませんでした。
いや、というよりは私は家で本を読んでいるのが好きな色気ゼロの子だったので、親としても娘とエロが結び付かなかったというほうが正しいかも。
↑家の押入れを漁ったら出てきました。本邦初公開、マエストロが小学校時代“わんぱく相撲”で優勝したときの写真です……。天然パーマをこじらせて髪型が嶋大輔ばりのリーゼントになっているので、いつもより濃い目にモザイクをかけさせていただきました。ていうか、母さんもうこのパネル捨ててよ……(泣)。
で、そんな私の当時のエロ調達場所は、主に父親の部屋でございました。
最初は『週刊大衆』や『週刊実話』といった一般誌や勝目梓のバイオレンスエロ小説だったのですが、やがてこの寂しい状況がパラダイスに一変する事件が起こります。
父親が、ビデオデッキを購入したのです!
「なんだ、ビデオかよ」と思うかもしれませんが、私が小学生だった1980年代前半のそれはものすごい事件でした。30歳以下のお若い皆さん、β(ベータ)って知ってます? ソニーから出てた普通のビデオテープよりも小さいやつ。
我が家に初めて来たビデオデッキはβで、なんとチャンネルがガチャガチャ回すやつでした(チャンネルの下にはUHFのツマミもついてたよ……)。もちろん本体は木枠です。アナクロ!
当時としては相当高価なシロモノだったと思うのですが、うちの父親は生来の新しモノ好きだったため、そんなものが発売されたと聞いたら黙っていられなかったんでしょう。
そして、今考えると無理してビデオデッキを購入した第一の理由は、たぶんAVが観たかったから。(ああ、血は争えない……)。
なぜなら、その頃父親の部屋の押入れを開けると、布団の隙間にエロビデオやビニ本が隠してあったんですよね。ビデオは主ににっかつロマンポルノや裏モノの丸見え洋ピン。たぶん東京出張の際などに内緒で買ってきてたんだろうなあ。
うーん、こうして考えてみると、このへんに私の嗜好の源があるのは明らかなようです。
↑にっかつロマンポルノはエロビデオなのにわりと救いのない内容のものもあって、興奮しようと思って観始めたのに、終わった後ズドーンと嫌な気持ちになったりもしたものでした。ちなみに父親のコレクションでよく見かけたのは“尼モノ”。父さんったら、尼さんが好きだったのね……。
↑ビニ本もよく見かけたものの、ズボズボの裏モノ洋ピンに魅せられていたマエストロにとっては、マン毛が見えてるだけのただの写真でした。超かわいい子が脱いでるってわけでもないし。
男みたいな格好で元気にわんぱく相撲で優勝しながらも、家では親の目を盗んでAV観るのが楽しみだった子供時代。不思議なことに、私の中ではまったく矛盾はありませんでした。
クラスの男の子に胸をときめかすなんてこともなかったなあ。ちなみにその時に好きだったタレントは“渡辺徹”と“イモ欽トリオのフツ夫くん”。渡辺徹に至ってはファンクラブに入ってた覚えが。
……なんか思い出してたら死にたくなってきた。子供時代なんて恥ばっかりだよな。
OLをちょっと経験した後、20代で公務員と結婚して幸せな家庭を築くのか。
ヤリマン・ヤリチンになって一生恋とセックスに生きるのか。
それとも、どこぞの三十路女のように電マと発泡酒だけが友達のオナニストとなるのか(いや、それも案外悪くないんですよ……)。
生まれた時はみんな同じような顔したサルなのに、どこでどうやって人生が分かれていくのか。そう考えるとなんだか不思議。
そこでマエストロは考えました。ここらでひとつ自分のエロ半生を振り返ってみようじゃないかと。いわゆるヰタ・セクスアリスってやつですね。
――私は、いかにオナニストになったのか。
まあ、そんなたいそうな話じゃありませんが、最近このコラムで友人女子のオナニーや性の目覚めについてインタビューする機会が多いじゃないですか。当たり前ですけど友達だからといってみんな自分と同じわけじゃない。似てるところもあれば違うところもあるわけです。
私自身「なんでそんなにオナニーにこだわるの?」と聞かれることがよくあるんですが、改めて考えてみるとよくわからなかったりもする。人に話を聞こうとするんだったら、まず自分のことを理解しておかなきゃいかんでしょう!
というわけで、今回からは数回にわたって、遠藤のオナニー履歴書をしたためていこうと思います。
娘を電マ中毒にしたくないという方は、是非反面教師になさってください……。
えー、思い返すと、私の性の目覚めはたぶん小学校の低学年の頃じゃないかと思います。
といっても、何かきっかけがあったかというと、特別なことは何も思いつかないというのが正直なところ。
近所に住んでるオジサンにいたずらをされた経験もないし、従兄弟のお兄ちゃんと性器を見せ合ったなんていう甘酸っぱい思い出もありません。いたって普通の小学生でありました。
ていうか、これを言うとよく呆れられるんですけど、私は今でも自分が性欲強いとは全然思わないのです。
以前、雨宮まみ嬢とのオナニー対談で“登り棒バッシング”をして面白がられたことがあるんですが、マエストロにはそういう自然にわき起こってくるようなリビドーがあまりないんですよね。
(注・“登り棒バッシング”とは、なんの苦労もなしにオナニーに目覚めた者を激しく妬む気持ちのこと。エロ告白記事などでよく目にする「まだエロのなんたるかもわからないであろう幼年期に、登り棒でたまたま快感を得てそのままイッちゃった……」というエピソードに由来しています。チクショウめ)。
記憶に残っている一番古い性欲は、小学校2年か3年頃の「誰も見ていないところに隠れていやらしいものを思いっきり見たい」というもの。
父親の週刊誌&ちょいエロ小説から、峰不二子のでっかい上向きオッパイまで。マンコをいじったり、幼稚園の同級生とお医者さんごっこをしたりする前に芽生えたエロは、それでした。ただただエロいものを見て興奮したい。ああ、なんか今と同じだな……(´・ω・‘)。
『鬼畜』 著者:勝目梓 価格:620円 発売:2003年3月 発行:講談社 |
大人になった今でもその傾向は残っているようで、どんな時に性欲がわくかというと、だいたいAVを観たりエロマンガを読んだり、もしくは気の置けない男子が隣で寝てたりするときです。よく「生理前になるとヤリたくなる」とか「しばらくしてないからヤリたくなっちゃった」なんてことを聞きますが、そういうのはナイ。
だから、一生トラピスチヌ修道院でバター飴を練りながら暮らせと言われたら、案外普通にできそうな気がします。
で、その頃はエロいものを見てどうするのかというと、ただひたすらムラムラしているだけでした。
このコラムでも何度かカミングアウトしているように、いやしくもマエストロを名乗っておきながら、実際には私がオナニーを始めたのは大学生のころ。「イク」というのがどういう状態なのかわかってからなんですよね。
それまでは、興奮してマンコが濡れたのはわかってもどうすればいいのかわからず、悶々としていました。一応触ってみたりもするのだけれど、すんごい快感が突き抜けたり、アッと言う間に絶頂に達したりなんてことは、私のようなオナニー劣等生には夢のまた夢ですもの(はい、ヒガミです)。
そういえば、件のオナニー対談では「家が厳しい女の子は(その反動から?)AVライターになる」という説も出ましたが、マエストロの家はどうだったかと考えてみると、そんなこともなかったような気がします。エロを推奨されることはなかったけれど、すごく厳しいということもありませんでした。
いや、というよりは私は家で本を読んでいるのが好きな色気ゼロの子だったので、親としても娘とエロが結び付かなかったというほうが正しいかも。
↑家の押入れを漁ったら出てきました。本邦初公開、マエストロが小学校時代“わんぱく相撲”で優勝したときの写真です……。天然パーマをこじらせて髪型が嶋大輔ばりのリーゼントになっているので、いつもより濃い目にモザイクをかけさせていただきました。ていうか、母さんもうこのパネル捨ててよ……(泣)。
で、そんな私の当時のエロ調達場所は、主に父親の部屋でございました。
最初は『週刊大衆』や『週刊実話』といった一般誌や勝目梓のバイオレンスエロ小説だったのですが、やがてこの寂しい状況がパラダイスに一変する事件が起こります。
父親が、ビデオデッキを購入したのです!
「なんだ、ビデオかよ」と思うかもしれませんが、私が小学生だった1980年代前半のそれはものすごい事件でした。30歳以下のお若い皆さん、β(ベータ)って知ってます? ソニーから出てた普通のビデオテープよりも小さいやつ。
我が家に初めて来たビデオデッキはβで、なんとチャンネルがガチャガチャ回すやつでした(チャンネルの下にはUHFのツマミもついてたよ……)。もちろん本体は木枠です。アナクロ!
当時としては相当高価なシロモノだったと思うのですが、うちの父親は生来の新しモノ好きだったため、そんなものが発売されたと聞いたら黙っていられなかったんでしょう。
そして、今考えると無理してビデオデッキを購入した第一の理由は、たぶんAVが観たかったから。(ああ、血は争えない……)。
なぜなら、その頃父親の部屋の押入れを開けると、布団の隙間にエロビデオやビニ本が隠してあったんですよね。ビデオは主ににっかつロマンポルノや裏モノの丸見え洋ピン。たぶん東京出張の際などに内緒で買ってきてたんだろうなあ。
うーん、こうして考えてみると、このへんに私の嗜好の源があるのは明らかなようです。
『日活ロマンポルノ全史―名作・名優・名監督たち』 著者:松島利行 価格:2,940円 発売:2000年12月 発行:講談社 |
『ビニール本の少女たち』(ヘイ!バディ増刊) 価格:1000円 発売:不明 発行:白夜書房 |
男みたいな格好で元気にわんぱく相撲で優勝しながらも、家では親の目を盗んでAV観るのが楽しみだった子供時代。不思議なことに、私の中ではまったく矛盾はありませんでした。
クラスの男の子に胸をときめかすなんてこともなかったなあ。ちなみにその時に好きだったタレントは“渡辺徹”と“イモ欽トリオのフツ夫くん”。渡辺徹に至ってはファンクラブに入ってた覚えが。
……なんか思い出してたら死にたくなってきた。子供時代なんて恥ばっかりだよな。
(続く)
(c) 花津ハナヨ
遠藤遊佐 AVとオナニーをこよなく愛する三十路独身女子。一昨年までは職業欄に「ニート」と記入しておりましたが、政府が定めた規定値(16歳から34歳までの無職者)から外れてしまったため、しぶしぶフリーターとなる。AV好きが昂じて最近はAV誌でレビューなどもさせていただいております。好きなものはビールと甘いものと脂身。性感帯はデカ乳首。将来の夢は長生き。遠藤遊佐ブログ=「エヴィサン。」
09.09.26更新 |
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