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連載「現場から遠く離れて」
第二章 ネット環境を黙殺するゼロ年代史 【4】

ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に本質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。
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こうして我々は、「現場」という概念を語るにあたって、今なお物理的な場所とインターネットの双方を手放すわけにはいかないことを確認した。ことにインターネットに好意的な読者が注意すべきなのは、インターネットが従来の物理的な「場所」としての「現場」の、単なる代替として考えられてしまってはならないということである。我々はしばしば、単にクラブカルチャーにとっての物理的な「現場」、すなわちライブハウスやクラブに対して、オルタナティブな「場所」としてインターネットが台頭したのだと説明しようとしてしまう。つまりインターネットは、もしくはそこで盛況となっているコミュニティは、物理空間の代替として考えられるわけである。むろん、そうであれば我々にとっては非常にわかりやすい。インターネット以前、つまり90年代の前半まで機能していた物理的な「場所」としての「現場」が次第に価値を失い、それと入れ替わる形で新世代のための「場所」としてインターネットが存在するようになったと説明付けることができるわけだ。しかし我々はこの考え方が安易にすぎるものとして退けることができる。

インターネット、ひいてはコンピュータ内のシステム全般を「世界」として捉えることの難しさについて考えよう。たしかにコンピュータ内を物理空間の比喩で表わそうとする動きはインターネット以前から数多く存在した。このモデルは我々人間にとって実にわかりやすいが、しかし明らかな誤謬に基づいている。なぜなら、ごく簡単に言えばコンピュータにおいて物理性、つまり二次元もしくは三次元的な領域がそもそも存在しないからである。

違う言い方をすると、コンピュータには速度はあっても距離は存在しない。我々がGoogleのトップページにアクセスすることを考えてみよう。手元にある各々の端末からGoogleのサーバに伝達されるまでに、我々の送出したパケットはいくつもの中継点となる端末を経由するのが普通である。しかし、それが距離として認識されることはない。そこにあるのはGoogleに到達するまでにコンピュータが行なう作業のステップ(手順)と、そのすべてをこなすために費やされた時間であって、物理的な距離ではない。インターネット上でGoogleの遠さを感じるならば、私たちは慣用的に「Googleが重い」などと言うはずだ。この重量の比喩は興味深いものではあるが、これもまた正確ではないだろう。いずれにしてもそこで量られているのが距離ではなく時間であることは明白であり、付け加えるならばその表現はインターネット回線と使用する端末のスペックの双方によってGoogleのウェブページの表示にかかる時間が長いということを意味している。それはサーバへの物理的な距離とは全く関係ない。物理的な遠さによって「重い」状態が発生することはありうるが、逆は成り立たない。つまり「重い」状態を物理的な遠さが生み出しているとは必ずしも言えないわけである。

さてコンピュータが距離、すなわち長さという概念を持たざるとするならば、そこに物理領域はありえない。たとえばポリゴンによる物理領域を描いても、それは単に人間にとってわかりやすい、しばしばSF的なグラフィカルユーザーインターフェースであり、コンピュータの実際とは違う。AからBへの移動に際して経由地Cがあったとして、私たちがしかるべきアドレスの指定によって直接AからBへとジャンプすることが認められているならば、移動に際してその経路やCを意識することは無意味なのである。

インターネットが三次元的な空間として示された最も大規模に企画され、そして最も大規模な失敗に終わったサービスとしては「セカンドライフ」がある。2003年に開設されて2007年に日本で大々的なプロモーションが行なわれたこのサービスは、三次元的な仮想空間内での土地所有や商売などが可能であるとして話題となったが、結果的にユーザー数は全世界を合わせても国内の大手コミュニティサイトであるミクシィよりも少なかった。この失敗の理由は明白であるが、以上に述べたように今日のインターネットが時間性はともかく物理空間性を本質的に重んじていないということに照らし合わせてみるとわかりやすいようだ。当時ネットニュースサイトの記者であった岡田有花はセカンドライフが不人気である理由について七つの特徴を挙げていた。それは以下のようなものである(※24)

(1)始めるまでの手続きが面倒
(2)要求PCスペックが高い
(3)操作が難しすぎる
(4)何をしていいか分からない
(5)何をするにもお金がいる
(6)右も左も広告だらけ
(7)人気の場所はエロかギャンブル

「Second Life“不”人気、7つの理由 - ITmedia News」より引用

このうち前半の四つまでもが、つまりはセカンドライフがインターネットに空間性を持たせるというセカンドライフの特性自体によって、本来ならインターネット閲覧に不要な手順が付け加えられ、また閲覧速度の低下を招いてしまったという意味であることがわかる。ちなみに後半の三つはそうしたアーキテクチャに依った結果、ユーザーの自由度が大いに制限されたという話になっている。もっとも、次のような反論が可能ではある。そうは言ってもインターネット内がグラフィカルに描かれた時点で、私たちにとってそれは物理空間として認識されるのではないか。たしかにそうだろう。しかしそれは、もし私たちがコンピュータを使う際に、常に物理空間を模したグラフィカルユーザーインターフェースを利用する方法しか残されていないのだとしたら、ということになる。現在のコンピュータアーキテクチャではそれはありえない。現状においてセカンドライフのような三次元的なグラフィカルユーザーインターフェースはインターネット、もしくはコンピュータにとって単に豪奢なフロントエンドであり、誰もがその下部レイヤーにあるアーキテクチャを操作可能である以上、趣味的な、あるいは簡便であるということを理解し損ねた無用の長物に過ぎない。

さてセカンドライフはインターネットを物理空間として捉えることの誤謬を可視化した例であった。我々はここに教訓を見出して、「場所」としての「現場」の単なる代替物としてインターネットを考えることを全般的に退けるべきである。もし、そうしないとしたら、我々はインターネット上の特定のアドレスにめいめいが待ち合わせることによって「みんなでここ=一つの場所=現場にいて、同じ体験を共有している」という甘美な錯覚を得ることができる代わりに、実際には全く別所に存在しているがゆえにしばしば混乱にすら巻き込まれることがある。具体的に例を挙げるとすれば、2011年に起こった東日本大震災におけるTwitterの使用があるだろう。我々は本来、別々の場所にいることを理解しながらTwitterを使っているつもりだったが、しかし地震が起きた直後から各人がタイムラインに向かって様々な「有益な情報」を流し始めると、それらは実は個々の身近な地域において限定的に有益であるような情報がほとんどなのである。つまりたとえば東北に向けた情報と関西に向けた情報が同時に同じタイムラインに表示されることで我々は混乱し、正しい情報を見極めることができなくなる。結果として多くのユーザーがニックネーム欄にすすんで所在地を記すというルールを採り入れるに至って、「みんなで一つの場所=現場にいて、同じ体験を共有している」という錯覚を錯覚として受け入れながらサービスを利用せざるをえなくなったのである。

言い方を変えると我々はTwitterに限らず「みんなで一つの場所=現場にいて、同じ体験を共有」することを断念しながらインターネットメディアを使う必要がある。しかしそもそもなぜ我々はこのような錯覚を得ることを望むのだろうか。それは90年代以降に我々の中に強力に内面化された現実認識が影響している。次章以降ではインターネットの誕生と並行して、各ジャンルの諸作品が我々の現実認識をどのように描き、それはどのように変化しながら「現場」という概念として結実していったのかについて考えていこう。

文=さやわか

※24「Second Life“不”人気、7つの理由
- ITmedia News」(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0703/07/news074.html)より。

関連リンク

Second Life Official Site
http://secondlife.com/

さやわか ライター、編集者。漫画・アニメ・音楽・文学・ゲームなどジャンルに限らず批評活動を行なっている。2010年に西島大介との共著『西島大介のひらめき☆マンガ 学校』(講談社)を刊行。『ユリイカ』(青土社)、『ニュータイプ』(角川書店)、『BARFOUT!』(ブラウンズブックス)などで執筆。『クイック・ジャパン』(太田出版)ほかで連載中。
「Hang Reviewers High」
http://someru.blog74.fc2.com/
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11.04.24更新 | WEBスナイパー  >  現場から遠く離れて
文=さやわか |