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Criticism series by Sayawaka;Far away from the“Genba”
連載「現場から遠く離れて」
第一章 ゼロ年代は「現場」の時代だった 【4】

ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に本質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。
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ニコニコ動画は動画の再生中に、好きなシーンで画面内にコメントを書き込むことができるという特徴を持ったサービスだ。書き込んだコメントはそのシーンを再生する際に表示され、自分がコメントを書いたのと同じシーンに別のユーザーがコメントを書き込めばそれも表示される。つまり動画内の様々なシーンにユーザーが落書きのようにコメントを書き込んで、再生する際には動画の内容とコメントの両方を眺めて楽しむというサービスになっている。この仕組みでは、コメントを見ながら動画を見ていると他人と一緒に動画を楽しんでいる気分が味わえるものの、それは実は錯覚であって、実際には各ユーザーはめいめい好きな時間に動画を再生して、過去に誰かが書いたコメントを見ているだけである。しかし批評家の濱野智史は、そこにこそライブストリーミングメディアでないがゆえのニコニコ動画の美点があるとしている(※12)

(…)本来「ライブ感」というものは、いわゆる〈客観的〉な意味での「時間」(時計が正しく刻んでいる時間)を共有していなければ、生み出されることはありません。しかし、ネット上で動画を観るという行為は、〈客観的〉な時間の流れから見れば、各ユーザーが自分の好きな時間に・自分の好きな動画を(オンデマンドに)視聴するという、「非同期的」な行為である以上、基本的にライブ感を生み出すことはできません。

これに対し、ニコニコ動画は、動画の再生タイムラインという「共通の定規」を用いて、〈主観的〉な各ユーザーの動画視聴体験をシンクロナイズさせることで、あたかも同じ「現在」を共有してるかのような錯覚をユーザーに与えることができるわけです。(…)この特徴を「疑似同期」と呼んでおきましょう。

『アーキテクチャの生態系 ―情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版、2008)
212頁より引用

つまりニコニコ動画は各ユーザーが同じタイミングで動画を見ているわけではないから、動画のシーンごとにコメントを付けることで擬似的に他人と視聴体験がシンクロナイズされたように錯覚させている。そのような複雑な手続きを踏むことで、本来は同期的に生きることのない人々が、疑似同期的に一体感を得ることができる。濱野が賞賛したニコニコ動画の美点とはここにあった。ところで、ここで濱野が「共有」という言葉を使っているのに注目したい。彼は同じ文脈の中で次のように述べている(※13)

いましがた筆者は「体験の共有」と書きましたが、先ほどから〈かのように〉と強調してきたように、それはある種の「錯覚」によってもたらされている、ということです。

前掲書 211頁より引用

つまり濱野はニコニコ動画のユーザーが客観的な時間を「共有」し得ないがゆえに疑似同期によって「体験の共有」を錯覚させていると言っているのである。では逆に言えば、客観的な時間を共有しえれば、人々の「体験の共有」は成るというように解していいのだろうか?

ここで、ドワンゴがUstreamと同じライブストリーミングメディアとして「ニコニコ生放送」をリリースしており、濱野が上記の文章を上梓した後に、コンテンツによってはニコニコ動画と同等以上の注目を集めるようになったことが重要な意味を持つ。では濱野が称揚した「疑似同期」というニコニコ動画のアーキテクチャが持っていた美点は顧みられることが少なくなり、どうかするとニコニコ生放送の「真正同期」によってもたらされる「体験の共有」に取って代わられるのだろうか。 それについては改めて考えるべきだが(※14)、ここではドワンゴの取締役・夏野剛が、筆者によるインタビューに答えてニコニコ生放送について語った内容をまず紹介する(※15)

夏野 (…)小沢−与謝野(馨)碁打ち対決とかもよかったですね。これだって「あの二人はそんなに碁がすごいんだ」というのは一つのニュースだし、「そんなものに価値はない!」と言うひとは単に見なければいいんです。でも中継されようがされまいが現に彼らは碁をやってるわけだし、じゃあそれを見たいひともいるよねってことなんです。

―― 単に二人の政治家が碁を打っているだけなんだけど、その場にカメラが入ってストリーミングで流れることによって、それがさっきおっしゃったようなみんなが共有するコミュニティの場に生まれ変わるわけですね。

夏野 その瞬間に立ち会っているというライブ感ですよね。これはYouTubeとは違う世界です。でもこのライブ感ってソーシャル系のサービスはみんなそうなんですよね。Twitterでもほんの一〇分前のツイートのほうが一〇時間前のものより価値が感じられるでしょう?

「ニコニコ動画のコアにあるもの」/夏野剛 聞き手=さやわか
(『ユリイカ』2011年2月号、青土社)より引用

「その瞬間に立ち会っている」という感覚は、まさしくコンドリーや板垣が述べていたような、「現場」へのコミットにほかならない。パソコン越しであっても、やはり我々はその「現場」に介入しているのだ。しかし、ここで夏野が語っていることは相当にクリティカルな内容を含んでいる。夏野はつまり、もはや映像において実際に何が行なわれるかよりも、それが中継されてユーザーたちがコミットすることによって価値が生まれると言っているのだ。先に挙げた濱野の説と合わせると、ニコニコ生放送やUstream、またTwitterのコンテンツは、他のユーザーとの客観的な時間の共有(同期)によって「その瞬間に立ち会っているというライブ感」を最大のバリューとして生み出すというわけである。

この考え方はおそらく、クラブカルチャーにおける「現場」の意識からすれば大いに反感を買うべきものである。なぜならこの考え方は、板垣が「オタク」と述べたように、実際には身体性を伴わずに自室にいるだけだからである。しかし先ほどのsupercellの例から繰り返して、ネット技術は「現場」の素朴な信念を揺さぶってしまう。つまりそれは身体性がないだけで、従来クラブカルチャーが求めていたものと同じことを実現してしまっているため、ここには混乱が生じている。それは「現場」に代表されるような従来的なクラブカルチャーやサブカルチャーの思想が、我々の現実認識が変わったこと、とりわけポップカルチャーの先端的な担い手の認識が変わったことに追いついていないことを示す一つの例である。それについては次章以降でさらに検討しよう。

しかし我々はここでさらに注意深くなければいけない。では、一体なぜそうまで「現場」が、フィジカルなコミュニケーションが、具体的な場所が、重んじられる必要があるのだろうか。「かれらはただのオタクだよ」と言った板垣のように、そこにはほとんど「場所としての現場」にコミットすることへのドグマティックな姿勢が感じられる。その強硬な姿勢に対して単純に批判を繰り広げることは可能だろう(たとえばそれを悪しき「現場主義」だと言って論難すればいいのだ)。しかし我々にはその前にやるべきことがある。日本のポップカルチャーはなぜそこまで「現場」を重視するようになったのか。それはどのような思潮から生み出されてきたのか。我々の関心はそこにあるのだ。上野はコンドリーに寄せた解説の中で、コンドリーの語る「現場」が「ドラマの青島刑事が叫ぶ「現場」」とは無関係であると、あえて断わり書きをしている(※16)。しかし筆者にとってはむしろ、ドラマの青島刑事に至るまで「現場」という言葉を叫ぶ状況こそが、今日の日本文化において注目に値する事態ではないかと思われる。我々はクラブカルチャーと『踊る大捜査線』を、共に「現場」というキーワードから考えることで日本のポップカルチャーを横断的に扱って、それがどこに立っているのか明らかにできるのである。「現場」を重んじるカルチャーについて、あるいは「現場」が生み出すカルチャーについて、あくまで「現場」の外側から観察しよう。「現場」を知るために、「現場」から遠く離れた場所で、我々は考え始めている。
文=さやわか

【註釈】
『アーキテクチャの生態系 ―情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版、2008)
※12『アーキテクチャの生態系 ―情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版、2008)212頁より。

※13 前掲書211頁より。

※14 しかもニコニコ動画発のコンテンツについても、やはり我々は「現場」への欲望を見出すことができてしまうようだ。たとえば「身体を持たないシンガー」である初音ミクは2009年8月に新木場StudioCoastで行なわれた「ミクFES」と題されたコンサートイベントに「出演」し、3D映像としてスクリーン投影された初音ミクが歌うのを見るために2500人の観客が集まっている。以後こうしたイベントは複数回企画されており、最も身体性から遠くにあるかのように見える初音ミクにも現実空間の重視、すなわち「現場」への欲求が広がっていると見ていいだろう。

『ユリイカ』2011年2月号、青土社
※15「ニコニコ動画のコアにあるもの」/夏野剛 聞き手=さやわか(『ユリイカ』2011年2月号、青土社)より。

『日本のヒップホップ 文化グローバリゼーションの〈現場〉』(NTT出版、2009)
※16『日本のヒップホップ 文化グローバリゼーションの〈現場〉』(NTT出版、2009)377頁より。

関連リンク

ニコニコ動画(原宿)
http://www.nicovideo.jp/

さやわか ライター、編集者。漫画・アニメ・音楽・文学・ゲームなどジャンルに限らず批評活動を行なっている。2010年に西島大介との共著『西島大介のひらめき☆マンガ 学校』(講談社)を刊行。『ユリイカ』(青土社)、『ニュータイプ』(角川書店)、『BARFOUT!』(ブラウンズブックス)などで執筆。『クイック・ジャパン』(太田出版)ほかで連載中。
「Hang Reviewers High」
http://someru.blog74.fc2.com/
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11.03.27更新 | WEBスナイパー  >  現場から遠く離れて
文=さやわか |