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連載「現場から遠く離れて」
第二章 ネット環境を黙殺するゼロ年代史 【1】

ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に本質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。
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前章で我々は「現場」という概念について、いくつかのことを確認した。まずそれは文化創出という大義を担わされたものであり、しかしながら実はそれ以前に物理的な場所であることが重んじられている。ところがインターネットの台頭によって我々の現実はそれ以前とは移り変わっているにもかかわらず、サブカルチャーを読み解くための思想はそれ以前の考え方にとらわれており、たとえばインターネットのみで完結するような文化創出について適切に説明付けることができないでいる。「現場」という言葉は、その歪みに直接的な影響を受けながらも、一種のマジックワードとして人口に膾炙している。

そこでこの章では、再び過去から現在にかけてのポピュラー音楽を参照しながら、とりわけインターネット以前と以後の環境が混同されることによって、「現場」にかかわる音楽についての言説がどのような混乱を引き起しているかということを例示したい。ここで語られるのは神聖かまってちゃんと相対性理論、そしてAKB48という、いずれもゼロ年代後期に人気を博したグループである。これらのアーティストは、インターネット環境をその条件に含めないようなカルチャー分析によって、どのように誤読されうるのだろうか。

神聖かまってちゃんについて考えてみよう。このバンドは2008年ごろから始めたインターネットでのストリーミング配信、とりわけニコニコ生放送での配信によって話題となり、実質的にその活動の実績に後押しされる形でメジャーデビューするに至った。彼らの配信内容は単にライブやセッションなどのバンド活動をインターネットを通じて視聴可能にするものではなく、バンドメンバーがステージ外で行なった様々な行動を逐一中継するようなものだった。具体的にはノートパソコンを持って交番に訪れ警官との会話をすべて配信するとか、下北沢の路上で「俺がサブカルチャー!」と叫びながら通行人に付きまとうなどの行為を配信したのだ。あるいはステージ上においても、カメラは自分たちが演奏を行なうステージに向けられるのではなく、メンバーの目線から、つまりステージ上から観客席を見下ろすようにして設置される。さらにそのステージパフォーマンスもハプニング性に富んだものであり、持ち時間の大半以上がメンバー同士のケンカに費やされたり、メンバーが欠席したりする。

このようなメンバーの言動は、どのように捉えればいいのだろうか。多くの音楽ジャーナリズムは今なお彼らの破天荒なあり方を従来的なパンクスピリットとして理解しようとしている。すなわちほとばしる若さ、破壊の衝動などの典型的な理解である。つまり音楽ジャーナリズムにとって彼らは新しく登場したパンキッシュなバンドの一つにすぎないため、不思議なことに彼らのインターネット配信行為についてはほとんど言及されず、むしろ黙殺されている。またギター&ボーカルと作曲を担当するメンバー、の子の奇矯な言動や、彼がバンドで有名になる前に「引きこもり」や「ニート」に近い状態にあったこと、あるいはニュータウン計画が頓挫した千葉の郊外に住む青年だったことから、彼をしてゼロ年代の不況下の日本、つまり俗に言うロスト・ジェネレーション的な世代の若者の怒りを体現する存在として語るメディアもある。そこでインターネットについて言及されたとしてもそれは彼が音楽で注目されるためにチャンスを与えてくれたテクノロジーというだけであり、神聖かまってちゃんというバンドの活動にとってストリーミング配信がどんな意味を持っているかは深く追求されない。

このようなメディアの扱いに対しては、の子自身が「年寄りの雑誌」などと語っているし(※17)、そもそも自らの内面性にばかり目を向けられることに不快感を示している。たとえば、の子はインタビューで自閉的な傾向にあった自分が外に出たいと思ったがゆえに音楽性に変化があったのではないかという質問に対して強い口調で否定を繰り返している(※18)

――でも今まではああいう歌詞を書かなかったでしょう?
の子 はいはいはい。その時は天気が良くて外に出たいって気持ちがあって、ただ単に歌詞を当てただけで(と言いながら配信画面に没頭する)。

『Quick Japan』Vol.90(太田出版、2010年6月12日発売)36頁より引用

こうして内面性と音楽性を関連付けて語るやり方は従来的な音楽ジャーナリズムの典型だが、の子はここではっきりとそれを否定して、かつインターネット配信のほうが重要であるという素振りを見せているのだ。同様の傾向、つまりの子の内面にばかり注目が集まることへの不快感は他のメンバーにもある。そもそも他のメンバーはの子の奇矯な言動について「キチガイ」などの強い口調で笑いの対象にしようとし、その価値を相対化しようとする。

もちろん語られるべきなのは、音楽ジャーナリズムがいまだ正確に言葉にすることができない彼らのストリーミング配信についてである。むしろそれを踏まえることでしか、彼らの何が新しいのかは説明付けられないだろう。なぜなら彼らのような言動を行なうミュージシャンが従来の音楽シーンにいなかったかというと、そうではないのだ。その音楽性もステージングも奇矯な振る舞いも、全く新しいものというわけではない。そのことはまさに、音楽ジャーナリズムが自分たちにとってわかりやすいという理由でせいぜい「新しく登場したパンキッシュなバンド」としてしか彼らを考えていないことからうかがい知ることができる。しかし神聖かまってちゃんの新しさとは、その行為をすべてインターネット配信の対象として考えていることなのだ。

実際、の子は単に破天荒な人物ではなく、ニコニコ生放送の視聴者を喜ばせ、その数を増やしたいという欲望に駆られたが故に勢い余った奇妙な行動を取ることが多い。つまりそのパフォーマンスへの欲求は内面性の発露である前にカメラの存在に後押しされているのだ。ここで前章の最後に挙げた夏野剛の言葉を思い出そう。彼が述べていたのは、さしたる事件性がないことでも、配信して視聴者がそれを見ることによって価値が生まれるということだった。このニコニコ生放送について語られたクリティカルな指摘は、神聖かまってちゃんに実によく当てはまっている。カメラが写し出すものに特別な価値があるのではなく、カメラが写し出したものを視聴者が見ることで価値は完成するというそのあり方は、全くパフォーマンスアートの定石に近いと言っていいだろう。たとえばそれを演劇と比較すれば、ますます神聖かまってちゃんが内面性を売り物にしているなどとは言えなくなっていくだろう。CDのジャケットでリストカットの傷痕だらけの手首を見せたりするように、神聖かまってちゃんの個性は紛れもなくの子の内面に負っている部分がある。しかしそれはバンドの音楽を成り立たせるために必須な要素ではあっても、本質とは呼べない。その内面的屈折ですら、彼らはカメラの前ではパフォーマンスに付加された物語性として扱おうとするし、の子が「音楽なんて終わってネットが主流になればいいのに」とラディカルな発言を行なっていることからも窺えるように、どうかすると彼らは音楽をやること自体をインターネット配信するパフォーマンスの素材として捉えている(※19)
文=さやわか

【註釈】
※17「リアルライブ」(http://npn.co.jp/article/detail/69518274/)より。
『Quick Japan』Vol.90、太田出版
※18『Quick Japan』Vol.90(太田出版、2010年6月12日発売)36頁より。

※19「ナタリー」(http://natalie.mu/music/pp/kamattechan/page/3)より。

関連リンク

神聖かまってちゃん-ニコニコミュニティ
http://com.nicovideo.jp/community/co20278

さやわか ライター、編集者。漫画・アニメ・音楽・文学・ゲームなどジャンルに限らず批評活動を行なっている。2010年に西島大介との共著『西島大介のひらめき☆マンガ 学校』(講談社)を刊行。『ユリイカ』(青土社)、『ニュータイプ』(角川書店)、『BARFOUT!』(ブラウンズブックス)などで執筆。『クイック・ジャパン』(太田出版)ほかで連載中。
「Hang Reviewers High」
http://someru.blog74.fc2.com/
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11.04.03更新 | WEBスナイパー  >  現場から遠く離れて
文=さやわか |