Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game
連載「美少女ゲームの哲学」
第四章 動画のエロス【1】様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。
鬼畜ゲームの持つ闇のイメージについて見るために、ある種のオカルト・アングラ性と親和的だと考えられた探偵小説的作品を取り上げてきた本連載だが、『YU-NO』という名前にぶち当たるに至って、図らずも――とはいえ探偵小説的枠組が抽象的に見て物語の祖型に当たることも述べてきたわけだが――物語の方向性に回帰してしまった。そこで今回は無理やり目先を変えるために、アニメーションという方向性を探ってみたい。
18禁ゲームとアニメーションの縁が深いことはいわゆるOVAの18禁アニメ(アダルトアニメ)の存在を思い出せば理解することは容易である。もちろんアダルトアニメとアダルトゲームは元々は独立したものだったが、ゲームの方でヒット作が生み出されるのにつれて、いわば良質なアダルトアニメの原作として、アダルトゲームはアニメと協調を図ってきた。例えば古いところでは以下のような記述がある(※49)。
前回の『麻雀バトルスクランブル』、そして今回のドラゴンナイトと、最近はすっかりゲームが原作のアニメの紹介づいているのがこのコーナーだけど(笑)、ここ数年でそういった作品はずいぶん増えている。以前に比べて物語=シナリオがかなり重視されている傾向がそれに拍車をかけているのだと思うんだよね。確かに自分が熱中し作品を、映像とメディアで見られるってのはかなり嬉しい事だし、オレ自身はそういう方法論って支持しているほうだから。
起源のアダルトゲームについては簡単ではあるが概観してきた。そこには、1980年代後半から、単なるHなCGのスライドショーやアドベンチャーであることから、ファンタジー系作品を中心とした、シナリオ基軸のゲームへ進化していく流れがあった。むろんアダルトアニメの全てが物語中心主義かといえばそういうことはなく、例えばアダルトアニメの代名詞的作品である『くりぃむレモン』の初期などは、むしろシチュエーションを楽しむ映像作品だった。こういうことはアダルトビデオやVシネマと比較してみれば分かりやすいかもしれない。セックスのみの描写をするか、そこに至る物語だの文脈だのの肉付けをするかは、パッケージングをする上で大きな選択として現代でも以前健在である。それゆえに性描写さえあれば何をやってもいいという体裁で、日活ロマンポルノやアダルトゲームの一部の文化が文化的に勃興したことはもう繰り返し語られてきたことである。
とはいえ今回の原稿はアダルト映像文化やアダルトアニメそのものについて語るのが目的なのではない。そういう隣接関係がある中でアダルトゲームがどうアニメーションを取り込んでいったのかということに少し触れたいと思うのだ。というのも、アダルトゲームの「アダルト」な側面は、何といってもやはりエロにあるのであって、むろんファンタジーの壮大な物語や戦闘が動画で見れることもとても嬉しいことではあるが、しかし、Hシーンがきちんと動いて観れるということは端的な魅力である。加えて2000年代のアダルトゲームにおいては声つきがほぼデフォルトになったわけだが、声も動画も、切りだされた一瞬ではなく、動きを表現しているという点でエロ描写に寄与していた。
アダルトゲームがどのようにアニメを取り込み、それを形式化していったかについて、とりあえずベンチマークとなるのはソニア(SOGNA)の『VIPER』シリーズであるだろう。ソニアは、元アニメーターである中村謙一郎が1992年に創業したブランドである。当時としては革新的なことに、社長の人脈を生かしての現役アニメーターと声優の起用による作品作りが話題を呼んだ。中村は一般ゲームブランドのサイレンスも経営しており、そちらで『宝魔ハンターライム』(サイレンス、1993)という作品をヒットさせている。『ライム』は後にプレイステーションなどへの移植やOVA化がなされており、人によってはこちらの名前の方が馴染み深いかもしれない。むしろ中村のアダルトゲーム作りは、このような一般ゲーム作品のノウハウによって成立していたと言うべきだろう。
さて肝心の『VIPER』だが、これは1993年に発表され、シリーズ化を経て2003年まで作品発表された。むろん1993年というのはPC98全盛の時代であり、当然ながらアニメーションを扱うというには恵まれた環境とは言えなかった。DVDやブルーレイが普通になった今ではあまり考えられないことだが、当時はフロッピーディスクが主要なメディアであり、それは一枚あたりDVDに対して約四千分の一の容量でしかなかった。しばらくしてCDが登場したとはいえ、このことから不可避的に『VIPER』シリーズは、短編のオムニバス作品しか作れないことを運命づけられた。第一作となる『VIPER-V6-』(SOGNA、1993)は、三本収録のアンソロジー作品だが、フルアニメーションであるとはいえ、全編合わせて一時間にも満たない分量だった。が、逆にこのような低スペック環境に対応した描画エンジンであるSGSを開発したことによって、むしろ安定的に滑らかに動くアニメーション作品の提供を可能にした。SGSの機能は、今の言葉で言えばローカルでストリーミングをするような仕組みである。SGSは、必要な動画を必要な分だけ読み込む仕組みを作ることによって、低スペックマシンでもそれなりに快適なゲームプレイを実現した。このことが90年代中盤のソニアの繁栄の一因であるだろう。このシリーズが生んだ「藤堂あすか」や「本条寺あきら」といったキャラクターはブランドの顔となるヒロインとして人気を博した。
ところが、当然このような強みはマシンスペックの向上やOSのバージョンアップによってどんどん失われていく。デフォルトでマシンが動画そのものを扱えるようになっていくとともに、当然ながら同業他社の追い上げも激しく、1995年には、後にアニメーションを売りとしたアダルトゲームブランドの代表格となるジェリーフィッシュ=海月製作所が『パワースレイブ』を発表していた。
ジェリーフィッシュは後に『ラブ・エスカレーター』(1998)、『GREEN〜秋空のスクリーン〜』(1999)などの発表によって名実ともにアニメーションのアダルトゲームブランドの代表格となっていくわけだが、ここには象徴的である以上の問題がある。
というのは、ジェリーフィッシュの第一作となる例の『パワースレイブ』は実は『VIPER』シリーズの原画をトレスしていたからだ。むろんソニアがこのようなやり口に黙っているわけはなかったが、その怒りの矛先はむしろ業界誌『メガストア』や審査団体であるソフ倫へと向けられた。このような流れの中で、1997年には、ソニアはソフ倫を脱退しホビボックスから作品を展開するに至っている。
流通的に考えれば、メディ倫―ホビボックスへと取り扱いを切り替えて行く流れは、その後のニトロプラスやアージュの流れを先取りするものとして重要ではあったのだが、ソニアそのものの経営は芳しい方向にはいかなかった。同業他社との競争に負け、現場の人事的にも様々な問題を抱え続けたらしいソニアは、90年代の繁栄も虚しく、2003年には失踪するように母体会社ごと消滅した。
文=村上裕一
※49 『パソコンパラダイス』1992年12月号(メディアックス)、110頁より引用
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11.11.05更新 |
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