Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game
連載「美少女ゲームの哲学」
第四章 動画のエロス【2】様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。
アニメを実装したアダルトゲームの中で、代表的な存在感を発揮していたのはジェリーフィッシュ=海月製作所である。この存在感の大きさは、彼らの寡作ぶりを考えれば異例とも言えるだろう。筆者の考えでは、この14年ほどで実質三作しか作っていない(※50)。にもかかわらずのこの評価は、彼らがアニメという素材を高い水準で料理してみせたからだ、と言えるのではないだろうか。
『LOVE ESCALATOR』(ジェリーフィッシュ、1998)は、PC98におけるアダルトゲームの最後の名作、とも言われている。というのも当時はWindows95はおろか、そろそろWindows98への移行も起こり始めていた時期だからだ。しかしながら本作は大きな評価を得た(だから「最後の名作」なのだが)。ポイントはやはり、ぐりぐりと軽快に動くアニメーションである(※51)。問題はそれが、単にPC98としては凄い、ではなく、Windows95などのゲームと比較しても際立っていたからこその評価だということだ。フルアニメーションではないものの、むしろアドベンチャー部分と協調することによって、本作は少なくともHシーンに関して十分な分量と厚みを提供することに成功していた。
むろん、そのための犠牲もある。例えば本作は事実上、メインヒロインである河合理恵とのコミュニケーションのみにフォーカスしていた。他にも二名のサブヒロインが存在しているが、一応の性描写があるものの、それもたった一回ずつに留まるものでしかなく、物語上も普通にプレイしている段では重要な役割を果たさないどころか、いなくてもよいほどであった。しかし、それゆえに理恵のルートは充実を極めていた。初めて口説き落としてから、部屋でベッドインし、性の経験を積んで少しずつエロティックになっていく彼女の様子は、多くのプレイヤーを虜にした。アニメが綺麗なこともさることながら、行き届いた描写がされており、性的に習熟した終盤になるとなかなかそうでもないとはいえ、序盤においては、ブラウス一枚やスカート一枚の取り扱いを取ってみても非常に繊細な機微に満ち溢れていた。
この『LOVE ESCALATOR』は後に『LOVERS 〜恋に落ちたら〜』(2003)という作品としてリメイクされている。当時を知るものなら、『LOVE ESCALATOR』以上のあまりの延期の激しさに、「延期」でウェブ検索をかけるとこのゲームが出てくるという笑い事のような事態を思い出すことだろう。残念ながら、その延期が実ったかどうかは怪しい。というのも、目玉であるアニメHシーンの大半がPC98用ゲームだったはずの『LOVE ESCALATOR』から流用されていたからだ。もちろん、リメイクに合わせてCGは描き直されているが、次に上げる理由によってむしろ逆に評判を落とすようなことになってしまった。
しかしこれから指摘することは単純に欠点なのではない。むしろある種のことに納得を与えるのだが、それゆえに生じる残念さもあるような複雑な問題である。何か。『LOVERS 〜恋に落ちたら〜』が大きな期待を集めた理由は、体験版で公開されたアニメシーンの圧倒的な美麗さゆえのものだった。それは河合理恵と初夜を迎えるシーンである。この部分の約半分ほどが体験版に収録されており、かつ、ゲーム本編でもこのシーケンスだけは同様の超ハイクオリティの描画がなされていた。率直に言って、このシーンは本当に伝説的なクオリティであり、現代に至ってもこれに比肩するものは無いかもしれない。動画がスムースに動くことを擬音的に「ヌルヌル動く」とよく評するが、まさに「ヌルヌル」はこの動画のためにある。動きの滑らかさだけではなく、艶や濡れによる滑り、光沢に対してまさに偏執的な情熱が傾けられた本シーンは、まさに人が初めてセックスをするときに抱くような興奮と熱情に触れていた。実際、この作品は初めから裸の男女がいきなり行為に及んでいるようなタイプの作品ではない(最終的にはそうなるが)。電車に乗って家に帰り、会話の糸口を切り出せず、破裂しそうな脆さを感じながら、死にそうな気持ちで触れあい、一枚一枚の服をめくっていく――。そんな繊細なプロセスとともにあったからこそ、このシーンは珠玉の一編となっているのである。
このシーンの素晴らしさは功罪半ばするところがある。リソース配分的に、ここにこれだけかけるのなら、他のところにまわしてくれ、と思う人は少なくないだろうからだ。反対に、延期はし放題だし全体が高クオリティなわけではないが、この初夜シーンのためにそうなったんだとすれば無理もない、と思わせる程度には素晴らしい描写である。他方で、先に述べたようにそれ以外のシーンは事実上の使いまわしであるため、リメイクに合わせて再製作しているとはいえ、初夜のシーンと比べればしょぼいのである。初夜のシーンが素晴らしければ素晴らしいほど、全体が粗末に見えてしまうという驚くべき難点を本作は抱えていた。それでも、PC98の頃にはなかったフルボイスということもあり、アニメには本来付き物だった音声というものをきちんと使いこなした本作は、上記のようなアンバランスさはありつつも、アダルトゲームとして、きちんと歴史に認知された作品となったのではないかと思われる。
順番が前後するが、この前に発表され、Windows環境におけるプレゼンスを高めたのが『GREEN 〜秋空のスクリーン〜』(1999)だ。このとき海月製作所はジェリーフィッシュへとブランドを変更した。本作は『LOVE ESCALATOR』的な問題にきちんと答えた秀作である。というのは、ヒロインのアンバランスさが改善されているのだ。一応こちらでもメインヒロインが設定されてはいるものの、サブヒロインとの間でも濃厚なセックスを楽しむことができる点で、商品として優秀である。しかも、それによってある種のこだわりがなくなったのかといえばそうではなく、Windows環境に対応した美しい映像を製作することは当然としても、ある種の形でこれまでアニメを製作してきたノウハウを生かしたのか、実際のアダルトビデオをモチーフにしたような形で構図やシチュエーションに幅を持たせるなどの挑戦を行なっていたのである。
このような方向性はむろん必然的であった。メディアの容量やマシンパワーが飛躍的に増大した結果、動画の容量や再生手段を気にすることはさしたる問題ではなくなり、むしろ予算や時間コストとの兼ね合いが顕在化するとともに、そもそもそうやって作成する動画そのものを他の映像表現や他社のゲームといかに差別化するかが重要になってきているからだ。
この点で最新作である『SISTERS 〜夏の最後の日〜』は興味深い。ここにはジェリーフィッシュがアニメーションアダルトゲームを作るうえで、いま、何を重視しているかが端的に現れているからだ。本作は3Dによる建物移動パートと、2Dアニメであるセックスパートの、二部に分かれていると概ね言ってよい。ところが、一応はマルチエンド的な体裁を取っていた前作前々作に対して、こちらは事実上の一本道であり、しかも個別エンドのようなものも存在しないという風になっている。3Dパートの「お使い」的移動が重苦しく、特にアイキャッチのように何度も何度も使われる建物全景の映像などはストレスの強い原因である一方で、2Dアニメパートでのキャラクターとのコミュニケーションはむしろ少なめとなり、あたかもソニアの『VIPER』シリーズのような短編回帰をしている。
しかし、実際には上記のことは問題とならない。というのも、本作においては、そのわずかなキャラクターとのコミュニケーションパートの大部分を使ってセックスシーンが描かれているからだ。つまり、アニメという貴重なリソースがきちんと配分されているということである。ある種『LOVERS』の失敗を踏まえたと言ってもよいのかもしれない。本作もまた延期に次ぐ延期を繰り返した。その割に、完全な作品かと言われれば、率直に述べればそうではない。例えばストーリーらしきものがあるとはいえ、謎の仄めかしに留まる不完全な代物であることは否定できない。このような不完全さが期せずして与えているミステリアスな効果もあるのだが、それは余談とするしかない。それでも、ジェリーフィッシュがあくまでもセックスシーンを主眼として作品を構成しているという、アダルトゲームにとって本来当たり前のはずの事実は、むしろ特筆に値する。もちろん多少はそれ以外の描写もしているが、彼らは、アダルトゲーム内のアニメの真価があくまでもセックスシーンにあることを譲っていないのである。
文=村上裕一
※50 正確には1995年から現在まで、いわゆる移植ものを除けば5作が発表されており、現在も一作が開発中にある。
※51 http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=235982
関連リンク
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http://www.jellyfish-pc.com/
11.11.13更新 |
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