Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game
連載「美少女ゲームの哲学」
第四章 動画のエロス【3】様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。
もう少し『SISTERS』について掘り下げてみよう。
この作品はアニメーションアダルトゲームの潮流的には最新のものである(※52)。ということは何らかのアップデートが存在しているということだ。しかし、スペックの向上やメディアの飛躍的な増量によって、なめらかにアニメを動かすことに関するお家芸的な技術はむしろ不必要なものとなり、差別化のためには新しい発想が必要となった。
差別化が重要なのは三つの明らかな競争相手がいるからである。一つは通常のアニメ、もう一つはアダルトアニメ、そして最後は、過去作を含んだ同業他社(そして自社)のアダルトゲームだ。もちろんここに書き込まれていない様々な潜在的競争相手がいることは言うまでもない。上記内容は単に隣接分野を並べ上げただけに過ぎないところもあるが、作品が商品として流通するのはまさにそういう領域においてである。
では『SISTERS』の商品価値はどこにあるのだろうか。もちろん第一のウリはアニメだということにある。逆に言えばそれ以外で勝負しにくいというのも真実だ。ノベルゲームのように文章で魅せるわけでもなければ、シミュレーションゲームのように戦略が存在するわけでもない。あくまでもアニメを中心軸に据えたアダルトゲームとしてどのような差別化ができるのか、それこそがここでの切り口である。
その観点から、始めに不十分な点について述べておこう。まずこの作品はシナリオのレベルでは水準を満たしていない。主人公が事故によって記憶喪失らしき状態に陥っていること、それぞれのヒロインには共通の好きな人がいてしかし事故死しているということ、またヒロインの一人もまた事故で記憶障害になっているということなどが物語の要となっている。しかし、どれもこれも仄めかしに留まっているため全体として焦点を結んでおらず、最後までプレイしても謎らしきものが解明されないなど、ほとんど欠陥と言ってよい状況がある。
また、メディアの容量が向上したとはいえ、『LOVERS』のときにも見られたように、高クオリティのアニメーションを用意するためにはマンパワーないしはコスト的なしわ寄せが来るため、どうしても現代の一般的なアダルトゲームと比較して分量が少なくなるという事情がある。実際『SISTERS』は、話にならないというレベルではないが、非常にプレイ時間が少なくなっている。その上プレイステーションの「やるドラ」(※53)のように、フルアニメーションのゲームではない。お使い的な移動シーンが全体の半分弱を占めており、水増し感が拭えないのもまた真実だろう。
ではそんな中で本作は何が優れているのだろうか。繰り返しになるが、Hシーンのアニメーション表現はとにかく抜群である。Hシーンは8つほど用意されているが、どれもこれも濃厚で、複数回の射精がなされるシーンも少なくない。逆に、もてるアニメーションのリソースを全てHシーンにつぎ込んでいるのだとも言える。この質の良さは『LOVERS』における河合理恵の初夜シーンを彷彿とさせるような代物だ。
このクオリティの高さは『LOVERS』を引き継ぐものであると同時に、部分的にはそれを超えている。引き継いでいるのはある種のフェティッシュである。『LOVERS』の初夜シーンには繊細さが満ち溢れているが、息遣いや光沢、人物の細かな動きなどに象徴されている。『SISTERS』においてはこの傾向が強まり、人物画や背景が単純に綺麗なことは前提として、光沢や滑り、しわ、たわみ、陰影などの表現がより深化=進化している。これがキャラクターとシチュエーションの強い臨場感=物質性へと繋がっているのだが、中でも特筆すべきは舌の動きである。本作ではとにかく舌がよく動く。絡みのシーンではしばしばディープキスが行われるが、そこでは舌がほとんど別の生き物のような動き方をしており、一歩間違えばグロテスクですらある。しかし、その瀬戸際にあるような存在感がまさに他作品とこれを区別するような特徴である。しかも、この舌の表現には、唾液によるぬめり、それに対する反射的光沢、そして舌自体の凹凸のある肉厚というものが含まれており、それはむしろ、ジェリーフィッシュが他のアニメーションアダルトゲームと自社の作品を差別化するために用いているような技術的拘りの精髄である(※54)。
これに伴うもう一つのポイントは絵柄である。今作のキャラクターデザインは外部の漫画家・アニメーターに外注されており、その結果、いわゆるジェリーフィッシュ的な絵柄から脱却し、より当世的な、かわいらしさを追求したデザインとなっている。『LOVE ESCALATER』=『LOVERS』における河合理恵は、大変に魅力的な人物として多くのファンを魅了したが、その絵柄は古めかしいものであり、決して番人向けのデザインではない。ところが、外部人材を登用することでなされた今回のデザインはぐぐっといわゆる「ロリ度合い」を強めるとともに当世風のポップでかわいい絵柄となっている。このことによってより多くのユーザーを取り込むとともに、いわゆる「かわいいデザイン」に対してジェリーフィッシュ一流の構図やシチュエーションへのこだわりを重ね合わせることによって、新機軸のセックス描写を実現しているものと考えられる。というのも、そもそも二次元的なかわいさというものはファンタジックなものであるのに対し、動画的で構図的なシチュエーションへのこだわりというものは端的にリアル志向だと言うことができる。『SISTERS』が果たしているのはこの二つの魅力の合一である。
このとき、「夏の最後の日」という特殊な前提についてもいくつか考慮が可能である。これはサブタイトルであると同時に、本作がわずか十三日ほどの夏休みの出来事であることを意味している。このような設定は『同級生』がそうであったように一般的なものだが、本作が特別なのはそこに記憶喪失の設定が入ってきていることだ。交通事故のシーンから始まる本作は最初から一種の夢のように描かれており、特に、キャラクターが登場するシーン以外は全体的にくすんだ色合いで描画されている。寂れた田舎の夏休みを内面化するような、3Dモデリングされているためリアルではあるが妙に閑散とした街並みや建物、そしてテレビから流れてくる90年代を再現した報道やテレビの情報も、この夢のような環境を表現するための手法であることは間違いない。それは、Hシーンを主軸としたアニメーション部分に全力を傾けている本作にとっては必然的だとも言える舞台設定だ。というのも、プレイヤーを一種の酩酊状態に追い込むこの仕立てが無ければ、Hシーンを剥き出しのまま呈示してしまうことになる。しかし、もちろん映像がそれを強力にフォローしているとはいえ、映像が表現しようとしている繊細な皮膚感覚は、心理的なバリヤー抜きに体験されることが望ましい部類のものであり(※55)、本来その機能を果たすのは物語だったのだが、本作ではそれが欠如している以上、夢であるかのようなものとしての手続きを取らずにはいられなかったのである。
文=村上裕一
※52 本来なら90年代を中心とする考察を終えてからおおよその21世紀の作品に取り組むというつもりで連載を進めていたが、アニメーション系の作品はどうしても縦の流れを一度に追わないと分かりにくいところがあるので、第四章においては方針を少し変えて取り上げることとした。
※53 「みるドラマから、やるドラマへ。」をコピーにして1998年に展開されたアドベンチャーゲームのシリーズ。『ダブルキャスト』『季節を抱きしめて』『サンパギータ』『雪割りの花』(全てソニー・コンピュータエンタテインメント、1998)が発売されている。フルボイス・フルアニメーションが特徴であり、シーンの折々に選択肢が登場し、その選択によって物語の展開が変わるという参加型のドラマゲームである。それに伴って非常に多用なマルチエンディング仕様になっている。
※54 sisters 〜夏の最後の日〜 C78デモムービー
※55 例えば『LOVERS』の初夜シーンが繊細なのはそこまでのコミュニケーションをアドベンチャーパートで蓄積し、アニメーションパートでは例えば電車に乗って二人で部屋に入るまでのシーンに尺を割いたり、その後のベッドインまでの過程を十分な時間を取って描くなど、心理的なバリヤーを取り除き、直接触れ合うような皮膚感覚を再現することに非常に注力している。
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11.11.20更新 |
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