Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game
連載「美少女ゲームの哲学」
第三章 探偵小説的磁場【5】様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。
『YU-NO』が寓話化しようとしているものはむろん「美少女ゲーム」そのものであり、後に続出する「メタ美少女ゲーム」の先駆けであるのは間違いない。このとき、メタというのは、プレイヤーとゲームの関係性がゲームの内容に織り込まれているということを意味する。そして、この認識自体は、もはや今となってはほとんど自明のことであると言わねばならない。では、なぜそのような構造が求められたのか。東はここにポストモダンという社会構造の生真面目な反映を見出したのだが、むしろ今我々に必要なのは内在的論理の解読である。我々はようやく内容に踏み込むことができる。
では、そもそも『YU-NO』の物語はどのようなものだったか。これはひとことで言えば父探しの物語だ。それも、「死んだ父」を探す物語である。
主人公である有馬たくやは、ある日、考古学者の父からの手紙と荷物を受け取る。そこにはある場所に行けという指示と、宝玉と石版――いわゆるRデバイスがあった。使い方も分からぬまま父の指示に従った彼は、その道具を狙う人物に襲われる。だが、そのことによってむしろ道具が発動し、彼は時間を移動する。歴史は不可逆だが、時間は可逆である。それが有馬の父の主張だった。そして、預けられた道具は彼の主張を裏付けていた。
逆行的に時間を旅しながら、Rデバイスと父の真意について理解を深め、謎の中核となる異世界、デラ=グラントへの道をたくやは見出す。
デラ=グラントはいわゆるファンタジー的な世界だが、内実は数十万年前の地球に存在した先史的超科学文明である。彼らは地球が隕石衝突によって滅ぶことを把握し、自らが住まう大陸を次元移動装置によって隔離したのである。これがデラ=グラントだ。ところが、新しい世界を維持することは苦難を極めた。大陸を制御するマザー・コンピュータが必要となった。そして、この事実が本編とちょうど絡みあうこととなる。
マザー・コンピュータは起動のキーとして投影対象となる「巫女」を必要とした。そして、実はたくやの母がこの「巫女」だったのである。Rデバイスも彼女が持ち込んだものだった。グラント人の実在について研究していたたくやの父と母の出会いは必然であり、二人の間の愛情も本物だった。しかし、母はたくやを生むとともに自殺してしまう。理由は、マザー・コンピュータのメンテナンスにそれが求められていたからだ。こうして次の「巫女」が設定されることとなる。次の「巫女」の名はユーノと言う。
ユーノとは誰のことか。彼女はたくやの娘である。そしてむろん、グラント人である。いったいどういうことなのか。つまり彼女は、これからデラ=グラントに渡るたくやが、これから出会うはずのグラント人の女性との間にもうける予定となっている娘なのである。
異世界に行ってすぐ、たくやは襲われているセーレスという女性を救い、以後しばらくの間彼女と生活を共にし、愛しあうようになる。その後ユーノが生まれるが、家族は帝都からの侵略によってバラバラにされてしまう。この侵略は、ユーノを回収することで「事象の衝突」という悲劇を回避するためのものだった。これは先に説明した「巫女」の役割そのものなのだが、愛娘を取り戻すべくたくやは立ち上がることとなる。
帝都の中枢で見たものは、その主である「神帝」が、実は元の世界における自分の義母だったという事実である。義母は、たくやの父の後妻ということになるが、実は最初にRデバイスが起動したときに、たくやが狙われたその場所に同席していた。そして、そのタイミングでデラ=グラントにワープしていたのだった。彼女は世界の破滅を避けるために自分なりの世界管理を行った。ユーノを手に入れるための残虐な行動も、ユーノへの洗脳という仕打ちも全てはそのためだった。
だが義母はあと一歩のところで死ぬこととなる。というのは、まさにはじめにたくやを襲った人物、龍蔵寺幸三のせいだ。この男は元の世界におけるたくやの学校の校長であり、また歴史学者である。彼はたくやの父同様にデラ=グラントの情報を追いかけており、その結果としてたくやを襲ったのだ。そして先ほどのワープに巻き込まれデラ=グラントに渡る。彼は神帝によって監禁され続けていたのだが、それは「事象の衝突」を望んでいたからだった。そしてそれゆえに、最後の局面で神帝=義母を殺し、目的を達しようとしていた。だが龍蔵寺はなぜそのようなことを考えたのだろうか。実は、すでに元の世界の段階において、彼は摩り替えられていたのである。いま、龍蔵寺になりすましている人物は、実は時空犯罪人とでも言うべき邪悪な思念体である。
この思念体の登場に伴い、いっけん現実(元の世界)と空想(デラ=グラント)の二項対立によって形成されていたと思わしき世界に、第三の項が登場することとなる。それは言わば「高次元」とでもいうべき世界だ。その世界では「事象科学」と呼ばれるものが発達しており、とりわけアーベルという名の科学者が、事象の根源を解き明かすべく精神をその方向へ解放するというようなことまでが行なわれていた。この根源へ至る道の途中に存在する「事象の狭間」に存在していたのが件の思念体である。この思念体はアーベルを殺して身体を乗っ取ったのだが、アーベルの恋人に正体を看破され、高次元からたくやたちの世界へと逃亡したのだった。
しかし、常にたくやの側で彼を見守るようにアーベルの恋人もまた存在していたのだった。彼女の助けで龍蔵寺の調伏に成功するのだが、しかし「事象の衝突」は目の前に迫っていた。これを回避するため、ユーノは自らの意志で「巫女」の儀式に望む。何が起こるか分からない危険な儀式だったが、それは執り行なわれ、たくやは反動で元の世界へと押し戻される。だが、たくやはユーノに宝玉を渡していた。そして、それを頼りに彼女を探した。それは、物語の始まりの時に見たあの、少女が一瞬だけ現われて、そして消えたという、あの光景だった。その意味を理解し、今度こそユーノを捕まえたたくやは、ともに世界の根源へとさかのぼっていく――。
全てを描ききっていないが、一応、通史的に眺めた『YU-NO』の物語は以上のようなものである。ところで、あらすじ上に盛り込まれていない重要な要素を急いで補足しなければならない。
一つは、肝心のたくやの父はどうなったのか、ということだ。実は、思念体の存在によって明らかとなった「事象の狭間」と呼ばれる領域に彼は存在している。つまり、死亡事故というのはカモフラージュだったのだ。というのは、たくやの母が「巫女」の力を解放するために自殺したという話はしたが、そのとき彼女は、単純に死ぬのではなく、「新しい世界に行く」というような表現を取るのである。たくやの父はこの事実を純粋に探究した。そして、「事象の狭間」がそうであること、――少なくとも、事象の狭間でなら愛した前妻と再会できるのだということを確信していたのである。そしてそれは叶ったようだ。
もう一つの要素は、本作の極端なオイディプス構造である。例えば、神帝となった人物は、元の世界においては個別ルートが存在するれっきとしたヒロインである。しかしすでに述べたように彼女は父の後妻、つまり義母であるから、彼女を攻略するということはそれ自体が純粋なオイディプスの物語である。
しかし、ことはそれには収まらない。ユーノがたくやの(先取りされた)娘であることはすでに述べた。そして、彼女はタイトルに冠されているようにまさにメインヒロインであり、作中においては儀式のための必要条件としてたくやと性交渉を持つ。即ち、近親相姦が起きているのであるが、実は、ユーノ以外にもう一人、ほとんど同じ境遇のヒロインが存在するのである。その人物は波多乃神奈という。彼女もまたたくやの娘である、と同時に、元の世界に存在する個別ルートのあるヒロインでもある。どうしてそんな人物がいるのか。彼女の母は、実は、デラ=グラントに渡ってから、帝都に攻め込むときに同伴したレジスタンスのリーダーであり、ユーノの儀式の反動で50年前の地球に飛ばされていたのだ。従って、たくやと同時代に同じような姿で現われることとなるのだが、奇妙な話になるのはここからだ。というのは彼女は個別ルートの存在するヒロインであり、従って、彼女の手助けないし攻略――性交渉含む――が無ければ、そもそもたくやはデラ=グラントに辿りつけていない。ここには、単なるオイディプスではない、むしろウロボロスとでも言わねばならないような込み入った構造が存在している。
文=村上裕一
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11.10.08更新 |
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