Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game
連載「美少女ゲームの哲学」
第七章 ノベル・ゲーム・未来―― 『魔法使いの夜』から考える【7】様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。
ここまで、途中で内容に関わる問題に触れつつも、基本的には『魔法使いの夜』を通じて美少女ゲームの形式について考察してきた。最後に音楽の問題に触れることで本章を一段落とし、より広範な問題系へと接続していきたい。
ノベルゲームは原画家ひとりのものでも、あるいはシナリオライターひとりの手になるものではないが、にもかかわらず文体のようなものを持つ。ブランドイメージと言い換えてもよいかもしれないその雰囲気は、むろん、絵や文章や音楽や演出が協調した結果として、もしくは、その共通部分として生じる。その中でも、こと協調という点において非常に重要な役割を果たしているのは、音楽と文章の関係性である。
美少女ゲームにおいて、そもそも、音楽は非常に重要な役割を果たしていた。なるほど90年代末には、パソコンゲームのプラットフォームがPC98からWindowsに移るのにともなって、大容量の音楽ファイルをCD-DAで取り扱うことが可能になった。それだけなら、MIDIで流していたものを単に録音し直しただけのものに過ぎなかったかもしれない。しかし、その時期はLeaf・Keyを代表格とするようなノベルゲーム的美少女ゲームの勃興期でもあった(※114)。中でも、単に物語重視なのではなく、感動を売りにしている泣きゲーがこの時期に一大ジャンルとして猛威を振るったことには、音楽の大きな後押しがあった。泣けるテキストには、泣ける音楽がくっついていなければならなかったのだ。例えば『AIR』の「青空」はそういう音楽として強くユーザーに認知されている。むしろ、感動を引き立てる最大の演出効果は音楽であるかもしれない。コンテクストを知らないのに、音楽を聞くだけで感動させられてしまうことがあるからだ。
むしろ、コンテクストとは音楽のことである。それは『魔法使いの夜』のような作品を取り上げて考えれば非常に理解しやすくなる(※115)。本作はこれまで述べてきたように、非常に動画的に画像を用いているにもかかわらず、実際にはそのことによって視覚的な切断や不連続が強調されている。映像の連続性と読書の連続性は位相が異なっているというわけだ。そして、読書的な連続性がある一方で、そもそもその読書的連続性なるものがどれほど連続的なのかという問題もある。たとえば、紙の本であれば、見開きを読みきったらページを捲る必要がある。そこでやはり一拍置かれてしまうだろう。それはゲームにおいても同様で、ページ送りが生じたら画面は更新されてしまう。それは当然のことだし、むしろこれを利用して演出がなされたりもするわけだ。ところが、そのような切り返しの最中においてもずっと連続性を担保し続けているものがある。BGMだ。
もちろん、同じBGMがずっと流れ続けているわけではない。どこでどのBGMを流し、どこで止め、どこで切り替えるかは、演出の基本中の基本である。しかし、それを前提にしても、音楽はやはりあるレベルで純粋な連続性を体現している。それは、シーンの連続性であり、意味の連続性であり、感情の連続性――即ち、見えないものの連続性である。
視覚的連続性とは、たとえば、ずっと同じ背景を共有しているようなことである。そして、立ち絵的な発想を持つオーソドックスな美少女ゲームにおいては、それは基本的な文法として機能する。ところが、当然ながら、同じシーンでも全く違ったトーンの事件が起きていることはあるし、同じトーンの出来事が連続しているのに背景が切り替わることも珍しいことではない。そういった情景に聴覚的連続性によって統一感を与えるのが音楽ならば、また同じ風景から統一感を奪うのも音楽である。
さらに言えば、ある曲は明るいイメージを、ある曲は悲しいイメージを、またある曲は感動的なイメージを、というような形で決め打ちの割り振りがあるのは確かにしても、実践的に用いられる音楽は、そういうスタティックな状態には留まらない。というのは、曲は反復して使われるからだ。しかも、単に反復するのではなく、あるシチュエーションに乗って、そこでの出来事を記憶した状態で再び反復されるのである。先ほどは、あたかもある情景の感情の色を音楽が決定するのだ、と言わぬばかりであったが、繰り返して用いられるとき、音楽は否応なく過去に縛られる。その積み重ねはプレイヤーのプレイ経験の中で、その人の固有の記憶として位置づけられ、プレイヤーに馴染み、作品へ感情移入を強めていく。
このどうしようもない環境的条件が、意味や物語――そしてそれを担う文章と協奏を奏でるとき、読者は作品に感動を覚える。たとえば、奈須きのこの文章は、それ自体として反復が多いと言われている。これは、本作よりも『月姫』や『Fate/stay night』に強く見られた傾向で、主人公の内省が強調されているがゆえのことである(したがって表現上、むしろ客観性が増している本作の場合はそういう印象が弱まっている)。しかし、そのような内省の反復は常に同じ音楽と結び付けられ、極めて色彩豊かにプレイヤーの心に刻印される。たとえば、『Fate/stay night』においては、遠坂凛が、自分の契約するサーヴァントであるアーチャーの過去の悲劇を夢で覗き見てしまうというシーンがある。それはまさに凛も我々も体験したことがないトラウマなのだが、それを反復的に見るにおいては、まるで凛がアーチャーに感情移入するように、我々もそのトラウマに感情移入してしまう。そこで流れるBGMは「消えない想い」という曲なのだが、この曲はそれ以前においても様々な英雄の悲劇を回顧するシーンにて流れていたものである(※116)。だから、物語が進展し人物に対して感情移入を深めることとパラレルに、そこまでで用いられてきたBGMに対する無意識的な蓄積も強まっているのである。そして、シナリオの主要人物にスポットが当たるときに、まさしく視覚と聴覚が合一するように、それまで並行的に蓄積されてきた二つの層の記憶がクロスするのである(※117)。
このような音楽の機能は、別段、今初めて発明されたことではない。しかし、本作がその形式的探究によって、音楽の現前性を改めて強調しているのは確かだろう。そして、この論点はまさにより広範なノベルゲーム的美少女ゲームの射程において考察されるべきである。したがって、次回からは章を改めて美少女ゲームにおける音楽とテキストの関係を論じたいと思う。
文=村上裕一
※114 余談だが、中心的なサウンドクリエイターであった折戸伸治がLeafからKeyへと移籍してどちらにおいても存在感を発揮していることや、Leaf=アクアプラスの社長である下川直哉が音楽担当であったこと、さらにKeyにおいてはシナリオライターの麻枝准が音楽も担当していたということには、単なる事実以上の大きな意味があるだろう。優れた音楽が作品の方向に影響を与えたり、作品のリーダーシップを取るものが音楽的な部分も担当していたということが、少なくともこの時期にあったということだ。そのプレゼンスの傍証としては、2000年前後の同人音楽市場において、Leaf・Keyを中心に美少女ゲーム音楽のアレンジが隆盛していたということが上げられる。さらに、当時の美少女ゲーム業界でサウンドチームとして圧倒的な活躍を見せていたI'veの存在も忘れられない。BGM制作よりもOP/EDテーマの制作で強い存在感を示し、01年や02年には、名立たる作品のほとんどに楽曲を提供しているというような勢いまですらあったI'veが、後にメジャーシーンにKOTOKOなどを送り出したことは周知の事実である。
※115 コンテクストとは、文脈、すなわち孤立して存在しているように見える局所部分の価値を設定するような全体構造、もしくは、その構造と部分の関係のことである。たとえば先ほどまでの論述から言えば本が分かりやすい例である。いっけんすれば本というものは、有珠の設定づけとして単にちょこちょこと現われているだけに過ぎない。しかし、彼女の「童話の魔女」としての設定やArchiveでの表示のされ方から、これが単なるキャラ付けのための道具ではなくて、むしろ作品全体の象徴なのだということが知られてくる。
※116 『魔法使いの夜』においてこれに相当する楽曲の名前は「遠い疵」である。より分かりやすく楽曲の機能を体現していると言えよう。
※117 このとき、凛が自分が体験したことのないトラウマを共有しているという点で、近過去的風景に生きていることは強調してもよいだろう。そもそも、音楽の反復によって引き出される感情は、その作品内において蓄積した経験だというのはもちろん確かだが、それ以上に、存在しないものに対するノスタルジーという要素が強い。このノスタルジーは、奈須きのこだけではなく、むしろKeyと麻枝准においてより重大な論点となるだろう。なお、奈須きのこの世界観を論点とする物語論的な読解については、稿を改めたいと思う。
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12.06.17更新 |
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