Chaos*Lounge2010 in TAKAHASHI COLLECTION HIBIYA
2010年12月4日(土)〜19日(日) 高橋コレクション日比谷にて開催!!
ネット上で発生する流行や、その化学反応、あるいは「ネット」と「アート」の狭間で瞬く作品自体。そんなモニター上の存在を一同に集めて眺め直す展示&ライブペイント企画「カオス*ラウンジ」。その2010年度最後の展示が高橋コレクション日比谷にて本日まで行なわれていました。今年の総決算とも言える展覧会で観られたものとは……。会場の模様をライター・四日市氏に報告してもらいます。「【新しい】カオス*ラウンジ【自然】」は、これまでアーティスト主導で行なわれてきたグループ展「カオス*ラウンジ」を、評論家・黒瀬陽平の理論と実践のもとに「カオス*ラウンジ2010プロジェクト」として2010年中、繰り返しイテレーションされてきた展覧会の総決算らしい。実際に、今回の展示では2010年での展示がすべて凝縮された形になっているように感じられた。
2010年4月に開催された「カオス*ラウンジ2010 in 高橋コレクション日比谷」では広大な空間に漠然と展示されていただけだった作品群が、細かく切断された空間により雑然と配置されている。これは2010年5月に開催された「破滅*ラウンジ」の展示を取り入れた結果だろう。しかし「破滅*ラウンジ」より雑然としているにも拘わらず、混乱した様子はなく、会場も清潔に保たれていた。少なくとも異臭がない。これはとても素晴らしいことだ。
「カオス*ラウンジ」の展示物がオタクの想像力を基板にしていることは明白だ。しかしそこに神秘性を感じる必要はない。オタク的想像力の外側にいる人間からすれば、その記号性も想像力の派生も読み取ることはできないだろう。たとえば「らき☆すた」の登場人物であるつかさが嘔吐している絵画がある。しかしそこに作者の倒錯を読み取ることはおそらく誤りだ。彼女の嘔吐は2ちゃんねるのスレッドや、そのまとめサイト、pixivやTwitterなどで繰り返し行なわれる「ネタ」の往来から立ち上がった集団の想像力に感化されている。そして、誤解を恐れずに断ずるならば、その想像力は内輪ネタでしかない。「破滅*ラウンジ」のアーティストに顕著だが、彼らの展示は彼らの中で流行した、彼らにしかおもしろさのわからない、彼らにしか文脈を読み取ることができないものだ。
しかし立ち止まって考えてみて欲しい。「カオス*ラウンジ」は、自らの文脈が「くだらなさ」から立ち上がっている事実を隠そうとはしていない。大手ディスカウントストア・ドン・キホーテを模倣した展示会場や、あまりにもカジュアルすぎるTwitter公式アカウントやオフィシャル広報ブログ、そして「破滅*ラウンジ」の面々の生活活動そのもの。彼らの想像力がインターネットというインフラの中で文字通り光の速さで複製され、拡散され、変化するものであることを、そしてそのコンテキストを読み解いたところで所詮すべては悪ふざけや馴れ合いに過ぎないことを明らかにしている。美術評論家の黒瀬陽平は繰り返し言う。「内面などない。知性も感性も、すべてはアーキテクチャ上で、システマチックに組み立てられてゆく」と。「カオス*ラウンジ」の営為は絵画技術のみならず、その想像力までもが複製され、並列化されてしまうことを白日のもとに晒した。技術もコンテキストも作家性すらも特権性を剥奪された「カオス*ラウンジ」の世界で、我々はついに彼らの自由な筆先を、モチーフの変形を、デジタルな色彩に育まれた感覚のアナログへの表出を、鑑賞することができる。
「カオス*ラウンジ」には「わからないもの」はなにひとつ存在しない。「わからない」という心理は、対象が解釈可能であることを前提としている。しかしアートは新書ではない。解釈する必要などない、そこにあるものを見ればよいと宣言された時こそ、必要とされるのはあなたの批評なのだ。
文=四日市
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カオスラウンジオフィシャルサイト
高橋コレクション日比谷
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