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第8章 体育教師・けい子【5】

長い、長いキスだった。進路相談室のソファの上で、教え子のひかりに抱きつかれて、強引に唇を重ねられてしまったけい子だが、それを振りほどくことは出来なかった。

こんなこと、いけないと思っていても、力が入らない。ひかりの唇と舌の愛撫に、とろけてしまいそうなのだ。

これが自分がずっと求めていた快感なのだ。混乱する意識の片隅で、けい子はそんなことを考えたりもした。このまま、ひかりに身を任せたい。いや、自分からひかりを抱きしめたい。欲望が身体の奥から沸き上がってくる。

しかし教師としての理性が、けい子を引き止めた。

「だめよ、真島さん」

けい子は力を振り絞って、唇を離し、ひかりを押しとどめた。

「こんなこと、いけないわ。私は教師だし、それに女同士なんだから」

すると、ひかりは少し驚いたような表情を見せた。

「でも、先生、女の子が好きなんでしょ。キスしてわかりました」

ひかりの目が艶めかしく輝く。いつもの大人しい彼女からは想像もつかない表情だった。

「そんなこと、ないわ」
「けい子先生っ」

再び、ひかりが抱きついた。こんな華奢な少女の身体のどこにこんな力がと思うほど、強く抱きしめてくる。少女の甘い体臭に、けい子はくらくらする。

「私、けい子先生が、ずっと好きだったんです」

ボーイッシュなけい子は、中学時代から同性に人気があり、「ファン」を自称する女の子もたくさんいた。ふざけて抱きついてくる子もいた。

しかし、これほどまでに直接的な行為は、初めてだった。ボーイフレンドがキスをしようとしてきたことはあったものの、唇が軽くふれあっただけで嫌悪感が走り拒否した。

だから、これがけい子にとってファーストキスといってもいいだろう。そしてそのキスは、けい子にとって衝撃的な快感をもたらした。

ずっと同性との性行為を想像して自慰に耽っていたけい子には、待望の経験である。このまま、ずぶずぶとこの少女と深く愛し合いたい欲求に襲われる。もう、けい子の肉裂は充分なほどに濡れていた。

しかし、自分が教師であるという強い意識が、それを何とか押しとどめた。けい子は、ひかりの腕を振り払い、立ち上がった。

「あっ」

ひかりは、大切な物を失ってしまったような、悲しげな表情を浮かべた。

「真島さん……。ここは学校の中だし、私は教師だし、こんなことをしちゃいけないわ」
「じゃあ、学校の外ならいいんですか?」

ひかりの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「そういうことじゃなくて……、それに私たちは女同士だし……」
「女同士じゃいけないんですか?」
「真島さん、若い時に、同性に憧れを持つことはよくあることなの。でも、それは恋愛とは違うし……」
「女しか好きになれない女もいるんです」

そう言うとひかりは立ち上がった。うつむいたまま、制服の乱れを整える。そして、けい子の目を見ずに、冷静な声で言った。

「わかりました。ごめんさい。このことは忘れてください」

ひかりは相談室を出て行った。

「真島さん!」

けい子の声は相談室に虚しく響くだけだった。自分が取り返しの付かないことをしてしまったとけい子は思った。


それから、ひかりは学校に姿を見せなくなった。自分が彼女を傷つけてしまったという意識があるけい子は、何度もひかりの家を訪ねたが、会うことは拒否された。

今日もたぶんだめだろう。そう思いながらもその日、けい子はひかりの家に足を運んだ。天気のいい日曜日だった。

ジャージ姿がトレードマークのけい子も、生徒の家を尋ねるということで、それなりにきちんとしたスーツ姿だ。本人の意思とは別にブラウスのボタンが弾けそうになるくらいに盛り上がり、結果的に胸元が強調されてしまい、すれ違う男たちは一様にけい子に好色な視線を投げかけた。その不躾な性欲は、けい子にとって不快でしかなかった。

しかし、あの時にひかりからストレートにぶつけられた性欲は、けい子のとって決して不快なものではなかった。教師としての理性でなんとか持ちこたえたものの、ちょっとのはずみで、ひかりを抱きしめ返していたかもしれない。

その証拠に、あれからけい子の毎晩の自慰はひかりとの愛欲シーンを妄想して行なうようになっていた。教え子を性欲の対象とする妄想をするなんて、教師としてはあってはならないことだ。そう思って他の妄想に切り替えようとするのだが、いつの間にかに相手がひかりになってしまっている。

全裸で拘束された自分の身体を、教え子の少女に責められ、何度も絶頂に追いやられる。そんな想像をして自分を慰めているなど、もしも誰かに知られてしまったら破滅だ。

そう思っているから、いきなりドアを開いたひかりと顔を合わせた瞬間、どうにも気まずい気持ちになった。どうせ今日も会ってもらえないだろうと初めから思っていたため、心の準備が出来ていなかったのだ。

「あ、こんにちわ」
「こんにちわ……」

なんとも間抜けな挨拶を交わすことになってしまった。

自宅にこもっているせいか、スエットの上下というラフで色気のない格好のひかりではあったが、顔色は悪くない。

「あの、ちょっとお話させてくれないかな?」

けい子は恐る恐る聞いてみる。

「いいですよ。上がってください」

あっさりと許可が出て、けい子は拍子抜けしてしまう。

「失礼します」

なかなか立派な家だった。確か、ひかりの母親は服飾デザイナーで、父親はそのマネージメントの会社を経営していたはずだ。

「今日はみんな出かけているんです」

ひかりの言葉に、けい子は少しドキリとした。あの相談室での一件を思い出す。しかし、本音で話し合えるいい機会かもしれない。

けい子は応接室に通された。さすがにモダンなインテリアで統一されていて感心した。おしゃれな雑誌のグラビアに登場しそうな部屋だ。ファッションにはあまり興味がなく、自信もない自分は、この部屋には不似合いではないかという気持ちにさえなってくる。

けい子とひかりはテーブルを挟んで、向い合って座った。ひかりは視線を合わせずに下を向いている。

「……学校、来たくないの?」

けい子から話を切り出す。ひかりは答えない。

「この間のこと、気にしてるの?」

沈黙が長く続き、そしてようやく、ひかりが口を開いた。

「先生に会うのが、つらいんです……」
「え……」

けい子はしばらく、何も言えなかった。少しの沈黙の後、ひかりが言葉を続けた。

「先生のこと、あきらめようと何度も思ったんですけど、どうしても忘れられなくて」

不登校は、やはり自分のせいなのか。しかし、だからといって彼女を受け入れるわけにはいかない。けい子は言葉を選びながら、ゆっくりと話す。

「真島さんが、私のことをそんなに思ってくれるのは嬉しいわ。でも……」
「やっぱり女はいやなんですか?」
「違うわ。これがもし男子生徒に言われたとしても、答えは同じよ。私は教師だし、あなたは生徒なんだから」
「……はい」

そしてひかりはまた黙ってうつむく。けい子も何を言っていいのか、言葉が見つからない。二人の上に重たい空気がのしかかる。

「でも……、いつまでも学校に来ないわけにはいかないでしょ? もっと楽しいことが見つかるかもしれないし……」

ひかりは答えない。再び長い沈黙。どれくらいそれが続いたのか、わからなくなった頃、ひかりがようやく口を開いた。

「わかりました。明日から学校に行きます」
「真島さん……」
「でも」

ひかりは、初めてまっすぐけい子の顔を見た。目が潤んでいた。何かを思いつめているような表情だった。

「ひとつだけ、お願いしていいですか」
「……何?」
「最後に、先生に抱きしめて欲しいんです。抱きしめて、『ひかり』って呼んで欲しいんです。そうしたら、私、もうあきらめます。だから……」
「わかったわ。そうしたら、学校に来てくれるのね」
「はい」

けい子は立ち上がった。ひかりも立ち上がる。二人は近づき、見つめ合った。

「ひかり、さん……」
「けい子先生」

自分を一途に見つめる愛らしい表情だった。けい子は自分の中から湧き上がる感情を必死にコントロールしようとした。

けい子がひかりをゆっくりと抱きしめる。ただでさえ大柄なけい子だ。小柄なひかりと向きあうと、身長がずいぶん違う。ひかりの顔はけい子の豊かな胸に埋まることになる。

「ああ、先生……」
「ひかりさん」

少女の甘い体臭に、けい子は痺れる。強く抱きしめたら崩れ落ちてしまいそうに華奢で柔らかな身体の感触にうっとりする。

ひかりはけい子を見上げた。けい子もひかりを見る。どちらかともなく唇が重ねられた。

相談室での衝撃的な体験と、あの強烈な快感が甦る。ひかりはけい子の腕の中で、ビクンビクンと大きく震えた。

そしてそのひかりを強く抱きしめているけい子も、身体の奥から噴き上がるようにやってくる快感に全身を震わせていた。目の前が真っ白になる。股間が熱く燃え上がる。

それは毎晩のように行なっている自慰で得られる絶頂の感触と似ていながら、違うものだった。

「ああ……」
「んんんっ」

二人は狂おしく抱きしめあい、唇を吸い合った。けい子も、もう何も考えられなくなっていた。ただ、ただ、目に前のひかりが愛おしく、抱きしめるだけだ。

長い長い快感の渦が二人を包んでいた。そして崩れ落ちるように、ソファに倒れこむ。

ハァハァハァ……。息を荒げながら、二人は汗まみれになった顔を見つめ合い、そしてもう一度キスをした。

すると、ひかりはそのまま目を閉じて黙ってしまった。動かない。呼吸をしていることから、危険な状態ではないことがわかるが、どうやら意識が飛んでいる。極度の興奮と快感で、失神してしまったようだった。

けい子は肩で息をしながら、ひかりの顔を見ていた。もし、あのまま求められていたら、自分を抑えられたからどうか、自信がなかった。

いや、理性も何も捨てて、そのままケダモノになってしまえたら、どれだけ素晴らしかっただろうか、とも考えた。


ひかりは結局、翌日からも学校へ来ることはなかった。そしてそのまま、転校していってしまった。

ひかりの存在は、けい子の中に大きなしこりとなって残った。そして、ひかりに責められるシチュエーションを繰り返し妄想しながら、毎晩のように自慰に耽ったのだ。

その、ひかりが、目の前で全裸になり、同じく全裸で拘束されている自分に抱きつき、唇を重ねている。けい子は、もう何がなんだかわからなくなっていた。

ただ、あの甘美な唇の感触だけは、記憶の中と同じだった。

(続く)

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10.11.22更新 | WEBスナイパー  >  赤い首輪
文=小林電人 |