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第9章 潜入捜査官・エリカ【3】

「斉藤真紀さんは、特別収容所に送られたみたいね」

みゆきが言った。相変わらず表情は変わらず、言葉にもあまり抑揚がない。
「特別、収容所?」
「一種の刑務所なのだけれど、特に反国家の思想を持つなどの思想犯が送られるところよ。国家奉仕法違反に関しては、通常の裁判も行なわれないままに収容所にぶち込まれるわ。PTWのメンバーなんか、正にそれね」

みゆきの表情が、少しだけ自嘲気味に動いたようみ見えた。エリカは尋ねる。

「真紀さんは、PTWと接触したことで、収容所に入れられてしまったの?」

「いいえ。彼女は公務奴隷として、収容者に奉仕するために送られたらしいわ。奉仕者になっても、入札が成立しなかった者は、公務奴隷として国の所有物として扱われることになるの。でも、彼女は若くて美人だったのでしょう? たぶん、なんらかの力が動いて公務奴隷にさせられたのよ。それがPTWと関係したからかどうかはわからないけど」
「そう……。私のせいかもしれないですね」

数年前にエリカがロンドンにいた時に、別のテーマの取材でやってきた真紀と出会った。真紀はPTWの活動に興味を示し、もっと詳しく話を聞きたいと言っていた。そして何よりもエリカと真紀は気があった。真紀がロンドンに滞在している期間、二人は毎晩のように一緒に飲み歩いたのだ。

「残念ながら、私が調べられたのはそこまで。特別収容所は何カ所もあるけれど、どこの収容所かまではわからないわ。ごめんなさいね、あまり力になれなくて」
「いいえ。それだけでも嬉しいです。では、データを」

するとみゆきが急に足をよろけさせて転んだ。

「あ、大丈夫ですか?」

慌ててエリカはみゆきを助け起こす。

「ありがとう、ごめんなさいね」

その時、みゆきはエリカの耳元で囁き、小さな物体を手渡した。

「わからないところに隠してね」

たとえ、二人を見ていた者がいたとしても、その時にこの物体を手渡したことには全く気づかなかっただろう。

エリカは受け取った物体をベルトの内側へと忍びこませた。このメモリーには、みゆきたちPTW東京メンバーが調べ上げた情報が記録されているのだ。これを受け取ることが、エリカが今回、東京へやってきた目的のひとつだった。

それからしばらく歩いたのち、みゆきはエリカに持っていた紙袋を渡した。

「これ、東京みやげ。向こうの人たちによろしくね」

なるほど、これがダミーというわけか。もし、二人を見ていたとしても普通はこの袋を怪しむはずだ。エリカはみゆきの用心深さに感嘆した。これほど気をつけなければ、この東京でPTWの活動は出来ないのだろう。

エリカは歩きながら、ベルトの内側から指でメモリーを押しこみ、ショーツの内側へと入れた。ゴムのところに挟みこむ。金属のひんやりした感触が肌に染みる。

満員電車の痴漢によって脱がされてしまったため、駅の近くのコンビニエンスストアで慌てて買ったショーツのため、エリカの気に入ったものではない。こんな野暮ったいショーツを穿いているのは、美意識の高いエリカには苦痛でしかない。

早くホテルに戻って、自前のショーツに穿き替えたい。

「あ、いけない。大事なもの忘れてたわ。ごめんなさい、ちょっとそこの本屋で待っててくれる? すぐに取ってくるから」

唐突にみゆきがそんなことを言った。みゆきのことだから、何か意味があるのだろう。エリカは大人しく従う。

みゆきが指定したのは、少し大きめの書店だった。まだ早い時間なので、客はあまりいない。エリカは店内をぶらぶらと回った。会話はほとんど完璧なエリカだが、日本語の文章を読むのは少し苦手だった。だから、写真が中心の雑誌などをパラパラとめくったりして時間を潰した。

その書店の奥のほうには、ちょっと空気が淀んだように感じられる一角があった。ポルノグラフィの売り場だ。女性が淫らな姿をしている表紙が並んでいる。そこに並ぶ言葉が、女性の尊厳を踏みにじるような卑猥な意味のものばかりだということはエリカにもわかった。

こんな、誰でも入れるような本屋で、こんなものを売っているなんて……。

エリカは唇を噛む。その無神経さがたまらなかった。今朝の満員電車の一件以来、この国の男性に対する印象は、昨日と全く変わっていた。礼儀正しそうにしていても、一皮剥けば性欲をたぎらせた獣ばかりなのだ。

エリカはその醜悪な売り場にくるりと背を向けて立ち去ろうとした。

その時だった。

「待ちなさい、外人さん」

声をかけられて、エリカが驚いて振り向くと、そこには制服を着た女性が立っていた。この書店の店員なのだろう。でっぷりと太った中年女性で、エリカを睨みつけていた。

「なんでしょうか?」
「日本語はわかるんだね。じゃあ、その袋に入れたものをお出しよ」

その女はいきなりエリカの腕を掴んだ。

「え、何のことですか?」
「しらばっくれるんじゃないよ。ちゃんと見てたんだから」

女は、紙袋の中に手を突っ込んだ。そして、そこから一冊の本を取り出した。それは、全裸の女性が縄で縛られた表紙の雑誌だった。ポルノグラフィ売り場にも同じものが並んでいる。

「外人のくせに万引きかい。綺麗な顔してるくせに、こんないやらしい本を」

エリカは何が何だかわからない。混乱しながら、必死に弁解する。

「私、知りません。そんな本、欲しいわけがありません。何かの間違いです」
「万引き犯は、みんなそういうんだよ。ちょっとこっちへ来なさい」

エリカよりずっと背の低い女だったが、腕力は強かった。半ば引きずられるようにして、裏の事務所へと連れて行かれてしまった。

「なんだい、その美人の外人さんは」

狭い事務所には、眼鏡をかけた初老の男がいた。驚いたようにエリカの顔を見ている。

「万引きだよ。しかも、こんないやらしい本を盗もうとしてた」

女はさっきの雑誌を、男に渡す。男はちょっと驚き、そして好色な表情でエリカを見た。

「ほお。こんな綺麗な金髪さんが、こんなものに興味があるとはねぇ」
「違います。何かの間違いです。誰が、そんな汚らわしいものを欲しがるものですか」

思わずエリカは叫んだ。そんな疑いをかけられるのは屈辱以外の何ものでもなかった。

「汚らわしくて悪かったね。私たちはこれを売っておまんまを食ってるんだよ」

自分でいやらしい本だと言っていた癖に女は激高したようだった。今にもエリカに飛びかかりそうな勢いだ。それを男がなだめる。

「まぁ、まぁ、山本さん、落ち着いて。この金髪さんも悪い気で言ったんじゃないよ。だって、これが読みたかったんだろ、なぁ」

男の好色な表情がエリカには不快でたまらなかった。

「違います。何かの間違いです!」
「ふん、盗人猛々しいね。まだ何か他にも盗んでるんじゃないか?」

女がエリカを睨みつける。その時、エリカはとっさにメモリーのことを思い出した。何かの拍子にこれを取られてしまっては大変だと、半ば無意識にショーツのゴムの部分に手をやってしまった。

「おや、何かそこに隠してるのかい?」

女はエリカのその行動を見逃さなかった。

「違います。何でもありません」
「いいや、怪しいね。見せてご覧」

女の手がエリカの腹部に伸びて来た。エリカは咄嗟にその手を振り払った。

「痛っ」

女は大げさに痛がる。その隙にエリカは事務所から逃げ出そうとした。しかし、男は素早くエリカの腕を掴んだ。冴えない風体からは想像もつかないほど素早い動きで、腕をつかむ握力も強かった。

「逃げるなんて、怪しいね、金髪さん」
「とんでもない女だよ。警察だ、警察を呼ぼう」

女はそう言って電話機の受話器を掴んだ。エリカは慌てる。ここで警察が来れば、パスポートを調べられるだろう。もしそれが偽造パスポートであることが発覚してしまえば、任務が遂行できないどころか、逮捕されてしまうだろう。

「あ、だめ。警察はいやです」

ここはもう、とりあえず謝るしかない。何とか警察を呼ぶことだけ避けられるなら、あえて万引きの罪を着ることも仕方がない。

「そんなに警察を呼ばれちゃまずいのか。なんか理由がありそうだね、この金髪さん」

男はにやにや笑いながら、エリカの全身を舐め回すように見た。その視線のいやらしさに、エリカは背筋が寒くなる。

「とりあえず、何か隠してるみたいだね。ちょっと身体検査させてもらうよ」
「そうだな、それがいい」

男は手際よくエリカの両腕を背中でまとめてがっちりと掴んだ。

「何をするんですか!」
「また逃げられちゃたまらないからね。それとも、あの本みたいに縛って欲しいのかな。あんた、そういうのが好きなんだろ。ちょうど本を縛る用のロープもあるからさ」
「いや、縛らないで。逃げません。もう逃げませんから、放して下さい」
「そんなこと言われても、信用ならないね。私が手を離したら逃げ出すんだろう」
「逃げません、逃げませんから!」

男が合図をすると、女がロープを渡した。すると左手でエリカの両腕と掴んだまま、右手で素早く縄をかけていく。鮮やかな手つきだった。目にもとまらぬ早さで、エリカは後ろ手で縛られてしまった。

「あ、なんてことを……」
「万引き犯だって、立派な罪人だからな」

男はその縄の端を棚にくくりつけてしまった。分厚い本が詰まった重厚な本棚だ。エリカはもう逃げ出すことは出来ない。

「ひどい。ひどいです。こんなことは許されません。解いて下さい!」

エリカは叫んだ。もし、本を万引きしたとしても、こんな扱いはひどすぎる。この男たちは何を考えているのか。エリカは生命の危機すら感じてしまった。これなら、警察を呼ばれたほうがましかもしれない。

「わかりました。警察を、警察を呼んでください。警察に調べてもらえばわかります」

しかし男たちは冷ややかに笑うばかりだ。

「今さら何を言ってるんだい。警察が来る間に、証拠隠滅でもしようってのかい。そうはいかないよ。私たちで、じっくりと調べてやるからね」

女が縛り付けられたエリカに近づく。エリカは恐怖のあまり、女を蹴り飛ばそうとした。エリカの足が女の脛をかすった。

「痛っ! なんて女だい! 店長、こいつはとんでもないよ。足も縛ったほうがいい」
「どうやらそのようだな。山本さん、こいつの足を掴んでいておくれ」
「ああっ、いやっ。止めて!」

男は新しい縄を取り出すと、エリカの足首に巻きつけた。素早い手つきで、男は両足首を棚の足に結びつけた。しかも両足が大きく開いた体勢だ。エリカは「人」の字の形に本棚に縛り付けられてしまったのだ。自由は完全に奪われてしまった。

エリカはこれが現実のこととは思えなかった。この狂った男女に、自分は殺されてしまうかもしれない。そんな恐怖に震え上がる。

そう。これがエリカの生き地獄の始まりだったのだ。 

(続く)

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11.01.24更新 | WEBスナイパー  >  赤い首輪
文=小林電人 |