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近頃は肛門性交独特の快楽を優先し、完全なる腸洗滌を軽んじる風潮みあるようですが、そんな輩は大肛門道の正しい在り方を知らぬ、ケッツ道修行者としてはドシロウトです。今回は、直腸内に様々な物を詰めることにより楽しみは無限に拡がることをお話しします。すでに今日まで、耳にタコが出来るくらい言ってきましたように、洗滌は肛門修業の基礎、根幹として一番大切なことなのですが、諸君、それもいい加減なものでは絶対に駄目で、徹底した洗滌でなければならないのです。
オカマや、ニューハーフの人たちの中には、他人に自分のケッツの穴を掘らせる前に、軽く直腸中を空にするだけの浣腸や洗滌をし、それだけで充分だと心得る向きもいるようですが、それでは大肛門修業の道に入ろうとする者としては失格です。
唯、他人のケッツの穴を今直ぐ犯したくてもうたまらぬという輩を満足させるためのみであれば、チンボが収まる直腸のみを浣腸・洗滌で空にすれば事は足りますし、直腸の中に屎が一杯詰まったままであっても、一部にはそれがチンボへの絶好の感触を与えて、いい刺激になるので、かえってそんなケッツを好む輩もいます。
そんな輩には、チンボヘコンドームを被せてやらせれば、チンボが汚くなる心配はなくなりますし、中には、コンドームを嵌めるのを嫌い、生のチンボを屎で一杯の直腸へ突っ込んで、こね廻し、突き廻して、引き抜いたチンボの亀頭冠(チンボの亀の鯰)に、黄色い屎がベットリと付着しているのを、「欝金(うこん)の鉢巻き」と呼んで喜ぶ人もいます(欝金色とは渋い金色、つまり茶人好みの黄色のことで、亀頭の鯰のくびれに、ウンコが一周、輪のようになって付着したのが、チンボの亀に鉢巻きを締めたように見えることから、昔の人はそう呼んだのです)。
確かに屎の一杯詰まった直腸を貫いて責めるのは、一種独得の快感があるものです。それは、空の直腸とは違って、餡の一杯詰まった大福餅のような状態のところを突きまくるような、奇妙な充実感をチンボの先に与えますし、犯される側にとっても、突いて来るチンボの触感が、直接に直腸の粘膜にこすれて刺激するのでなく、屎のクッション全体が、肛門(出口であるべき)から逆に奥へ向かって戻されて押して来る、奇妙な充実感というか圧迫感が味わえて、これはこれで捨て難い快感のあることは確かです。
だが諸君よ、屎だらけの直腸へ生のチンボを突っ込むのは余り感心出来たものではありません。何故かというと、屎の中には大腸菌を始めとして色々な悪い雑菌が一杯いますから、そんな中にチンボを突っ込むと、時によってはその悪い菌が、チンボの先の割れ目から尿道の中に詰まってしまい、尿道炎や、さらに重症の膀胱炎になることが多いからです。
新婚の夫が、愛妻のケッツを貫いたのはいいのですが、翌朝小便しようとしたら尿道炎になっていて、チンボが飛び上がる程の激痛で、大変苦しんだという例もあります。それならやはりコンドームを着ければいいではないかと言う人が有ろうかと思いますが、コンドーム着用で、確かに男の尿道炎は防げますが、激しいピストン運動で、直腸の屎は肛門から外へ飛び出しますので、女の尻や男の股間や、シーツを汚しますし、それに鼻が曲がる程の臭気に、吐き気を催してきて、快感などすべて吹っ飛んでしまいます。
やはり、肛門道修行の第一の関門は、腸内の徹底した洗滌が不可欠なのです。すべては洗滌から始まるのです。
それなら直腸に尿が一杯詰まっている、その中ヘチンボを押し込んで突きまくる、その時の快美感は、味わえないのかと思うのは素人の浅ましさです。
(続く)
12.03.14更新 |
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