第24講 立ちっ放しのチンボ【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第三課 女たらしの秘技
当時私の同級生の中に石○君という遊蕩児がいました。彼は栃木県一の山持ちで、大きな神社の息子で、典型的なドラ息子でしたが、そいつの女たらしの技巧の一つは、先ず女性を食事にさそい、その後ダンスをするのですが、その時自分のズボンのポケットには、ゴルフボールを一個忍ばせておき、抱いた女性の股間のあたりに、そのゴリゴリの硬いのを押し付けて攻めると、女性は彼が催していて、最高にエレクトしていると思い、一曲踊り終わる頃にはもう骨抜きになっていて、あとはそのままベッドに直行とのことで、その手でやれば人妻やインテリのハイミスなどちょろいもので、百人以上すでに試食済みとうそぶいていましたが、その気持ち、よく分かりよす。今の私はそんな小道具など使わなくても、自荊の生のチンボがギンギンなのですから……。
電車が揺れたり押される度に、異様に硬いのがお尻の谷間にグイグイと押し付けられる感触に、ほとんどの女性は振り返りますが、背後の私が真面目そうな学生服姿で、しかも両手が塞がっていて、痴漢行為をしているのではないと認知すると、安心してお尻をノックさせてくれます。
電車の中で痴漢だと騒がれるのは、余程相手の嫌がることをしつこくしたり、中年以上のオジンであった場合に限られるようで、本来は、女性もいたぶられながら、その中に快感を見出し、自分も楽しんでいるようで、どの女性も叫んだりなどはせず、一そう突きやすいようにお尻をこちらへ押し付けてくれるし、中には手をさり気なく廻して私のチンボをまさぐってくれる人もいます。
中にはもっと積極的に、後ろ向きで指先だけで、私のズボンのボタンを器用に外して、手を中に入れ、私のチンボを捕らえる人もいて、新宿で山手線に乗りかえるのですが、その車中に、無言でつんとした顔をしていて、いつもしなやかな指を、私のズボンの中に侵入させ、確実に捕らえて握ってくれるお姉さんがいました。
その人は目黒の方まで行くらしく、渋谷で降りる私が、そろそろあわて出すのを横眼で見ながら、一そうきつく握り、私が小刻みに腰を二、三度せり出すと、キュッと爪を立て、降りる際にやっと放してくれて、そのスリルが何とも言えず快くて、開いたズボンの前を、私は鞄で隠しながら人ごみにまぎれて下車し、振り返るともう知らぬ顔しているのです。
お姉さんは暫くしてからは、私のズボンのベルトの所から拳を差し入れて中に潜らせて、握って弄んでくれるようになりました。
それならズボンのボタンの留め外しの手間も省けるし、滑り込んで来る時の感触が又素晴らしく、解剖されているようでとてもいいです。
そのお姉さんも、その日の私のチンボが異常に大きくむくれているのにはびっくりしたよって、例に無くハッとしたように、瞬間振り向いて私の顔を見直しましたから……。
皆さん、やっぱりチンボは太くて長く、人並みより大きいことは良いことですぞ。その日のお姉さんは、ぼうっと眼の周りを紅くして、上気したようなうつろな眼をして、下車する私をながめていました。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.01.23更新 |
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