第47講 ケッツいろいろ【1】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第一課 鶏のケッツ
鶏はケッツの穴からあの大きな玉子を産み落とします。
都会の人は知らないでしょうが鶏を飼っていると、産みたての玉の中には糞の付着したのがよくあります。それは鶏は産道(膣孔)と直腸が一つになって、両方の役目をしているからなのです(出荷時にきれいに拭きますから店頭では滅多に糞の付いた玉子は見られません)。
あんな太い直径の玉子をひり出すケッツの穴をしているのですから、あれよりも直径の小さい普通の人間のチンボだったらあそこへは楽に入るのではないかと思い付くのは昔の人も今の人も同じです(私のチンボは例外でそれより一廻り太いですが……)。
さすがは四大文明の発祥地の一つといわれる支那大陸・漢民族です。はるかな古代から鶏のケッツの穴を人間の代用にすることを知ってよく実行していました。『鶏姦』という立派な言葉さえ創っていたくらいです。
鶏姦とは文字通り鶏を姦すことで、鶏は生殖器(排泄官)と直腸・肛門が一つになっていますから、鶏を姦すということは即ち肛門を姦す(肛門姦)ということで、鶏姦とは肛門性交、略して肛交の異名とされたのです(欧米ではそれをソドミーと呼びます。聖書のソドムとゴモラからきている言葉です)。
異性間性交と異なり。男同士の同性愛の性交は膣の代わりに直腸・肛門を用いますので、肛門性交は一般的にいって男同士でする性交法のことを示すように思われ、人間同士で行なう肛交も鶏のケッツを連想させる行為であるところからそれを鶏姦と呼ぶようになったのです。
鶏姦は別名お釜を掘るとか釜掘りとかいいますが、それは男の尻を釜と呼んだところからきています。
男のケッツの穴をチンボで姦す行為はこのほか『衆道』とか『若道』とも呼ばれました。
男のケッツの穴を姦すことについては後に改めて説明するとして、さて話を鶏の方に戻します。
漢民族の間で古くから伝えられてきた鶏のケッツの穴の姦し方の要領は、鶏の両足を縛り、爪にぐるぐる包帯を巻いて、そのケッツの穴に胡麻油を塗って両手で押さえて自分のチンボの真ん前に持ち上げて、そこヘチンボをグサッと突っ込むのだそうです。
胡麻油は一番よく滑るということを知っているとは、遠くシルクロードを通じて中近東や西欧やアフリカの文明のもたらされる支那大陸です、さすがは四大文明の発祥地の一つです。
『鶏姦』とは何とまあ上手い表現ではありませんか。鶏姦という字をほとんどの現代人は知りませんが、そんなことでは古代の人々に恥ずかしいです。まさに漢字なればこその言い得て妙の表現ではありませんか。我々はこんな素晴らしい漢字という文化風土の中に生まれ育ってきたことを感謝すべきです。『スナイパー』誌でももっとこの漢字を随所に使うべきです。遣隋使・遣唐使により鶏姦という言葉は飛鳥・奈良の時代に我が国に伝わっており、我が国でも鶏のケッツの穴は珍味として好事家に愛され、江戸時代には川柳にまで多く詠まれています。
鶏のケッツの穴が珍重されたのは、体温が他の動物より高くて、穴の締め付け具合が本物のオメコとほとんど同じだから、目を閉じて行なえばまるきり本物の女性としているのと変わらなかったからです。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
09.01.07更新 |
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