第47講 ケッツいろいろ【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第三課 哀しき北京原人
有名な原始人の一つである北京原人は、現存する化石はすべて女性のものばかりで男性の骨は一例も発見されていません。それに当時は女性の方が権力がある女権社会であったらしいといわれており、氷河期が近付き段々と寒さが厳しくなって来る中、男は女達に強制的に野外へ追いやられ、獲物を持ち帰らないもの者は家(洞穴)に入れてもらえず極寒の中をさまよい、いよいよ食べ物の無くなった時、男は皆女に食われて絶滅したのではないかといわれています。北京原人の化石には明らかに食人の痕跡が認められ、女性ばかりで男性の化石が一例も無いのが謎とされています。
古代から鶏のケッツの穴が美味であることを認めていた漢民族です。きっと大先祖である北京原人の時代から鶏のケッツの穴で用を足しまくっていたのでしょう。女性の方が権力が強くて、まるで作男(田子作、即ち農奴)以下の扱いで女性の気が向かぬ限りは性交をさせてもらえないという状態ではセンズリを掻くか、男同士肛交するか他の動物とするか、取る道はそれだけですから、きっと鶏を追い廻しやりまくる原人も多かったことでしょう。
第四課 長安・洛陽は世界都市
北京原人については推測・想像の域を出ませんが、黄河流域に古代文明が発祥しシルクロードを通じて世界中の人や物の集まってきた隋や唐の時代には鶏姦という語も確定し、ニワトリだけでなく人間の肛門を姦すことを表わす言葉として用いられていたようで、きっと長安や洛陽のような当時の大都会には世界中から集められた様々な種類の鶏を揃えた鳥屋があり、客の求めに応じて女のケッツと同じように様々な締め付け具合の鶏を提供し、『趣味の通人逹』が争って新しく入荷した鶏を奪い合いをし、夫々家に持ち帰っていわゆるダッチワイフとして愛用した筈です。誰それの鶏のケッツの締め付けが最も美味だ、などと品評会やコンテストもしたことでしょう(スワッピングも……)。
隋・唐の時代といえば支那でも仏教が盛んになってきた頃です。
仏教では男女の性交は悟りに至る修行の妨げであり、特に修行者たる僧侶が女性の性的魅力に心を奪われて交りを結ぶことを『女犯』と呼んで重大な罪悪としてきました。
だから精力が付く肉や魚は勿論のこと、植物性食品の中でも、精力の源といわれるニラやニンニクやネギやショウガなどの臭いのきつい野菜は性欲を旺盛にして修行を妨げるとして、お寺の中に持ち込むことも、僧侶が食べることも厳禁したのです。
現在でも日本の禅寺では山門に『不許葷酒人山門』と書いた石柱が立てられていますが、これは『不許葷酒を許さず』と読み、葷とはくさい臭いのする野菜、つまり精のつくもの、酒はさけで、共に浄念を乱し妄念を起こす物として戒められたものです。
それでも僧侶とて人の子です。女気のない所に生活すればかえって常人よりも貯栢精嚢が満タンになり股間が白己主張してくるものです。
そこで女陰を犯すことは破戒であるが、同性のケッツの穴ならば戒律に触れないだろうとのことで、僧侶の間では肛交による同性愛がなかば公然と黙認されるようになったのですが、仏教寺院は市街地を離れた山岳にある治外法権で自給自足の独立王国ですから、僧侶同士のケッツの穴の姦し合いのほかに鶏姦も盛んに行なわれたことは間違いありません。
大寺院では山林や田川も沢山所有し、僧の数と同じくらい寺男(作男)や稚児(市街地の名家の子弟が学問を身に付けるため一定年月住み込みで寺に来て高僧に仕える)がいた訳ですから、相手にするケッツの穴にこと欠かなかった訳です。それでも相手にめぐまれない僧は鶏のケッツを狙った、あるいは人間より鶏の方が味がいいという変わった人もいたでしょう。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
09.01.14更新 |
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