第49講 巷の男女同権にもの申す【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第二課 悪書追放のいかがわしさ
行政の阿呆さを示す例をもう一つ紹介します。
私は二十年近く三重県教育委員会の職員で内数年は県庁内に居たこともありますが、三重県庁には当時『青少年健民課』と称する課があり、その課は何をする所かと言うと、県内の書店(や街角の自動販売機)で売っているいわゆる性的な記事やヌード写真の載っている雑誌類を収集して廻り、課員(当時は課長以下全部で三人)がそれを一冊ずつ詳しく読んで、その結果教育上好ましくない『悪書』を指定するのが仕事とのことです。
何のことはない、公費でエロな本を買い漁り、冷暖房完備の部屋で好きなだけ眺めまくって妄想に耽り、その中で特に刺激の強いのをそっと自宅に持ち帰り、それを見ながらセンズリを掻きまくる。そうやって一カ月してその月の指定悪書を数冊挙げて新聞等に書名を発表するのが仕事と言うのです。
県庁の地下の裏口には彼らが公費で漁って読み了えたそれらの本が荷紐でくくられて、他のゴミと一緒に棄てるために山を成していました。
その山を点検して見ると、今言うコミック誌や週刊誌ばかりで、当時我々マニアが愛読した『SMセレクト』や『SMファン』等は全く見掛けず、どうしたことかと思っていましたが、SM誌や成人雑誌は一応書店では成人コーナーに置かれて子供の眼に付かぬ所にあったので彼らの標的外であったのです。
だがこの課に勤めるような職員は毒にも薬にもならぬ阿呆ばかりで、毎日エロ本が読めると言って喜んでいました。(他府県でもほぼ同じようなものです。)
当時津駅の近畿日本鉄道ホームから上って国鉄線のホームの上を越え、駅正面口へ通ずる構内の高架の通路には『山羊の箱』と称する箱が置かれており、「私は悪書を食べます。子供に見せたくない本、教育上よろしくない悪書はここへ入れて下さい」と書いてありました。
当時の私はこの箱、この文言に非常に激しい反感を抱いていましたからいつもここを通る時は汚物を用意して入れてやることにしていました。長い通路に人影の無い時はその箱の口にチンボを入れてシャアシャアと小便を掛けてやると暫くして箱の底からジワーッと洩れて床に拡がって行く。それを見るのが何とも気色が良くほとんど病みつきで、東京から夜行列車で帰った時は朝六時頃ですから他に人はないので長々と垂れてやったものです。
この山羊の箱は津市の婦人会と青年団とが共同で管理しているとのことで、「心無い人々がゴミや汚物を放り込むので、週末に箱を開ける時はゴム手袋を嵌めなければとても取り出せないので、市民の皆様もっとこの運動に理解して下さい」と新聞で呼び掛けていました。
夕方の混雑時によく青年団員の阿呆や婆らがこの箱の中身を回収するために床に跪いていることがありました。私は人ごみの中でわざと力を入れてそいつらのケッツを靴で思い切り蹴って四つん這いにのめらせ、知らぬふりして人の波にまぎれるのをこよなき楽しみにしたものです。
私は、「我こそは正しいことをしているのだ」と言うような顔をしてきざな事をする奴が大嫌いで一番腹が立つのです。
悪書とは何か、誰がそれを決めるのか、誰にそれを決める権利が有るのか、悪書が本当に世の中に悪い影響を与えるのか、そうではないでしょう。我々人間はいわゆる悪書と称される物から色々なことを教えられて成長するものです。そこで知恵も付くのです。『良書』しか読まない人間ばかりの世の中になったら世は末世です。悪書こそが文化を造ってきたのですから……。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
09.02.25更新 |
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