第50講 鶏のケッツは偉大で危険【1】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第一課 鶏のケッツは偉大で危険
先に鶏のケッツの穴は人間の女性器そのままで非常に美味であり、古来通人の間では特に珍重されてきたこと、そのために「鶏姦」という言葉さえ生まれたと記しました。
熱心な諸君の中にはそれを読んで、「そうか鶏か、それは面白い、一回どこかで試してみたろかい」と農村へ出掛けて行って鶏を探す輩も出てくると思いますが、鶏の扱いはずぶの素人の手に合うものではありません。
それは私が中学生の頃実際に起こった事件です。
大学を出て教員になったばかりの、まだ二〜三年しかたっていない体育の先生が問題を起こしたのです。
その先生は或る家の離れに下宿していたのですが、中々彼女が出来なくて毎晩センズリばかり掻いて過ごしていました。が、或る時誰かから鶏のケッツの穴ヘチンポを突っ込むと物凄う気色ええということを聞いたらしいのです。
当時は今と違って私らの親やそれより年のいった人達はほとんど軍隊経験があり、支那や満州へ行った経験があるので、それらの人々は大陸の原地でそこの人々が営んでいる習俗を見て来ていますから、鶏のケッツが気色いいことを知っている人も多かったのです。(下宿の小父さんもその中の一人です)
独身の若い体育教師はその話を聞いて、心の中で「しめた!!」と喜んだのです。鶏なら下宿の周辺の農家に一杯います、ということは自分の周辺には「彼女」が一杯いるということが分かったのです。
これはいい、一遍に人生がバラ色に変わりました。今までは学校の美術全集を借りて帰って、アングルの「泉」やゴヤの「マヤ夫人」や、女の裸の絵ばかり探して持って帰り、それを見ながら自分の手で「物」を握り、「手筒花火」ばかり打ち上げていて、もう美術全集も見飽きてしまい、土曜の午後などはちょっと遠出して四日市の本屋で買い漁った『奇譚クラブ』や『実話特報』や『裏窓』や『夫婦生活』などの女性の裸の写真を「オカズ」にしていたのに、手近な所に生きている、血の通ったオメコがうじゃうじゃいるというのですから。(近くの市街は津ですが、知った人に逢うといけないので少し離れた四日市まで行くのです。四日市の方が名古屋に近く市街もにぎやかです)
それからの先生は昼夜を問わず暇を見付けては在所内(地区内)をうろつき廻り、鶏部を見付けると忍び込んでは雌鶏を強姦しだしたのです。
昼間やっている内はそれでも中々見付からずにすみました。それは農家でも勤め人の家でもほとんど昼間は人がいませんし、たまに居ても老人で耳が遠く眼が利きませんので、鶏が騒いでも、見付からずに事を成し終えて逃げることが出来たからです。
だがそれに味を占めた先生は、夜中にも欲望のおもむくまま鶏部屋訪問をし始めたのです。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
09.03.11更新 |
WEBスナイパー
>
お尻の学校