第2講 肛門貫通時の心得と浪漫【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第三課 サッフォの君
だからチンボの吠え立つ自信の無い男は、張形だとか手の指だとか、ハム・ソーセージ等あらゆる物を活用してこれに励む責任があるのです。
責任の果たし切れない男は、若い男数人のチンボの協力を得ての輪姦にでもよらねばならないでしょう。
この点責め手がサッフォ(レズの男役)のような女戦士なら、腰に帯びた張形で、何回でも無限に貫通強姦が可能です。
お尻好きの私達同志は、責め手、受け身の区別無く皆一刻も早く自らの理想の「サッフォの君」を捜し、その足下に土下座してよくお頼みし、お尻を串刺しにされましょう。
この苦から楽へと変わる時かドンデン返しの心地良さは、まさに極楽を見る境地です。
それを一部のマゾヒストや女性だけに独占させておく手は無いのです。
男たって貫かれる権利はある、時には貫かれ犯されることも必要です。
第四課 破瓜の儀式
性交に慣れた弛んだ緊張感の無いオメコよりも、大きな桃の谷間にひっそり息づいていて、貫けば苦悶して震えるお尻の穴の方が、突っ込む方とて至上の締めつけを味わえ、その味には病みつきになるものです。
一ロドーナツのような括約筋の輪にチンボの先を押し当て、グイと腰を押し出すと、キャッチャー・ミットのようにそのドーナツの輪は、亀の頭を受け止めて押し返してきます。
さあ、これからが勝負です。
勃起力が弱ければ、チンボはイヤイヤして項垂れてしまいます。
男ならここ一番と必死に全精神をチンボに集中させて、体重のすべてをそこに乗せて、グイと押し重なって行くのです。
西洋では昔から、このように背後から尻の穴を犯す姿を、「スプーンを重ね合わせる」と形容していますが、実に上手く言ったものです。
お尻の穴の処女を奪われる時、受け身の側が逃れようとして身体を引き動かしたり、或いは責め手が強引に方向違いに手荒く押したりすると、お尻の縁も乙女のように破瓜の出血をすることがありますが、それは丁度唇の縁が冬の寒風で切れるのと同じようなもので、血は直ぐ止まりますから心配はいりません。
サディストの女性、即ち「サッフォの君」が女や男のお尻の穴を犯しいたぶって征服する時、最後に指で直腸を掻き廻し、その示指の先を抜きとる瞬間に鈎の手に曲げて、その爪の先で態と肛門の縁を引っ掻いて破り、鮮血を迸らせ、破瓜の印として愉快を覚えることがよくありますが、終わって下着を着けることを許されて、帰宅してみると、パンツが赤く染まっていて、それによって受け身の側もしみじみと被征服感を味わうという、出血は征服され犯されたという証として意義のある儀式です(ほとんどは、二、三分ですぐに血は止まりますが)。
お尻派の男性諸君なら一度くらいは、女性にお尻の処女を破瓜されて、さめざめと泣いてみるのもいいのではないでしょうか。
外皮が少し裂ける程度ですから、ティッシュペーパーで押さえていれば直ぐ止まりますし、痛いというのでは無く、正確には痒いという感じですが、犯されたお尻の穴を自分の手で押えて啜り泣く姿は、責め手の征服欲を更にそそり立たせます。
受け身の泣く姿、サッフォの君にとっては実に気色がよく、それだけで強烈な快感を得られ、病みつきになるとのことです。
こうやって男を犯すことに至上の快感を覚えるという女性が多くなってきているということは本当に好ましい事です。
※だが我々にとっての最大の不幸はエイズの蔓延です。
血液を媒介として伝染するこの病気をさけるためには、自分の妻とか身辺の素性のよく分かった女性を「サッフォの君」とあがめるしか道は残されていません。
同志諸君、見境無くパートナーを選ぶのだけは止めて下さい、身の破滅です。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
07.11.13更新 |
WEBスナイパー
>
お尻の学校