第23講 便秘治療の進歩【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第二課 昔はドナンとエメロンで
昔(昭和四十年代まで)は、普通の便秘患者に対する処置としては、武田薬品工業が作っていた『ドナン』という浣腸薬が主に用いられて来ましたが、今ではドナンは製造は中止になっていて入手出来ません。
このドナンはグリセリンと比べると、先ず薄めずに原液のまま使うということと、グリセリンが、時間をかけてじわじわと効いてくるのと違って、いきなり急激に強烈な、それこそハラワタが裏返るような強力な刺戟が湧き上がってくるというのがその特徴です。
当時の浣腸愛好家の間で珍重されたものですが、これが手に入らない今日、それを偲ぶものはエメロン・シャンプー液です。
これも強烈で、ほとんど注入したら即効で、お尻の口がもう馬鹿になってしまって、痺れてしまってシャアーと垂れ流しになるのですが、この頃どうしたことかエメロン・シャンプーは見られなくなりました。
当時は他のシャンプーでも、ほとんどエメロン同様即効で強烈でしたが、今のシャンプー類は、どうも昔のように強烈なのが無く、少し物足りなくなりました。
昔はドナンで繰り返し浣腸して、ほとんどはそれでみな吐き出し、余程しつこい場合は、ゴム手袋を嵌めた手の指で掻き出すことで解決しました。
私の場合めように一枚岩になるような凄いのは稀ですから、そんなのを掘り崩して出すのは、とても職人的な手技の要る特殊技能でした。
今ではおそらくこのクネクネと更に奥まで潜って行き、先端に眼のようにカメラを取り付けて、中が手にとるように見えるファイバー・スコープと、極く微量の火薬で粉砕する技術が開発されて久しいですから、便秘治療も更に気色の良いものにと発展している筈です。
若人諸君、元気なうちに、私のように一度は自主的に便秘になって、ケッツの穴の中で執行される炭坑節の儀式を体験して、世にその詳細を発表してみて下さい。
ケッツの穴の中に火薬を仕掛けて、便を割るなんて、鉱山作業のミニチュア版で、面白いではありませんか。
ハッパを仕掛けて粉砕するなんて、全く石灰掘りそのままです。
出来たら私も収斂剤を飲んで、またあの日のように重症の便秘になって、ハッパによる掘られる快感を味わいたいのですが、この年(五十代)になって、そんなことをしたら、大腸癌や直腸癌になる恐れがありますので、もう昔のようにはやれません。
皆さん、何でも若いうちが花ですぞ(腸の癌については後日項を改めて説明します)。
脱脂綿を五袋と晒し布一反を詰め込まれた私は、そのまま家に帰ったのですが、三十分程バスにゆられて、下行結腸から直腸まで一杯に詰められた内容物の内からの圧迫で、左脇腹を外から押すと、はっきりと中が充満しているのが分かりました。
そのうえお尻の穴は一杯に詰められて、口が少し開いていて、その開いた肛門に六尺褌の晒しのこすれる感じが、股縄を噛まされたようなきつい感触で、ゆれる度に何か小便をちびりそうに、チンボがピンピンに立ってしまいました。
前に立つ若い女性の後ろ姿のお尻がやけに眩しくて、学生服のズボンの中でチンボがテントを張るので、あわててポケットに手を入れて自分で握って寝かせ、押さえていると、バスがゆれる度にチンボがますます吠えてきて、女子大前(関東バスの橋幸夫宅のある、善福寺の次の東京女子大裏)の停留所で降りました。
自分のアパートへ帰る道、ずっとチンボをポケットの中で握りっぱなしで、部屋にたどり着くやいなや鍵をかけてズボンを脱ぎ、今見た女性たちのお尻を思い出しながら、一心にピストンをこき上げました。
もうその夜は夕食もせず、夜更けまでチンボをしごき、あの医院での処置を、初めから終わりまで脳裏に反復して思い出し、いきり立ったチンボに、馬に鞭をくれるようにはやり立たせ、両股をよじり合せ、しごきまくったのです。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.01.22更新 |
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