第32講 学生時代の思い出【3】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第四課 お尻を貫くの
うっとりやさしい顔になったのは、やはり小母さんは、今まで欲求不満だったのです。
私は又小母さんの両足を抱え上げると、今度はその両足を揃えて抱き、大きく前に折り、のし掛かって、又、チンボを突っ込んで激しいピストンをし、今度は頃合いを見て腰をうんと引き、チンボを抜くと、グイと腰を入れて、チンボの先でお尻の穴を突いて、体重を掛けて乗ってやりました。
私のチンボは名にしおう善光寺チンボです。トマトのような太くて赤い亀の頭を押し当てられて小母さんは眼を白黒させて痛がっていますが、何と言っても経産婦です。立派に咥える筈だと見込んだ私は、
「横田君、お願い。切れるから止めてちょうだい」
と涙声で哀願する小母さんのお尻の穴に、エイッとばかりに恥骨をぶちつけてやりました。
ヌメリが充分に利いていますし、小母さんは一回絶頂に登った後で筋肉も伸展が利くようになっていますから、グウッと抵抗があって極限がふっ切れて、グリッ、ヌルリ、と音の無い音がして、私の亀が小母さんのケッツの紐を乗り越えて、直腸の中へ潜り込みました。その瞬間小母さんは焼け火箸でも当てられたようにギャアッと飛び上がるような悲鳴をあげましたが、チンボが根本まで納まると静かになりました。全部入ったらそれ程痛みは無いということです。
小母さんは三人の子持ちですから、オメコの方は大分弛んでおり、小母さんはいい気持ちでも私は少々物足りぬ思いでしたが、ケッツの穴の方は締まりがきつくて、とても具合がいいです。又激しくピストンしてゆすってやると、今度は凄く悶えて呻き、身をくねらせています。ハラワタをこね廻されるような凄い刺激で、
「こんなの初めてだ」
と息も絶え絶えに告白します。
そうか、やはり小母さんも、ケッツの穴を犯されると気色よがるのか、それならまかしといて。お姉さんたちを相手に、中学、高校と六年間鍛えぬいたこのチンボで、小母さんの白い雪みたいな美しく、大きい(小母さんは背も高い)そのケッツを、毎晩でもこね廻して楽しい目に遭わせてやろう。オメコの方は緩いから、望むのなら突っ込んでやるけれども、妊娠するといけないから、やはり、ケッツの穴を徹底的に貫いてあげよう。
こうやって下宿の小母さんと私の肛門性交の関係が始まったのです。
私は考えられるあらゆる体位で、小母さんのケッツの穴を、ピンピンのチンボで掘りまくり、貫きまくって、小母さんを嬉し泣きさせたのです。小母さんの泣く声を聞くと、もっともっと杭打つように、この太くて硬いチンボを、そのケッツをぐりっと拡げて、突っ込んでやりたくなるのです。(次号では、小母さんに施した様々な肛門への責めを告白します)
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.04.30更新 |
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