第34講 お尻の王様【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第二課 朝拝の儀
小母さんの子供たちも他の下宿生たちも、登校していなくなった空の家で、二人きりになると小母さんは私の部屋へお茶を持って来ます。
その小母さんを押し倒し、スカートをめくると、全裸の私は上からのし掛かるように善光寺チンボを押し込み、有無を言わさず朝のマラソン代わりに、連続二百回の急ピッチのピストン運動を加え、喜悦にゆるみ、べとべとに濡れたオメコのぬめりでヌルヌルに湿らせたチンボを、仰向けにひっくり返し両足を開かせた小母さんのケッツを、更に両手で割り拡げておいて、ズブリと杭を打つように押し込んでやりました。
トマトのような大きな物が侵入せんとするのです。痛がって逃げるのは分かっていますから、俯せにして背中の上に折り重なっていって両腋の下を羽交い締めにし、強引に押し込むのです。
何度やってもこの善光寺チンボの、小振りのトマトみたいな亀の頭が、ケッツの穴の紐の輪を潜り抜ける時の、ゴリッというようなきつい刺戟とその感触(手応え)の爽快感はこたえられません。
刺戟のあまりにも強烈なのに耐えられず這って逃れようともがく小母さんを押さえ付け、ひっくり返して今度は小母さんを仰向けにしてゆり上げ跳ね上げ、とうとう逃げようと立ち上がった小母さんを、そのまま壁に押し付けて、これも連続二、三百回の激しいピストン攻撃で、背後から私に突かれる小母さんは、前が壁で逃れる場が無いので、無駄な抵抗なのに、壁をヤモリのように這い上がろうとあせっています。壁はそのためにおばさんの身体の形に汗で湿って跡が付きました。
お腹をたぷたぷさせて喘いでいる断末魔の小母さんのケッツの穴の奥へ、ゆっくりたっぷり射精してチンボを抜いて、股を開かせて背後から覗くと、小母さんのケッツの穴は厚い鱈子唇のようにせり出して盛り上がり、わずかに開いた穴の口から、今入れてやった白い精が一筋トロリと流れ落ち、黒い毛を濡らし内股に伝います。
第三課 前へ進め
そんな小母さんの尻を叩いて四つん這いにさせ、まだ立ったままの私のチンボで、又もやその濡れたケッツの穴を貫き、そのまま突いて突いて、小母さんを這わせて部屋から出て、曲がった廊下を通って、便所まで行かせます。
昭和三十五年当時、東京でもまだ一般家庭の便所は汲み取り式がほとんどであり、小母さんの家の便所は和式で、大便所が左右に二つ並んでいました。
扉を開ければ小便所と手洗いの蛇口があり、その奥にある二つの大便所は、便座から前が床より三十センチ程高くなっており、これはケッツの穴責めにはもって来いの構造です。
四つん這いにさせて背後からケッツの穴を覗くのに床面が低いと、こちらもしゃがまなければなりませんが、これならケッツを掲げさせれば、手近で責めやすいですから……。
小母さんを便座に追い上げて便器の金隠しを抱かせてケッツの穴を天井に向けさせておいて、その上に乗り掛かってやるのです。勿論チンボは深々と突っ込んだまま、小母さんの背後から抱き着いて、両足は床から離し、小母さんの太股にからめて完全に乗ってやると、小母さんのお腹はたぷたぷと波打って絶叫します。
こうやってタンクの中の精液を全部小母さんのケッツの穴から直腸を奥へ注入してやりました。
小母さんがその頃めっきり色っぽく、一段と若々しくなったのは私の精液のせいです。
直腸粘膜は滋養分を吸収する働きがありますから、人間は適当に軟派で、楽しく気色のいいことはどんどんやるべきで、堅苦しく禁欲しすぎると道具は錆び付き、穴には蜘蛛の巣が張ると言いますが、本当に若さが失われます。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.06.04更新 |
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