第35講 寝ても覚めてもアナル栓【2】 文=横田猛雄 イラスト=伊集院貴子 |
第二課 ケッツの穴の栓
ズボンをはき鞄を持った私が玄関の土間に下り靴を履くと、上半身だけ着衣(セーター)の小母さんが、床の上で私の方に尻を向けて四つん這いになって頭を低くするのです。
まだ肉体関係の無かった頃の小母さんは、私が出掛ける時には、他の下宿人の場合と同じく、床に正座して、「行ってらっしゃいませ」と手をついて送り出してくれたのが、今では私の時だけ下半身は裸で、ケッツをかかげて逆向きに御辞儀するのです。
目の前にガバッと拡げられた小母さんのケッツの穴は期待にあふれてピクピク息づいています。その穴へ夕方まで栓をするのです。
ケッツの穴へ嵌める栓は私が考えたものです。今もありますが、当時脱肛帯とか痔バンドといって、赤いゴムの紐の褌状のものがあり、それはイボ痔や脱肛の人が、ケッツの穴から痔や肛門が剥けて食み出すのを押し込んで押さえて、食み出さなくするバンドで、そのためケッツの穴の当たる所に押さえの半球が付いているのですが、それを取り除いて代わりに大きなドライバーの太い柄を嵌めたもので、昭和三十五年当時はドライバーの柄はせんでした。大型ドライバーの柄はチンボのような太さと長さがあり、なめらかで、栓にはもってこいです。それにゼリアコート(ゼリー付きのコンドームの商品名)を被せて使うのです。
赤いゴムの紐褌に片足を入れさせ、腰の方へ引き上げ、小母さんに自分の両手で左右から自分の尻たぶを拡げさせておいて、その中心の穴へ私はグイと一気にその栓を押し込み、尻を一つ叩いて立たせ、脇の金具を止めさせると、栓が抜け落ちる心配はもうありません。
初めの頃は小母さんもその栓を入れたまま一時間もすると、ケッツの穴がズキンズキンと痛くて苦労したそうですが、昼間抜いていたりすると後で調べると分かります。
夕方私が帰宅した時、私の部屋で抜いてやるのですが、一日中入れていなくて私が帰る直前に入れたりしたのでは、ケッツの穴が正直に白状するのです。
一日中入れたままの場合は抜くと暫くはケッツの穴が痺れて梅干しくらいの大きさにポッカリと穴が開いているのですが、横着した場合は穴が閉じるのです。
もしそんな横着をしたら、米粒を十数個その栓の上にバラバラに間をおいて付着させ、その上からもう一つコンドームを被せ、イボイボ付きの残酷な栓にして、四つん這いの小母さんの背中に逆向きに股がって、それをブスブスと何回もケッツの穴へ、ミシンの針が動くのと同じように連続で押し込んだり抜いたりを繰り返してやります。グイグイと出し入れされると、数個のイボがケッツの穴の縁にこすれて抵抗し、粘膜がまくれたり押し込まれたり、こすれるのがとても痛く、ケッツの穴がカツ力と熱をもってきて、終わってからも息が詰まるくらいきついもので、一度この御仕置をしてやったら、余程身に応えたのでしょう、それからは私の居ない間に勝手に栓を抜くような横着はしなくなりましたが、太い栓を入れると、半時間くらいたつとケッツの穴の縁がズキンズキン脈打って頭まで響いてきて、そうなると立っていても息するのが苦しいくらいで、初めの頃は我慢するのに額に脂汗がタラタラ流れ、階段を登る時よりむしろ降りる時はビンビンに肛門筋が張って鋭敏になっているので、死ぬ思いをしたそうですが、私が帰って栓を抜かれる時、「ああ、とうとう一日耐えた」と思うと大きな感動があり、栓をされていると、直腸の中に芯が通ったようで、それが大変な生き甲斐になると小母さんは告白しました。
横田猛雄 1990年3月号よりS&Mスナイパーにて実践派のための肛門エッセイを連載。1993年ミリオン出版より『お尻の学校[少年篇]』発行。またアナル責めのAV作品にも多数出演しており、A感覚実践派の伝道師として他の追随を許さぬ存在。2007年5月号まで同誌上で『大肛門大学』を連載していたが、高齢と健康上の理由により連載終了。そしてWebスナイパーにて、膨大かつ偉大なるアーカイブの復刻連載開始です! |
08.06.25更新 |
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