本誌・web連動企画 『新宿アンダーグラウンドの残影』 〜モダンアートのある60年代〜 文=ばるぼら S&Mスナイパー4月号の誌面では紹介できなかった「モダンアート」をめぐる新宿とアングラの親和性。現在までつながるいくつかの残影を集めながら、いま再び光をあてる新宿アングラ詳論の決定版! |
プロローグ
新宿モダンアート。その名を聞いて、60年代後半に実験小劇場として始まったアングラ劇場を思いだす人は、もはやほとんどいないだろう。かつての新宿のアングラスポットといえば喫茶店「風月堂」やジャズ系ライブハウスの老舗「ピットイン」、または小劇場の「アートシアター新宿文化」や「蝎座」といった名前を挙げる人がほとんどだろうし、それを否定するつもりはない。
しかし、それらの単語が60年代〜70年代の日本の若者文化の象徴・栄光として、たびたび時代の証人達の思い出話に登場するのに対し、モダンアートの名前はほとんど顧られることがない。「重要な場所ではなかった」から顧られないのか? そうとは思えない。これはどんな分野にも言えることだが、語る人がいなければ、残す人がいなければ、確認する手段がなければ、文化は歴史化されないのである。
例えば40年前の映画を観ることはできても、40年前のラジオを聴くのはほぼ不可能である。アーカイブ化されていないからだ。この場合、どんな面白い深夜放送があったのかは、当時実際に聴いていた人達に訊くしかない。しかし当時のリスナーを探すのは難しいし、彼らが語る機会はほとんどない。これと似たようなもので、モダンアートの不運は、語り残した当事者が少なかったことである。
「知らないもの(Google検索にひっかからないもの)は存在しないのと同じ」とされがちな昨今の風潮だが、ここでは数少ない資料をもとに、本誌川上譲治インタビューでは触れられなかった60年代のモダンアートについて、そして新宿とアングラの時代について見ていこうと思う。
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構成・文=ばるぼら ネットワーカー。周辺文化研究家&古雑誌収集家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』など。なんともいえないミニコミを制作中。 |
07.03.10更新 |
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